エリック・フロムの『愛するということ』をショパン・マリアージュの視点から読む

ショパン・マリアージュ(「音楽で心を調律し恋愛心理学でご縁を育てる」釧路市の結婚相談所)
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 愛は感情ではなく、育てる技術である。婚活とは、その技術を学び直す静かなレッスンである


 はじめに 
  「愛されたい」から「愛する力」へ 婚活の現場で、もっとも多く聞かれる言葉は、実は「結婚したい」ではない。 その奥に、もっと静かな声がある。 「誰かに大切にされたい」 「安心したい」 「もうひとりで頑張ることに疲れた」 「このまま年齢を重ねていくのが怖い」 「自分を選んでくれる人がいるのか知りたい」 人は結婚相手を探しているようでいて、しばしば「自分の存在を肯定してくれる誰か」を探している。条件表を見ているようで、本当は心の避難場所を探している。プロフィール写真を眺めているようで、本当は「私は愛されるに値する人間なのだろうか」という深い問いの答えを探している。 エリック・フロムの『愛するということ』が、今なお古びない理由はここにある。 フロムは、愛を単なる感情の高まりとして見なかった。偶然落ちるもの、運命的に出会うもの、誰かが自分に与えてくれるものとしてではなく、愛を「技術」として考えた。つまり、愛することには知識が必要であり、訓練が必要であり、成熟が必要であり、生き方そのものが問われるというのである。 この視点は、現代の婚活に対して、きわめて大きな示唆を与える。 なぜなら婚活では、多くの人が「愛する力」より先に「愛される条件」を整えようとするからである。 年収。年齢。学歴。身長。容姿。居住地。家族構成。職業。趣味。価値観。結婚後の生活設計。 もちろん、これらは無意味ではない。結婚は現実生活であり、日々の暮らしであり、住宅費であり、食卓であり、老後であり、互いの親との関係でもある。夢だけで結婚生活は続かない。バラ色の幻想だけでは、家計簿の数字は整わない。 しかし、条件は楽譜であって、音楽そのものではない。 どれほど立派な楽譜があっても、演奏者が音を聴かず、相手の呼吸を感じず、自分だけのテンポで弾き続ければ、そこに調和は生まれない。反対に、楽譜は簡素でも、互いが耳を澄まし、相手の音を受け取り、自分の音を差し出すなら、そこには美しい二重奏が生まれる。 ショパン・マリアージュが大切にする婚活とは、まさにこの「二重奏としての結婚」である。 結婚は、条件の合致によって完成する契約ではない。 結婚は、ふたりが互いの人生を聴き合いながら、少しずつ響きを整えていく営みである。 そしてフロムの思想は、その営みに対して、深く、鋭く、あたたかな光を投げかけてくれる。 彼が問うのは、こういうことである。 「あなたは、愛される準備だけをしていないか」 「あなたは、愛する力を育てているか」 「あなたは、相手を所有しようとしていないか」 「あなたは、孤独から逃げるために結婚を求めていないか」 「あなたは、自分自身を成熟させる努力をしているか」 この問いは、ときに耳に痛い。けれども、耳に痛い真実ほど、人を自由にすることがある。 婚活の目的は、ただ結婚することではない。 本当の目的は、愛するにふさわしい自分へと成長し、愛を受け取れるだけの静かな器を育て、ひとりの相手と人生を調律していくことである。 その意味で、ショパン・マリアージュにおける婚活とは、相手探しであると同時に、自分自身を愛する力へ導く、人生のレッスンなのである。

