序章 ――愛の履歴書としての音楽史
音楽史とは、旋律の歴史であると同時に、欲望の履歴書でもある。 清澄な和声の背後で、いくつもの人生が軋み、ひび割れ、そして崩れていった。献身、嫉妬、執着、背徳、裏切り、自己喪失――。私たちが「クラシック音楽」を高雅な芸術としてのみ眺めているなら、その実像の半分しか見ていない。 なぜなら、多くの傑作は「恋愛という実体験」によって書かれているからだ。しかもそれは、穏やかな恋ではない。社会秩序を揺るがし、家族を崩壊させ、当人の精神をすり減らし、それでも止められなかった愛である。 ショパンは母性に溺れ、ワーグナーは信者を必要とし、ブラームスは沈黙を選び、リストは恋を信仰へと変え、チャイコフスキーは「普通」を求めて自壊し、ドビュッシーは美の名のもとに人生を演出した。 これらは単なるゴシップではない。むしろそれは、作品の深層を理解するための鍵であり、「人間とは何か」「愛とは何か」を照らし出す鏡である。本書は暴露の書ではない。愛によって最も深く傷ついた人々の魂の軌跡を、史実と心理、文学の言葉によって静かに辿る試みである。
本書の構成
* 第Ⅰ部 ショパンとジョルジュ・サンド ――母性に溺れた天才
* 第Ⅱ部 ワーグナーとコジマ ――友の妻を奪った男
* 第Ⅲ部 ブラームスとクララ ――触れられなかった情熱
* 第Ⅳ部 フランツ・リストと女たち ――恋が信仰へ変わるとき
* 第Ⅴ部 チャイコフスキー ――結婚という名の地獄
* 第Ⅵ部 ドビュッシー ――二重生活という名の美学
* 第Ⅶ部 総合考察 ――なぜ人は愛によって壊れ、愛によって創造するのか
第Ⅰ部 ショパンとジョルジュ・サンド
――母性に溺れた天才 一八三六年、パリ。社交界に現れたその女は、あまりにも常識外れだった。男装を好み、煙草をくゆらせ、鋭利な知性をまとい、何よりも恐ろしいほど自由だった女流作家――ジョルジュ・サンド。 一方、フレデリック・ショパンは、病弱で内向的、貴族的な気品と硝子のような脆さを同時に帯びた青年だった。二人の出会いは、まるで調性の異なる和音が、偶然に重なった瞬間のように、違和と魅力を同時に孕んでいた。 初対面の印象を、ショパンは友人にこう漏らしている。
「あの女は、いったい女なのか?」 だが運命は皮肉なほど強く、彼らを引き寄せる。やがてショパンはサンドの邸宅ノアンに身を寄せるようになり、そこで看病され、生活を整えられ、母親のように包み込まれていく。 だがそれは同時に、「愛されることによって自立を失っていく過程」でもあった。 サンドは日記にこう記している。「彼は、私がすべてを整えてやらねば、何ひとつ生きられない」 この言葉の優しさと、そこに潜む支配の匂い。愛はいつの間にか、保護と管理の境界を曖昧にしていく。
1 庇護という名の蜜
ノアンの館は、外界の嵐から切り離された密室だった。静寂、規則正しい生活、慎重に選ばれた食事、温度管理、来客の制限。すべてはショパンの体調を守るために整えられていた。 彼はそこで傑作を次々に生み出す。《バラード》《夜想曲》《前奏曲集》《ポロネーズ・ファンタジー》。旋律はかつてなく深く、陰影はかつてなく繊細になる。音楽は成熟し、精神は内へと折り畳まれていく。 だがその静けさは、自由の静けさではなかった。選ばれた沈黙であり、管理された孤独であり、守られた閉鎖だった。 サンドの愛は献身的だった。しかし献身とは、時に最も巧妙な支配の形式でもある。彼女は彼を「守る」ことで、彼の生活の全領域を把握していった。医師のように、看護人のように、母親のように。 ショパンは次第に、自らの体調、感情、創作のリズムまでも、彼女の判断に委ねるようになる。 愛はここで、対等な関係から、依存の構造へと静かに変質していた。
2 「母」と「恋人」の境界線
心理学的に言えば、ショパンがサンドに求めたのは恋人というより「母的対象」だった。 彼は幼少期から虚弱で、過剰な気遣いの中で育ち、常に「守られる側」として存在してきた。大人になってもその構造は変わらない。強く、自立した女性に惹かれ、そこに安堵を見出す。 サンドは、その空白に完璧にはまり込む存在だった。 知的で、現実的で、行動力があり、感情に溺れすぎない。彼女の腕の中で、ショパンはようやく「安心して弱くなれる」場所を得た。 だが、安心が過剰になったとき、人は成長を止める。 彼の創作は豊かになった。だが彼の生活能力は、驚くほど衰えていった。些細な決断ひとつ、自分では下せなくなる。人付き合いも、旅の計画も、金銭管理も、すべてが彼女の裁量に委ねられていく。 恋が人を育てることもある。だが同時に、恋は人を幼児化させることもある。
3 家庭という名の戦場
関係の歪みが露出しはじめるのは、サンドの子どもたち、とりわけ娘ソランジュとの確執においてだった。 ソランジュは、母の恋人として家に居座る病弱な音楽家を快く思わなかった。家族の中に侵入してきた「異物」として、ショパンは次第に疎外されていく。 サンドは家庭を守ろうとし、ショパンをかばいながらも、同時に母としての立場を捨てきれない。 家庭という空間は、恋人関係を容赦なく現実に引き戻す。 そこでは、優雅な対話も、知的な共鳴も、やがて些細な不満、疲労、嫉妬、沈黙へと変質していく。 ショパンは日記の中で、次第に言葉数を失っていく。書簡の調子も、初期の情熱的なものから、淡く、控えめで、どこか諦念を帯びたものへと変わっていく。 愛が終わるとき、それはしばしば激しい破裂音ではなく、微細な亀裂の累積として訪れる。
4 小説という名の裏切り
決定的な転換点となったのが、サンドの小説『ルクレツィア・フロリアーニ』の発表である。 作中には、病弱で自己憐憫に満ちた芸術家の恋人が登場する。その描写は、あまりにも露骨にショパンを想起させた。 友人たちは凍りついた。ショパン本人もまた、深く傷ついた。 彼は直接的な非難の言葉をほとんど残していない。ただ、友人宛の手紙に、こう記したと伝えられている。
「彼女は私を愛したのではない。彼女は、自分の慈愛の物語を完成させるために、私を必要としたのだ」 もしこの言葉が真実であるなら、それはきわめて鋭い自己認識である。 人は時に、相手を愛しているのではなく、「愛している自分自身の姿」を愛していることがある。サンドの献身は高潔だった。だが同時に、それは彼女自身の人生観、美学、理想像を完成させるための行為でもあった。 ショパンは、知らぬ間に、その物語の登場人物にされていた。
5 別離、そして急速な衰弱
別離は決定的だった。言葉を重ねる余地もなく、二人の関係は静かに終焉へと向かう。 だが皮肉にも、その後のショパンの衰弱は驚くほど急速である。体調は悪化し、精神は内側へと閉じ、演奏活動も困難になっていく。 死の床で、彼がこう呟いたと伝えられている。
「彼女は、私に永遠を約束した……」 この言葉が事実かどうかは定かではない。だが、この一節が長く語り継がれてきたこと自体が、この関係の本質を雄弁に物語っている。 彼にとってこの恋は、日常の関係ではなかった。人生そのものを支える土台だった。その土台が崩れたとき、彼の身体と精神もまた、連動して崩れていった。
小結 この恋が遺したもの
ショパンとサンドの関係は、単純な悲恋ではない。そこには、愛、献身、依存、理想化、支配、自己喪失という、恋愛のあらゆる要素が凝縮されている。 この物語が現代の私たちに突きつける問いは、決して古びていない。 * 愛とは、相手を支えることなのか、それとも相手を信じて手放すことなのか * 献身は、どこから支配へと変わるのか * 安心は、人を育てるのか、それとも鈍らせるのか ショパンの音楽が今なお私たちの心を打つのは、そこに技術の精緻さだけでなく、「愛の中で失われていった自己」の痛みが、微細な震えとして封じ込められているからである。 夜想曲の静寂に耳を澄ますとき、私たちは知らず知らずのうちに、一人の人間が生涯をかけて抱えた、言葉にならなかった孤独と向き合っているのかもしれない。