 
 1 フロムが見抜いた現代人の誤解
  愛を「対象の問題」と考える人々
  フロムは、人々が愛について大きな誤解をしていると考えた。 多くの人は、愛を「能力の問題」ではなく「対象の問題」と考える。つまり、自分がどう愛するかではなく、誰を見つけるかがすべてだと思ってしまう。 「理想の相手に出会えれば、自然に愛せる」 「自分にぴったりの人が現れれば、結婚生活はうまくいく」 「運命の人なら努力しなくても分かり合える」 「相性が良ければ、喧嘩などしない」 「本当に愛しているなら、不安にさせないはずだ」 婚活の現場でも、これに似た言葉は多い。 ある女性会員が、初回面談でこう語った。 「私は、ちゃんと安心させてくれる人がいいんです。私を不安にさせない人。言わなくても分かってくれる人。仕事で疲れているときに、自然に気づいてくれる人。そういう人なら、私も優しくできると思います」 彼女は30代後半。仕事は堅実で、責任感もある。見た目も清潔感があり、会話も知的だった。プロフィール上は十分に魅力的な女性である。 けれども、彼女の言葉には小さな前提が隠れていた。 「相手が先に私を満たしてくれれば、私は愛せる」 これは一見、自然な願いに見える。誰でも安心したい。誰でも優しくされたい。誰でも自分の気持ちに気づいてほしい。 しかし、フロムの視点から見ると、ここには愛の受け身化がある。 愛を、自分の内側から生み出す力ではなく、誰かによって与えられる快適さとして捉えているのである。 ショパン・マリアージュの面談では、こうしたとき、いきなり否定はしない。人が「愛されたい」と願う背景には、たいてい長い孤独がある。幼少期から頑張り続けてきた人、家族の中で甘えることを許されなかった人、過去の恋愛で裏切られた人、あるいは仕事の世界で常に評価される側に置かれてきた人は、婚活の場でようやく「誰かに分かってほしい」と願う。 その願い自体は、美しい。 けれども、その願いを相手に丸ごと背負わせた瞬間、愛は重荷になる。 そこで、面談ではこう尋ねる。 「安心させてくれる人を望むことは、とても自然なことです。では、あなたは相手にとって、どのような安心を差し出せる人でありたいでしょうか」 この問いに、多くの人は一瞬黙る。 婚活では、「相手に求める条件」はすぐに出てくる。 しかし、「自分が相手に与えられる愛の質」は、意外なほど言葉にならない。 フロムが言う愛の技術とは、この沈黙の奥から始まる。 愛とは、ただ相手から受け取るものではない。 愛とは、自分の存在を通して、相手の生命を豊かにする能動的な力である。 ここで大切なのは、「与える」という言葉の意味である。 与えるとは、犠牲になることではない。 尽くしすぎて疲れ果てることでもない。 相手の要求にすべて応えることでもない。 自分を消して、相手に合わせることでもない。 フロムにとって、与えるとは、自分の内側にある生命力を表現することである。自分の思いやり、理解、喜び、誠実さ、関心、勇気を、相手に向けて生き生きと差し出すことなのである。 ショパン・マリアージュの婚活支援で大切にしているのは、まさにこの転換である。 「愛されるために、どう見せるか」から、 「愛する人として、どう在るか」へ。 プロフィール写真を整えることも大切である。 自己紹介文を磨くことも大切である。 服装、会話、マナー、時間管理も大切である。 しかし、それらは入口にすぎない。 本当に問われるのは、その人が相手の人生に対して、どれだけ誠実な関心を持てるかである。相手の言葉を、条件確認の材料としてではなく、ひとつの人生の響きとして聴けるかである。 お見合いは、面接ではない。 相手を採点する時間ではない。 そして、自分を売り込む商談でもない。 お見合いとは、まだ知らないひとりの人間の世界に、静かに耳を澄ます時間である。 この姿勢を持てる人は、婚活の進み方が変わる。 たとえ1回のお見合いで結婚につながらなくても、出会いの質が変わる。会話が柔らかくなる。断られても人格全体を否定されたようには感じにくくなる。相手を条件の集合体として見るのではなく、ひとつの人生として見るようになる。 そのとき、婚活は消耗戦ではなく、成熟の道になる。


 2 現代婚活の「市場化」とフロムの警告
   人が商品になってしまうとき 現代の婚活には、便利さがある。 スマートフォンを開けば、多くの相手候補を見ることができる。条件検索をすれば、年齢、年収、地域、学歴、趣味、婚歴、子どもの希望などを絞り込める。短い時間で、たくさんの人と出会う可能性が広がる。 これは確かに大きな進歩である。昔のように、狭い地域や職場や親族の紹介だけに頼る必要はない。人生の選択肢は広がった。 しかし、選択肢が増えることは、必ずしも愛を深めることと同じではない。 むしろ、選択肢が多すぎることで、人は相手を「比較対象」として見るようになる。 「この人は年収が少し低い」 「この人は写真の印象が弱い」 「この人は趣味が合わない」 「もっと良い人がいるかもしれない」 「この条件なら、こちらの人のほうが得かもしれない」 こうして人は、無意識のうちに、相手を商品棚の上に置く。 フロムは、近代社会において人間関係が市場原理に影響されることを鋭く見抜いた。人は自分を魅力的な商品として磨き、相手もまた交換価値の高い商品として評価する。恋愛や結婚さえも、「自分の価値に見合う最良の取引」のように感じられてしまう。 婚活の現場で、この市場化は日々起きている。 たとえば、ある男性会員がいた。40代前半、会社員。年収は安定しており、生活も堅実。真面目で誠実な人だった。 彼はお見合い後、毎回このような感想を述べた。 「悪い人ではありませんでした。ただ、決め手がありません」 「会話はできました。でも、ときめきはなかったです」 「条件は合っていますが、もう少し明るい人がいいです」 「写真より少し地味でした」 「価値観は合いそうですが、趣味が合わないかもしれません」 ひとつひとつの感想は、決して間違っていない。結婚相手を選ぶ以上、違和感を無視する必要はない。無理に好きになろうとする必要もない。 しかし、半年ほど活動しても、彼は誰とも関係を深められなかった。なぜなら、彼は毎回「この人と関係を育てたら、どんな響きが生まれるだろうか」と考える前に、「この人は自分の希望条件をどこまで満たしているか」を確認していたからである。 人間関係を育てる前に、査定が終わってしまう。 まだ音を聴く前に、楽器のスペック表だけで判断してしまう。 そこで面談で、こう尋ねた。 「毎回、相手の良い点も見えているようですね。では、その良い点に対して、ご自身はどんな関心を持ちましたか」 彼は少し考えて言った。 「関心……ですか。たしかに、あまり深く聞いていなかったかもしれません」 「なぜ、その仕事を選んだのか」 「休日に大切にしている時間は何か」 「これまでの人生で、どんなことを乗り越えてきたのか」 「どんな家庭を見て育ち、どんな家庭をつくりたいのか」 「何をしているときに、その人らしさが出るのか」 彼は、そうした問いをほとんどしていなかった。 会話はしていた。 しかし、関心は薄かった。 ここに、現代婚活の大きな落とし穴がある。 情報は集めている。 けれども、相手を知ろうとしていない。 条件は確認している。 けれども、相手の存在に触れていない。 比較はしている。 けれども、関係を育てていない。 フロムの視点から見れば、これは愛の姿勢ではない。愛は、対象を消費することではない。相手を選び、所有し、満足を得ることでもない。愛とは、相手を生きた存在として見つめ、その成長と幸福に関心を持つことである。 ショパン・マリアージュでは、プロフィールを「条件表」としてだけ扱わない。プロフィールは、人生の序曲である。そこに書かれている職業、趣味、家族構成、休日の過ごし方は、その人という音楽の最初の数小節にすぎない。 大切なのは、その先を聴こうとすること。 なぜその人は、その仕事を選んだのか。 なぜその趣味を大切にしているのか。 どんな瞬間に心がほどけるのか。 どんな言葉に傷つき、どんな言葉に励まされてきたのか。 どんな未来を、誰かと分かち合いたいのか。 こうした問いを持つとき、婚活は市場から人間関係へ戻ってくる。 条件検索は入口として有効である。 しかし、条件検索だけでは愛に届かない。 愛は、検索結果の中に完成品として置かれているものではない。 愛は、出会った後に育てるものである。 この「育てる」という視点を失った婚活は、どれほど多くの人と会っても、心は乾いていく。反対に、この視点を持つ人は、たとえ出会いの数が少なくても、ひとつひとつのご縁から学び、成熟していく。 婚活の本質は、数ではない。 響きである。


 3 愛の4要素  配慮・責任・尊重・理解 
  フロムは、成熟した愛には重要な要素があると考えた。代表的なものとして、配慮、責任、尊重、理解が挙げられる。 この4つは、婚活においても極めて重要である。 ただし、これらは美しい言葉であるがゆえに、誤解されやすい。 配慮は、機嫌取りではない。 責任は、支配ではない。 尊重は、無関心ではない。 理解は、分析ではない。 この違いを丁寧に見極めることが、愛の成熟につながる。


 (1) 配慮――相手の生命に関心を持つこと
  配慮とは、相手がどう生きているかに心を向けることである。 お見合いの席で、配慮は小さな形で現れる。 相手が緊張していれば、少しゆっくり話す。 相手が飲み物を選ぶのに迷っていれば、急かさず待つ。 相手が自分の仕事の話をしたとき、表面的に「大変ですね」で終わらせず、「どんなところにやりがいを感じますか」と尋ねる。 相手が話し終えた後、すぐに自分の話題へ移らず、その言葉の余韻を受け止める。 配慮とは、大げさなサービスではない。 相手の存在に、心の椅子を用意することである。 ある30代前半の女性会員がいた。彼女はお見合いで、最初は非常に緊張しやすかった。真面目で、相手に失礼がないようにと気を張りすぎ、会話が面接のようになってしまう。 「休日は何をされていますか」 「ご家族とは仲が良いですか」 「結婚後の住まいはどうお考えですか」 「転勤の可能性はありますか」 質問は悪くない。むしろ必要な確認も含まれている。しかし、テンポが早すぎる。相手が答えるたびに、次の質問へ進んでしまう。そのため、相手からは「条件確認をされているようだった」と受け取られてしまった。 面談で、彼女にこう伝えた。 「質問を減らす必要はありません。ただ、質問の後に余韻を置いてみましょう。相手の答えの中に、もう1歩だけ入ってみるのです」 たとえば、相手が「休日はよく散歩します」と答えたら、すぐに次の質問へ移らない。 「散歩、いいですね。どんな場所を歩くことが多いですか」 「歩いているときは、考えごとをするタイプですか。それとも何も考えずに景色を見るタイプですか」 「その時間は、相手にとってリセットの時間なのですね」 こうしたやり取りには、相手を知ろうとする温度がある。 彼女は次のお見合いで、それを試した。相手の男性が「休みの日は料理をする」と話したとき、彼女は以前なら「得意料理は何ですか」と聞いて終わっていただろう。しかしその日は、少し立ち止まって尋ねた。 「料理をする時間は、気分転換になりますか」 男性は少し驚いたように笑い、こう答えた。 「そうですね。仕事では成果や効率ばかり考えるので、料理は自分の手でゆっくり整えていく感じがして、落ち着きます」 その瞬間、会話が一段深くなった。 料理という趣味が、単なるプロフィール項目ではなく、その人の心の整え方として見えてきたのである。 これが配慮である。 相手の趣味を評価するのではない。 相手の内側にある生活の呼吸に気づくこと。 配慮のある人は、相手を急がせない。 相手を結論へ追い込まない。 相手を自分の不安の処理係にしない。 配慮とは、相手の生命がのびやかに呼吸できる空間をつくることである。