第Ⅱ部 ワーグナーとコジマ
――友の妻を奪った天才 リヒャルト・ワーグナーの恋は、しばしば周囲の人生を焼き尽くした。だが、そのなかでも最も長く、最も深く、最も破壊的であり、同時に最も実り多かった関係が、コジマ・フォン・ビューローとのそれである。 彼女は、当時ヨーロッパ屈指の名指揮者ハンス・フォン・ビューローの妻だった。しかもビューローは、ワーグナーの弟子であり、熱烈な崇拝者であり、盟友であった。ゆえにこの恋は、単なる不倫ではない。信頼、敬意、芸術的忠誠――それらすべてを踏み越える行為だった。
1 沈黙の妻、言葉の魔術師
一八六〇年代、ミュンヘン。ビューロー夫妻は宮廷楽壇の中心にあり、社交界の注目を集めていた。夫ハンスは誠実で勤勉、音楽にすべてを捧げる職人肌の人間だった。一方、妻コジマは、フランツ・リストの娘として厳格な教育を受け、沈黙の奥に強靭な意志を秘めた女性だった。 そこに現れたのがワーグナーである。饒舌、自己演出、壮大な理念。彼の言葉は洪水のように流れ、相手の内面を容赦なく揺さぶった。 コジマの日記には、出会いの衝撃が簡潔に記されている。
「彼の言葉は、私の内側に眠っていた何かを目覚めさせた」 恋は、感情の問題である以前に、覚醒の体験として始まっていた。
2 精神的姦通という臨界点
当初、関係は「精神的なもの」に留まっていた。芸術、哲学、使命、人生観。ふたりは長い書簡の往復によって互いの内面を露出させていく。 ワーグナーは言う。 「君こそが、私の芸術を真に理解できる唯一の存在だ」 この言葉は、愛の告白であると同時に、相手を選別し、孤立させ、結びつける力を持つ。心理学的に言えば、これは理想化と特別視による強固な結合の形成である。 コジマは次第に、妻ではなく、弟子でもなく、「選ばれた存在」になっていく。 日記にはこう書かれている。
「私は彼のそばにいるときだけ、真の自分になれる」 この時点で、関係はすでに臨界を超えていた。肉体の有無にかかわらず、心理的には決定的な越境が起きていたのである。
3 イゾルデという名の告白
一八六五年、コジマは女児を出産する。名はイゾルデ。ワーグナーが作曲中だった《トリスタンとイゾルデ》を想起させる名だった。 この命名は、暗黙の告白でもあった。周囲は気づいていた。夫ビューローもまた、察していた。それでも彼は沈黙を選び、子を認知した。尊厳を守るための沈黙だったのか、崇拝ゆえの自己抑圧だったのか、その内面を完全に知ることはできない。 ワーグナーは後悔しなかった。書簡のなかで、彼はこう言い切っている。 「我々の愛は、世俗の道徳を超えている」 天才が自らを正当化するとき、その論理はしばしば、理念の名を借りた免罪符となる。
4 信者としての妻
やがてコジマは家庭を離れ、ワーグナーのもとへ移り住む。そこに形成された生活は、恋人同士の同居というより、閉じた信仰共同体に近かった。 中心にワーグナーが座り、コジマはその言葉を記録し、行動を整え、外界から守り、作品と神話を管理する。彼女の日記には、「私」という主語は次第に消えていき、「リヒャルトは〜した」「リヒャルトは〜と語った」という記述が支配的になる。 愛はここで、対等な関係から、役割の関係へと変質する。 皮肉なことに、この関係のなかでワーグナーは最も安定し、最も創造的になる。《ニーベルングの指環》の完成、《パルジファル》の構想、バイロイト祝祭劇場の実現。芸術史的には、この恋は巨大な成果を生んだ。 だが、その代償として、コジマの人生はほとんど完全に「ワーグナーの物語」に吸収されていく。
5 老年のワーグナーと残された女