 (2) 責任――応答する力 
  フロムにおける責任とは、義務として背負わされる重荷ではない。相手の存在に対して応答する力である。 英語のresponsibilityには、responseという響きが含まれる。つまり責任とは、相手からの呼びかけに対して、誠実に応える力だと考えることができる。 婚活において責任感のない人は、言葉と行動が一致しない。 「また会いましょう」と言いながら、返事が遅い。 「真剣に考えています」と言いながら、他の候補者ばかり追いかける。 「忙しい」と言って、相手の不安にまったく応答しない。 「悪気はなかった」と言って、自分の曖昧さが相手を傷つけたことを見ようとしない。 もちろん、婚活中は複数の可能性を検討する場面もある。すぐに結論が出ないこともある。迷うこと自体が悪いわけではない。 しかし、迷い方には品格がある。 相手の時間を尊重する迷い方。 相手に過度な期待を持たせない伝え方。 自分の未確定さを、相手への不誠実に変えない態度。 これが、婚活における責任である。 ある男性会員は、交際初期に返事が非常に遅い人だった。仕事は忙しい。責任ある立場でもある。けれども、仮交際の相手から「本当に関心があるのか分からない」と不安の声が届いた。 彼は面談でこう言った。 「毎日連絡するのは苦手です。用事がないのに連絡する意味が分からなくて」 この言葉には一理ある。無理に連絡頻度を増やせばよいわけではない。連絡の多さと愛情の深さは必ずしも同じではない。 しかし、ここで考えるべきは「自分にとって意味があるか」だけではない。 相手にとって、その沈黙がどう響いているかである。 そこで、彼にはこう提案した。 「毎日長いメッセージを送る必要はありません。ただ、相手が不安になりやすい時期には、短くても予測可能な応答をしてみてください。たとえば、『今日は遅くなるので、明日の夜にゆっくり返信します』という一文だけでも、相手の心はずいぶん違います」 彼は実践した。 すると、相手女性の反応が変わった。 「返信の量ではなく、気にかけてくれていることが分かって安心しました」 責任とは、相手の期待にすべて従うことではない。 自分のペースを消すことでもない。 責任とは、自分の存在が相手に影響を与えていることを知ることである。 恋愛や結婚では、完全な自由は存在しない。誰かと深く関わるということは、自分の言葉、自分の沈黙、自分の態度が、相手の心に波紋を広げるということである。 成熟した人は、その波紋に無自覚ではいない。


 (3) 尊重――相手を自分の延長にしないこと 
  尊重とは、相手を自分の思い通りにしないことである。 これは簡単なようで、非常に難しい。 なぜなら、人は愛する相手ほど、自分の期待を重ねやすいからである。 「もっとこうしてほしい」 「普通はこう考えるはず」 「結婚するなら、これくらい分かってほしい」 「私ならこうするのに」 「相手も同じ気持ちであるべきだ」 こうして、愛はしばしば支配へ変わる。 支配は、必ずしも強い言葉で行われるわけではない。優しさの顔をして現れることもある。 「あなたのためを思って言っている」 「心配だから確認している」 「結婚するなら当然でしょう」 「私を不安にさせないでほしい」 これらの言葉は、一見すると愛情に見える。しかし、相手の自由を奪い、自分の不安を相手に管理させようとしているなら、それは尊重ではない。 ある女性会員は、真剣交際に入った後、相手男性の休日の過ごし方が気になり始めた。 男性は月に1度、ひとりで遠出をして写真を撮る趣味があった。風景写真が好きで、早朝に出かけ、夕方に帰ってくる。それは彼にとって、長年大切にしてきた孤独の時間だった。 彼女は最初、「素敵な趣味ですね」と言っていた。しかし、関係が深まるにつれて不安になった。 「結婚しても、ひとりで出かけるんですか」 「私より趣味を優先することはありませんか」 「夫婦になったら、休日は一緒に過ごすものではないですか」 彼女は相手を責めたいわけではなかった。ただ、置いていかれるような寂しさがあった。 面談で、彼女に尋ねた。 「彼が写真を撮る時間は、あなたから離れる時間でしょうか。それとも、彼が彼自身に戻る時間でしょうか」 彼女はしばらく考えた。 「彼自身に戻る時間……かもしれません」 尊重とは、相手が自分以外の何かによって生き生きすることを許せる力である。 結婚は、ふたりが常に一体化することではない。 ふたりが、それぞれの個を失わずに、深く結びつくことである。 フロムが成熟した愛について語るとき、重要なのは「結合」と「個の保持」の両立である。愛は孤独を越えるが、個性を消すものではない。相手とひとつになりたいという願いが、相手を飲み込むことになってはならない。 ショパン・マリアージュでは、成婚を考える段階で、次のような問いを大切にする。 「相手の変えたいところばかり見ていないか」 「相手の大切にしてきた時間を、結婚後も尊重できるか」 「自分の不安と、相手の自由を区別できているか」 「相手を理想の配偶者像に押し込めようとしていないか」 この問いは、ロマンチックではない。 しかし、結婚生活を守る。 尊重とは、相手の存在に礼を尽くすことである。 愛するとは、相手を自分好みに彫刻することではない。 相手が相手自身として咲くための光を、そっと差し出すことである。


 (4) 理解――相手の奥行きを知ろうとすること
  理解とは、相手を分類することではない。 「この人は内向的」 「この人は長男タイプ」 「この人は理系だから淡白」 「この人は恋愛経験が少ないから不器用」 「この人は仕事人間」 こうした分類は、多少の参考にはなる。しかし、それだけで分かった気になるのは危うい。 人間は、ラベルより深い。 理解とは、相手の行動の奥にある感情、感情の奥にある歴史、歴史の奥にある願いに近づこうとすることである。 たとえば、ある男性がデート中にあまり自分の感情を話さないとする。女性は「私に興味がないのかもしれない」と感じる。けれども、実際には彼は、家庭環境の中で感情を表現する習慣がなく、どう言葉にしてよいか分からないだけかもしれない。 ある女性が、交際中に将来の確認を急ぐとする。男性は「重い」と感じる。けれども、実際には彼女は過去に曖昧な関係で長く傷ついた経験があり、早めに安心材料を得たいだけかもしれない。 理解とは、表面の反応だけを見て裁かないことである。 ショパン・マリアージュでは、交際中のすれ違いが起きたとき、すぐに「合わない」と結論づけない。もちろん、明確な価値観の不一致や不誠実がある場合は別である。しかし、多くのすれ違いは、性格の不一致というより、表現方法の違いから生まれる。 「連絡が少ない」 「質問が少ない」 「決断が遅い」 「距離が近すぎる」 「言葉が足りない」 「確認が多すぎる」 これらの背後には、たいてい不安、習慣、経験、期待がある。 ある交際中のカップルは、デートの後に必ず小さな衝突をしていた。女性は、デート後に「今日はありがとう。楽しかったです」というメッセージをすぐに送りたいタイプ。男性は、帰宅して一息ついてから翌日に連絡するタイプだった。 女性は言った。 「すぐに連絡がないと、不安になります。今日のデートは楽しくなかったのかなと思ってしまうんです」 男性は言った。 「楽しくなかったわけではありません。ただ、デート後は疲れてしまって、ゆっくり整理してから連絡したいんです」 ここで、どちらが正しいかを裁く必要はない。 大切なのは、互いの行動の意味を知ることだった。 女性にとって即日の連絡は、安心の確認だった。 男性にとって翌日の連絡は、誠実に言葉を整える時間だった。 この違いが見えたとき、ふたりは妥協点を見つけた。デート当日の夜、男性は短く「今日はありがとう。明日またゆっくり連絡します」と送る。翌日、改めて感想を伝える。 たったこれだけで、関係は安定した。 理解とは、相手を自分と同じ反応に変えることではない。 相手の反応がどこから来ているのかを、知ろうとすること。 愛は、相手を完全に理解することではない。 完全には理解できない他者に対して、それでも理解しようとし続ける姿勢である。

 
 4 孤独からの逃避としての結婚  
 「ひとりでいられない人」は、ふたりでも安らげない。 フロムの思想の根底には、人間の孤独への深い洞察がある。 人間は、自分がひとりの個であることを知っている。自分と他者は完全にはひとつになれない。どれほど親しい相手でも、自分の心のすべてをそのまま分かってくれるわけではない。人は世界の中に投げ出された存在として、根源的な孤独を抱えている。 この孤独をどう扱うかによって、愛の形は変わる。 孤独を成熟へ向ける人は、他者と深く結びつく力を育てる。 孤独から逃げる人は、他者にしがみつく。 婚活でも、この違いははっきり現れる。 「早く結婚しないと不安」 「休日にひとりでいるのがつらい」 「友人が次々に結婚して焦る」 「親を安心させたい」 「孤独死が怖い」 「誰かがいれば、自分の人生が安定する気がする」 これらの感情は、人間として自然なものだ。決して笑うべきではない。孤独は、ときに胸の内側で冷たい風のように吹く。夜、部屋の灯りを消したあと、将来の不安が天井から降ってくることもある。 しかし、孤独を埋めるためだけに結婚を求めると、相手は「愛する人」ではなく「不安止め」になってしまう。 相手から連絡が来ないと、自分が見捨てられたように感じる。 相手が趣味を楽しんでいると、自分より大切にされていないように感じる。 相手が疲れて黙っていると、愛情が冷めたのではないかと疑う。 相手の小さな変化に過敏になり、確認し続ける。 こうなると、恋愛は安らぎではなく監視になる。 ある30代後半の女性会員は、仮交際が始まるたびに、最初は明るく楽しそうだった。しかし、2回目、3回目のデートになると急に不安が強くなった。 「返信が遅いです」 「他の人とも会っているのでしょうか」 「私のことをどう思っているのか分かりません」 「はっきり言ってくれないと不安です」 相手男性が誠実に対応しても、安心は長続きしない。翌日にはまた不安になる。 面談で話を深めると、彼女はこう言った。 「私は、選ばれないことが怖いんです。昔から、家族の中でもあまり褒められた記憶がなくて。誰かに選ばれれば、自分には価値があると思える気がするんです」 この言葉は、婚活の核心を突いている。 多くの人は、結婚相手を探しながら、同時に「自分の価値の証明」を探している。 しかし、結婚は自己価値の証明書ではない。 誰かに選ばれることで、一時的に安心することはある。けれども、自分自身の存在を根本で信頼できていなければ、その安心はすぐに揺らぐ。相手の少しの沈黙、少しの疲れ、少しの曖昧さが、自分の価値全体への疑いに変わってしまう。 フロムが説く成熟した愛は、この依存とは異なる。 成熟した愛は、孤独を否定しない。 孤独を抱えた個として立ちながら、他者と結びつく。 これは、冷たい自立ではない。 むしろ、もっと深い温かさである。 「あなたがいないと私は無価値になる」ではなく、 「私は私として立ち、あなたと出会うことで人生がさらに豊かになる」 この違いは大きい。 結婚とは、欠けた半分を探すことではない。 未完成な2人が、互いを完成品にすることでもない。 結婚とは、それぞれが不完全なまま、それでも誠実に向き合い、共に成長する関係である。 ショパン・マリアージュでは、孤独を否定しない。むしろ、孤独を丁寧に扱う。なぜなら、孤独を知らない人は、他者との結びつきの尊さも分からないからである。 ひとりの時間を整えられる人は、ふたりの時間も整えられる。 自分の寂しさに気づける人は、相手の寂しさにも優しくなれる。 自分の不安を相手に丸投げしない人は、相手に安心を与えられる。 孤独は、愛の敵ではない。 孤独から逃げることが、愛を曇らせるのである。