晩年のワーグナーは、しばしば幼児退行的な様相を見せる。気分屋で、猜疑心が強く、周囲の忠誠を試し、すね、怒り、依存する。コジマはそのすべてを受け止め続けた。 ワーグナー死後、彼女は未亡人として四十年以上生きる。その生涯を、ただ一つの使命に捧げた――ワーグナー神話の守護者として。 再婚はなく、別の恋もない。彼女の人生は、徹頭徹尾、「リヒャルトの妻」という役割の延長として完結した。 もし彼女が、ワーグナーと出会わなかったなら。もし彼女が「誰かの妻」ではなく、「自分自身の人生」を生きていたなら。こうした仮定は無意味であると同時に、どうしても浮かんでしまう問いでもある。
小結 支配と献身の境界
ワーグナーとコジマの関係は、美談でも、単純なスキャンダルでもない。それは、「愛という名で行われた支配」と、「信仰という名で行われた自己放棄」が絡み合った、きわめて複雑な関係だった。 この物語が私たちに突きつける問いは鋭い。 * 私たちは、本当に自分として愛しているのか * 誰かの人生の登場人物として生きてはいないか * 献身と自己消失を混同してはいないか 恋が人を高めることもある。だが同時に、恋は人を役割に閉じ込めることもある。ワーグナーとコジマの関係は、その両義性を、これ以上なく鮮明に示している。 彼らの愛は、芸術を完成させた。しかしそれは同時に、ふたりの人生を、取り返しのつかないかたちで固定してしまった愛でもあった。
第Ⅲ部 ブラームスとクララ ――触れられなかった情熱
この関係には、破裂音がない。密会の証拠も、駆け落ちの逸話も、露骨な告白も残されていない。だが、それにもかかわらず、音楽史の中でこれほどまでに胸を締めつける関係は稀である。 なぜならこれは、「成就しなかったこと」そのものが物語の核となっている愛だからである。 ヨハネス・ブラームスとクララ・シューマン。二人の関係は、熱情よりも沈黙において、激情よりも抑制において、そして達成よりも未完において、その深さを語っている。
1 訪問者としての青年
一八五三年、デュッセルドルフ。二十歳の無名の青年ブラームスが、シューマン家の扉を叩いた。 迎えたのは、すでに名声を確立していた作曲家ロベルト・シューマンと、その妻クララ。クララは当時三十四歳。八人の子を育てながら演奏家としても第一線に立ち続ける、驚異的な精神力と才能を併せ持つ女性だった。 ブラームスが見たのは、「偉大な演奏家」でも「家庭を支える母」でもない。彼の内面に深く刻まれたのは、気品と孤独を同時に帯びたひとりの女性の存在だった。 彼はのちに友人に語っている。 「彼女は、光のようだった」 この出会いが、彼の生涯を静かに決定づけた。
2 崩壊のなかで生まれた近さ
翌一八五四年、ロベルト・シューマンは精神を病み、ライン川への投身を図る。救出されたものの、彼は精神病院へ収容され、以後家庭に戻ることはなかった。 家に残されたのは、幼い子どもたちとクララ、そして若きブラームスである。 ブラームスは家を支え、子どもたちの世話を引き受け、演奏旅行に同行し、実務と感情の両面でクララを支え続ける。クララは日記にこう記している。
「ヨハネスは、私の右腕のような存在だった」 それは友情だったのか。献身だったのか。それとも、すでに愛だったのか。 ただ確かなのは、この「近さ」が、通常の人間関係の距離をすでに超えていたという事実である。
3 書簡に刻まれた抑制
二人の書簡は、驚くほど節度に満ちている。激情を直接語る言葉はほとんど現れない。だが、抑制された言葉ほど、深い感情を宿すことがある。 ブラームスはこう書く。 「あなたの声は、私の内側を占領している」 クララはこう応じる。
「あなたの音楽は、私の心の最も奥深いところに触れる」 これは告白だろうか。あるいは、互いに踏み込むことを恐れながら、ぎりぎりのところで均衡を保とうとする、綱渡りの言葉だろうか。 二人は、あまりにも多くを共有していた。だが同時に、あまりにも多くを封印していた。
4 越えられなかった夜
いくつかの証言によれば、二人が「臨界点」に近づいた夜があったという。演奏旅行の宿で、長い沈黙が訪れ、言葉が消え、互いの存在だけが濃く残った時間。 クララは日記にこう記している。 「私は深く心を乱された。だが、それ以上は書けない」 それ以上は書けない――。この一文ほど、抑圧された感情の強度を正確に示す言葉はない。 二人の間に何が起きたのか、あるいは何も起きなかったのか。それを確定する史料は存在しない。だが、確かなことがひとつある。 彼らは、生涯、恋人にはならなかった。
5 音楽にだけ許された告白
言葉で語れなかったものは、音楽のなかでのみ語られた。 ブラームスの《ピアノ協奏曲第1番》に響く荒々しい主題。その内奥には、シューマン家の崩壊と、クララへの抑圧された感情が重く沈殿していると解釈されてきた。 晩年の《間奏曲》作品117〜119。あまりに静かで、あまりに内向的で、あまりに孤独なこれらの小品には、「誰にも語られなかった人生」が、そのまま音になったかのような感触がある。 クララはブラームスの作品を生涯演奏し続けた。彼女の死の直前まで、楽譜の上には彼の名があった。 これは恋人の態度ではない。だが、単なる友人の態度でもない。
6 死と沈黙の完成
一八九六年、クララ死去。葬儀に立つブラームスは、ほとんど言葉を失っていたという。 友人の証言によれば、彼は「生きる理由の大部分を失った」ように見えたという。 翌年、ブラームスもまた世を去る。生涯独身。決定的な恋愛関係を持つことなく、ただひとつの名を、心の最深部に抱いたまま。
小結 成就しなかった愛の強度
ブラームスとクララの関係には、スキャンダルはない。破綻もない。劇的な破局もない。だが、それでもこの関係は、これまで描いてきたどの恋にも劣らぬ緊張と重さを帯びている。 なぜならここには、「欲望を貫いた愛」ではなく、「欲望を引き受け続けた愛」があるからである。 愛とは、必ずしも行為によって完成するものではない。むしろ、ときに愛は、語られなかったもの、選ばれなかった行為、踏みとどまった瞬間の連続によって、より深く形づくられる。 二人の音楽が今日まで生き残っているのは、そこに技巧や構造の完成度だけでなく、「人生において完結しなかった感情」が、なお燃え続けているからなのだろう。 ブラームスの間奏曲に耳を澄ますとき、私たちは、ひとつの人生が選び続けた沈黙と、その沈黙の奥で決して消えなかったひとつの名に、そっと触れているのかもしれない。
第Ⅳ部 フランツ・リストと女たち ――恋が信仰へ変わるとき
フランツ・リストほど、「愛されること」によって形づくられた芸術家は稀である。同時に、フランツ・リストほど、「誰かに属すること」から生涯逃れ続けた人物もまた、ほとんど存在しない。 彼の周囲には、常に女性がいた。伯爵夫人、侯爵令嬢、芸術家、崇拝者、貴婦人、人妻。だが驚くべきことに、リストはそのほとんどの関係を、結婚という形に結びつけることなく終わらせている。 なぜなのか。 彼の恋がしばしば「個人への愛」から、「理想への崇拝」へと変質していったからである。
1 リストマニア――群衆に愛された男
一八四〇年代、ヨーロッパ各地で奇妙な現象が起きていた。コンサート会場で女性たちが失神し、彼の手袋を奪い合い、使用済みのハンカチや吸い殻を聖遺物のように持ち帰る。後に「リストマニア」と呼ばれる熱狂である。 これは誇張ではなく、当時の記録に実際に残っている。 リストは、史上初めての「スター演奏家」だった。卓越した技巧、美しい容姿、舞台上での演出、そして何より「あなたのために弾いている」と錯覚させる眼差し。彼は、個々の聴衆の感情を正確に捉える天性の感受性を持っていた。 スターが生まれるところには、必ず信者が生まれる。 この時点で、彼の人生はすでに「恋愛」ではなく「崇拝」を軸に動き始めていた。