 5 自己愛と利己主義の違い 
  自分を愛せない人は、相手の愛も疑ってしまう フロムは、自己愛を利己主義と混同しなかった。 これは婚活において、非常に重要である。 日本では、「自分を愛する」という言葉に抵抗を持つ人が少なくない。どこか自己中心的で、わがままで、ナルシシズムのように感じられるからである。 しかし、成熟した自己愛は、利己主義とは正反対である。 利己主義とは、自分だけを満たそうとすること。 成熟した自己愛とは、自分の存在を大切に扱い、同じように他者の存在も大切にできる土台である。 自分を大切にできない人は、相手にも2つの極端な形で接しやすい。 1つは、相手に尽くしすぎる形である。 「嫌われたくない」 「選ばれたい」 「良い人だと思われたい」 「迷惑をかけたくない」 そう思うあまり、自分の希望を言えない。疲れていても合わせる。違和感があっても飲み込む。相手が望む人物像を演じ続ける。 これは一見、優しさに見える。 しかし、長く続くと苦しくなる。 なぜなら、そこには自分がいないからである。 もう1つは、相手に過剰に求める形である。 「私を安心させて」 「私を認めて」 「私を優先して」 「私の不安を消して」 自分の内側にある空洞を、相手に埋めてもらおうとする。相手の愛情が少しでも足りないと、怒りや不安が湧く。 この2つは、正反対に見えて、根は同じである。 自分自身を大切にする感覚が弱いのである。 ある男性会員は、非常に優しい人だった。お見合いでも交際でも、相手の希望をよく聞く。店も相手に合わせる。会話も相手を立てる。否定しない。怒らない。 しかし、なぜか交際が続かなかった。 相手女性からは、こう言われることが多かった。 「良い人なのですが、何を考えているのか分かりません」 「優しいけれど、距離が縮まらない感じがします」 「私に合わせてくれるけれど、この人自身の希望が見えません」 面談で彼に尋ねた。 「本当は、どんな結婚生活を送りたいですか」 彼は少し困った顔をした。 「相手が望む生活でいいと思います」 「では、あなた自身が心から落ち着く暮らしは、どんな暮らしでしょう」 彼は長く黙った。 そして、ようやく言った。 「静かな家がいいです。休日に音楽を聴いたり、少し料理をしたり。派手ではなくていいので、穏やかに暮らしたいです」 その言葉には、彼自身の輪郭があった。 そこで、プロフィール文を少し変えた。 以前は「相手の気持ちを大切にし、穏やかな家庭を築きたいです」という一般的な文章だった。そこに、彼自身の生活感を入れた。 「休日は、珈琲を淹れてクラシック音楽を聴く時間が好きです。派手な毎日よりも、食卓で今日あったことをゆっくり話せるような、静かで温かな家庭を築きたいと思っています」 すると、お見合いでの会話も変わった。 彼は、自分の好きな音楽、自分の落ち着く時間、自分が大切にしたい暮らしを話せるようになった。すると不思議なことに、相手女性からの印象も良くなった。 「前より自然体に感じます」 「優しいだけでなく、ご自身の世界がある方だと思いました」 自分を出すことは、わがままではない。 むしろ、相手があなたを理解するための贈り物である。 自己愛とは、自分を特別扱いすることではない。 自分という存在を、ひとりの人間として丁寧に扱うことである。 自分の疲れを知る。 自分の喜びを知る。 自分の限界を知る。 自分の願いを言葉にする。 自分の人生を、相手に差し出せる形に整える。 これができて初めて、人は相手の人生も尊重できる。 自分を粗末にする人は、やがて相手にも「自分を救ってくれ」と求める。 自分を大切にする人は、相手にも「あなたもあなたを大切にしてよい」と伝えられる。 ショパン・マリアージュにおける自己理解とは、まさにこの自己愛の訓練である。 婚活で大切なのは、自分を高く売ることではない。 自分を正しく知り、誠実に差し出すことである。


 6 恋愛感情と成熟した愛 
  ときめきは入口であり、住まいではない 婚活でよく語られる言葉に、「ときめき」がある。 「ときめきがないと結婚できない」 「条件は良いけれど、恋愛感情が湧かない」 「良い人だけれど、異性として見られるか分からない」 「もっと自然に惹かれる人がいい」 これらは、決して軽視できない。結婚は生活であると同時に、男女の関係でもある。心がまったく動かない相手と結婚することは、双方にとって誠実ではない。 しかし、問題は「ときめき」を愛そのものと誤解することにある。 ときめきは、たしかに美しい。 春の雪解け水のように、心を目覚めさせる。 相手からメッセージが来るだけで嬉しい。 会う前に服を選ぶ時間が楽しい。 何気ない一言が、胸の奥で小さく鳴る。 けれども、ときめきは変化する。 最初の高揚は、やがて落ち着きへ変わる。知らない相手への緊張は、慣れに変わる。非日常は、日常へ移る。 このとき、多くの人が誤解する。 「気持ちが冷めたのではないか」 「運命の人ではなかったのではないか」 「もっと情熱的な相手がいるのではないか」 しかし、成熟した愛は、必ずしも常に激しい感情ではない。 むしろ、長い結婚生活を支えるのは、日々の静かな関心である。 朝、相手の体調に気づくこと。 仕事で疲れた相手に、余計な正論を急がないこと。 相手の小さな成長を喜ぶこと。 喧嘩をしても、人格全体を否定しないこと。 家計や家事を、自分だけの都合で考えないこと。 相手が大切にしているものを、軽んじないこと。 これは、燃え上がる恋とは違う。 けれども、深い。 ショパンの音楽にたとえるなら、ときめきは華やかな装飾音かもしれない。耳を惹き、瞬間の輝きを与える。しかし、曲全体を支えるのは、見えにくい和声であり、左手の低音であり、呼吸である。 結婚生活も同じである。 華やかな告白や記念日も美しい。 けれども、日々の低音が整っていなければ、音楽は崩れる。 ある女性会員は、仮交際中の男性についてこう話した。 「とても誠実で、話していて安心します。でも、胸が高鳴る感じはありません。これで進んでいいのか分かりません」 相手男性は、派手ではない。話も巧みではない。けれども、約束を守り、彼女の話をよく覚えており、体調を気遣い、将来についても誠実に考えていた。 面談で、彼女に尋ねた。 「その方と会った後、あなたは疲れますか。それとも、少し落ち着きますか」 彼女は答えた。 「落ち着きます。帰り道に、なんだか穏やかな気持ちになります」 「では、その穏やかさは、あなたにとってどんな意味がありますか」 彼女はしばらくして言った。 「今まで好きになった人は、不安になる人が多かったです。連絡が来るかどうかで気持ちが揺れて、追いかける恋愛ばかりでした。穏やかだと、物足りないと思ってしまうのかもしれません」 これは非常に重要な気づきである。 人は、慣れた不安を「恋」と勘違いすることがある。 不安定な相手を追いかける高揚感。 返事が来ない時間の苦しさ。 たまに優しくされたときの強烈な喜び。 自分が選ばれるか分からない緊張。 これらは、たしかに心拍数を上げる。 しかし、それが愛とは限らない。 安心に慣れていない人は、安心を退屈と感じることがある。 大切にされることに慣れていない人は、誠実さを刺激不足と感じることがある。 フロムの言う成熟した愛は、こうした依存的な高揚とは違う。 成熟した愛は、相手を消費しない。 相手を追いかけて自己価値を証明しない。 相手の不安定さをドラマにしない。 成熟した愛は、静かに育つ。 もちろん、安心だけで結婚を決める必要はない。異性としての魅力、触れ合いへの自然さ、会話の楽しさも大切である。だが、その魅力は必ずしも最初から雷のように落ちてくるものではない。 信頼の積み重ねによって、相手の顔が変わって見えることがある。 誠実な言葉の積み重ねによって、声が心地よくなることがある。 安心の中で、初めて身体が相手を受け入れ始めることがある。 愛は、稲妻だけではない。 灯火でもある。 稲妻は夜空を一瞬照らす。 灯火は、長い夜を共に越える。 婚活に必要なのは、稲妻を否定することではない。 しかし、灯火の価値を見失わないことである。


 7 結婚相談所における「愛の技術」 
  出会いを管理するのではなく、関係を育てる。  フロムが愛を技術と呼ぶなら、婚活支援もまた、単なる紹介業では終わらない。 ショパン・マリアージュの役割は、条件に合う相手を機械的に提示することだけではない。もちろん、出会いの機会をつくることは重要である。プロフィール作成、お見合い調整、交際管理、成婚までの伴走は、結婚相談所の基本である。 しかし、それだけでは「愛する力」は育たない。 愛する力を育てるためには、婚活者自身が、自分の感情、期待、不安、癖、過去の恋愛パターン、家族観、結婚観を見つめる必要がある。 たとえば、次のような問いがある。 「なぜ、その条件にこだわるのか」 「本当に望んでいるのは条件なのか、それとも安心なのか」 「相手に求めているものを、自分は相手に与えられるか」 「過去の傷を、今の相手に重ねていないか」 「断られることを、人格否定として受け取りすぎていないか」 「相手の欠点を見つけることで、親密になる怖さから逃げていないか」 「結婚後、どのような自分でありたいか」 こうした問いは、すぐに答えが出るものではない。けれども、問い続けることで、婚活の質は変わる。