2 マリー・ダグー伯爵夫人――対等を望んだ女
リストの人生で最初に本格的な共同生活を築いた女性が、マリー・ダグー伯爵夫人である。 既婚者であった彼女は、すべてを捨ててリストと駆け落ちする。身分、家庭、社会的名誉。その代償は決して小さくなかった。それでも彼女は選んだ。芸術とともに生きる人生を。 ふたりはヨーロッパ各地を転々としながら、三人の子をもうける。その長女が、後にワーグナーの妻となるコジマである。 だが関係は次第に軋み始める。 マリーは聡明で、批評精神が強く、思想的に独立した女性だった。やがて彼女は気づく。
私は彼の人生の「同行者」なのか。それとも、単なる「崇拝者」でいることを期待されているのか。 リストは、愛されることには長けていたが、対等な関係を保ち続けることには、驚くほど不器用だった。 二人はやがて別れる。マリーは後年、回想録の中でこの関係を記し、そこには愛とともに、深い幻滅の影が刻まれている。
3 カロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン――結婚できなかった婚約者
次に現れるのが、ロシア貴族のカロリーネ公妃である。 この関係は、さらに複雑で象徴的だ。カロリーネは既婚者でありながら、思想的・精神的にリストと深く結びつき、彼を「芸術の使命を帯びた存在」と信じるようになる。 二人は結婚を誓い合い、長年にわたって準備を重ねた。だが、結婚式の前日、教会側の許可が突然取り消される。教会法、政治的圧力、元夫側の妨害。理由は複雑に絡み合い、いまも完全な真相は明らかではない。 ただひとつ確かなのは、「結ばれる寸前で永遠に断たれた結婚」が、リストの人生観を決定的に変えたという事実である。
4 恋から宗教へ
この挫折を境に、リストは次第に俗世から距離を取り、ローマへ移住する。やがて彼はカトリックの聖職位を受け、「リスト神父」となる。 情熱的な恋に生きた男が、今度は神へと身を捧げる。 だがこれは、単なる宗教的回心というより、「献身の対象が移行した」と理解すべきかもしれない。 リストは生涯を通じて、完全な献身を求め続けた。恋人に、聴衆に、芸術に、そして最後には神に。 彼の人生を貫いているのは、愛の連続というより、信仰の連鎖である。
5 孤独という終着点
老年のリストの周囲には、かつてのような熱狂はない。敬意はある。距離もある。だが、親密さはもはや存在しない。 彼は最終的に、「誰にも属さない存在」として生きた。 華やかな恋愛遍歴の果てに残ったのは、静かな孤独だった。それは敗北ではない。むしろ、彼自身が選び取ったかたちの自由だったのかもしれない。
小結 献身の美しさと危うさ
リストの人生は、問いを投げかける。 * 愛されることに慣れた人間は、対等な愛を生きられるのか * 献身は美徳なのか、それとも自己逃避なのか * 自由とは、誰とも深く結ばれないことなのか 恋が芸術となり、芸術が信仰となり、信仰が孤独へと至った人生。 リストの音楽がいまなお人を魅了するのは、その背後に、「決して誰にも完全には属さなかった魂」の震えが、微かに、しかし確かに宿っているからなのだろう。
第Ⅴ部 チャイコフスキー ――結婚という名の地獄
この物語には、華やかな恋の昂揚がほとんど存在しない。あるのは、誤解と恐れ、自己否認、そして「普通であろうとする願い」が静かに人を追い詰めていく過程である。 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーにとって、結婚は幸福への扉であるはずだった。少なくとも彼自身は、そう信じようとした。だが実際には、それは救済ではなく、仮面であり、自己を裏切るための装置であり、最終的には精神を内側から蝕む密室となった。
1 「普通でありたい」という希求
十九世紀ロシアにおいて、同性愛は社会的にも宗教的にも公然とは許されなかった。チャイコフスキーは自らの性的指向を深く自覚しており、それを長年にわたり、罪悪感と恐怖の対象として抱え続けていた。 弟モデストへの手紙には、痛切な一文が残されている。 「私はただ、普通の人間のように生きたいだけなのだ」 この「普通」という言葉の重さは、時代を超えて私たちの胸を打つ。それは幸福への願いであると同時に、自分自身を否定する言葉でもあった。 彼は考える。家庭を持てば変われるのではないか。結婚すれば、自分も社会の側に立てるのではないか。この発想こそが、悲劇の出発点だった。
2 アントニーナ・ミリューコヴァという鏡
一八七七年、元教え子アントニーナ・ミリューコヴァから、長文の手紙が届く。そこには、ほとんど妄想に近い情熱的な愛の告白が綴られていた。
「あなたが私を拒むなら、私は生きていけません」 この言葉に、彼は恐怖と同時に、奇妙な安堵を覚えたとも考えられる。これほどまでに自分を求める存在がいれば、「夫」という役割を演じきれるのではないかと。 チャイコフスキーは、最初から彼女を愛していないことを伝えていた。それでも彼女は退かなかった。むしろ、その献身は強まった。 この結婚は、恋ではなく、「自己矯正の試み」に近かった。
3 沈黙が支配する新婚生活
結婚後の生活は、ほとんど即座に破綻の兆しを見せる。ふたりきりの空間に耐えられず、チャイコフスキーは次第に帰宅を避けるようになる。会話は途切れ、沈黙だけが部屋を満たす。 彼は日記に記している。 「彼女と同じ部屋にいることが、耐えがたい苦痛である」 一方のアントニーナは、なぜ夫が自分を拒絶するのか理解できない。泣き、問い、すがり、感情をぶつける。その反応は自然であり、だからこそ残酷でもあった。 ここにあったのは、「愛する者」と「愛されることに耐えられない者」という、決定的な非対称だった。
4 崩壊と水辺の夜
結婚からわずか数週間で、チャイコフスキーは精神的限界に達する。極度の不安、焦燥、自己嫌悪。死の観念が現実味を帯びて迫ってくる。 ネヴァ川への入水を図った、あるいはその寸前まで至ったという逸話が残されている。その史実性については議論があるが、少なくともこの時期、彼が死を現実的な選択肢として考えていたことは、書簡や日記からほぼ確実である。 彼は友人にこう書いている。 > 「私は結婚という過ちを、生涯の罪として背負っている」 この言葉には、「彼女を傷つけた罪」と「自分を裏切った罪」の両方が重なっている。
5 音楽に刻まれた分裂
皮肉にも、この結婚の年に、彼は最も激しい創作期を迎えている。《交響曲第4番》《ヴァイオリン協奏曲》《エフゲニー・オネーギン》。これらの作品に共通するのは、強烈な運命感と、内面的分裂の感触である。 彼は交響曲第4番についてこう述べている。 「これは、運命という力についての作品である」 だが、その「運命」とは外的な出来事ではなく、むしろ彼自身の内部にある「自分を否定してしまう力」だったのではないか。 音楽は、彼にとって告白であり、避難所であり、唯一自分であり続けられる場所だった。
6 別居という終わり、残された人生
結婚生活は、事実上数か月で終わる。その後ふたりは別居し、離婚することなく、生涯を別々に生きた。 チャイコフスキーは生活費を送り続けた。アントニーナはやがて精神を病み、晩年を施設で過ごすことになる。 この物語には、明確な加害者はいない。あるのは、「自分であろうとできなかった人間」と、「愛されることを信じきっていた人間」とが出会ってしまった悲劇である。
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