 事例 「条件は合うのに進まない」女性 
  ある30代半ばの女性会員がいた。仮に美咲さんと呼ぶ。 美咲さんは、プロフィール上の条件も良く、第一印象も明るい。お見合いは比較的成立する。しかし、交際が続かない。 理由はいつも似ていた。 「悪い人ではないのですが、違う気がします」 「優しいけれど、決め手がありません」 「結婚後のイメージが湧きません」 「もっと自然に話せる人がいいです」 最初は、単に相性の問題にも見えた。だが、面談を重ねるうちに、ある傾向が見えてきた。 美咲さんは、相手が少しでも自分に好意を示すと、急に冷静になり、欠点を探し始めるのである。 「話し方が少し頼りない」 「服装のセンスが気になる」 「将来設計が完璧ではない」 「私のことを好きと言うには早すぎる気がする」 一方で、相手が少し距離を置くと、不安になって追いかけたくなる。 このパターンは、珍しくない。 親密さを求めながら、実際に親密になると怖くなる。 愛されたいのに、愛されそうになると逃げたくなる。 安心を望みながら、安心を退屈や違和感として処理してしまう。 面談で、美咲さんにこう尋ねた。 「相手があなたを大切にしようとするとき、どんな気持ちになりますか」 彼女は少し笑って言った。 「嬉しいはずなのに、なぜか疑ってしまいます。本当に私のことを分かっているのかな、軽いんじゃないかなって」 さらに話を聴くと、過去の恋愛で、最初だけ熱心に接近してきた男性に傷つけられた経験があった。そこから彼女は、「好意を早く示す人は信用できない」という内的ルールを持つようになっていた。 この気づきが、婚活を変えた。 彼女は、相手の好意をすぐに疑うのではなく、時間をかけて観察するようになった。好意の言葉だけでなく、行動の一貫性を見る。自分の不安が過去から来ているのか、目の前の相手の問題なのかを分ける。 ある男性との交際で、彼女はまた迷った。 「優しすぎて、少し不安です」 そこで、彼女と一緒に確認した。 その優しさは、相手が自分をよく見せるための過剰な演出なのか。 それとも、日常的な人柄としての配慮なのか。 言葉だけでなく、時間、約束、態度に一貫性があるか。 彼は彼女の境界線を尊重しているか。 彼女自身は、安心を受け取る練習ができているか。 その交際は、ゆっくり進んだ。劇的な恋ではなかった。けれども、彼女は初めて「不安ではなく、信頼で相手を見る」経験をした。 最終的に、彼女はこう言った。 「今まで私は、愛されたいと思いながら、愛を受け取る準備ができていなかったのかもしれません」 これは、婚活における大きな成熟である。 結婚相談所の役割は、相手を紹介することだけではない。 その人が愛を誤解している場所に光を当てることでもある。

 
 事例 「愛はサービスだと思っていた」男性 
  もう1人、40代前半の男性会員を考えたい。仮に直樹さんと呼ぶ。 直樹さんは仕事熱心で、経済的にも安定していた。婚活に対しても真面目だった。しかし、お見合い相手への評価がいつも厳しかった。 「会話を盛り上げようという姿勢が感じられませんでした」 「女性らしい気遣いが少ないです」 「こちらが店を予約したのだから、もう少し感謝を示してほしいです」 「結婚するなら、家庭的な人がいいです」 彼は、自分が相手に何を与えたいかより、相手が自分に何を提供してくれるかを見ていた。 面談で、彼に聞いた。 「直樹さんにとって、結婚とはどんな関係ですか」 彼は答えた。 「仕事を頑張って帰ってきたときに、ほっとできる家庭があることです」 「その家庭で、相手の女性はどのような気持ちで過ごしていると思いますか」 彼は黙った。 自分が癒やされる家庭は想像していた。 しかし、相手がその家庭でどう生きるのかは、あまり考えていなかった。 これは、男性だけの問題ではない。婚活では、誰もが自分の願いを中心に考えやすい。 「私を安心させてくれる人」 「私を引っ張ってくれる人」 「私を受け入れてくれる人」 「私に合わせてくれる人」 「私を尊重してくれる人」 どれも大切である。けれども、そこに「相手をどう幸せにしたいか」がなければ、愛は一方通行になる。 直樹さんには、次のお見合いで1つだけ実践してもらった。 相手を評価する前に、相手の人生に関心を持つこと。 そして、「この人は自分に何をしてくれるか」ではなく、「この人が大切にしているものは何か」を聴くこと。 次のお見合いで、相手女性は介護職だった。以前の直樹さんなら、「勤務時間が不規則かもしれない」「家庭との両立はどうか」と条件面を考えたかもしれない。 しかし彼は、その日はこう尋ねた。 「介護のお仕事を続けてこられた中で、いちばん心に残っていることはありますか」 女性は少し驚き、やがて穏やかに話し始めた。 「利用者さんが、最後に私の名前を覚えていてくれたことがあります。認知症が進んでいた方だったのですが、その一言が忘れられなくて」 直樹さんは、その話を聞いて初めて、相手の仕事を条件ではなく人生として感じた。 面談で彼は言った。 「今まで、相手の背景を見ていなかった気がします。自分に合うかどうかばかり考えていました」 この気づきもまた、愛の技術の第一歩である。 愛するとは、相手を自分の生活に配置することではない。 相手の生活世界に敬意を持って入っていくことである。

 
 8 愛は訓練を必要とする 
  規律・集中・忍耐・関心 フロムは、愛が技術であるなら、他の技術と同じく訓練が必要だと考えた。ピアノを弾くにも、絵を描くにも、茶を点てるにも、剣道を学ぶにも、日々の稽古がいる。才能だけでは深まらない。感情だけでは続かない。 愛も同じである。 婚活においても、愛の訓練には4つの姿勢が必要である。 規律。 集中。 忍耐。 深い関心。


 規律――気分任せにしないこと 
  愛を気分任せにしている人は、関係を安定させられない。 気分が良いときだけ優しい。 忙しいと連絡を放置する。 不安になると相手を試す。 疲れると約束を軽く扱う。 うまくいかないとすぐに諦める。 これでは、相手は安心できない。 規律とは、冷たい義務ではない。 愛を日常に根づかせるための器である。 交際中なら、約束を守る。 返信できないときは、その旨を伝える。 デート後には感謝を言葉にする。 相手への不満は、爆発する前に落ち着いて伝える。 体調や仕事の忙しさを理由に、相手を雑に扱わない。 こうした小さな規律が、信頼をつくる。 結婚生活においても同じである。 「ありがとう」を言う。 家事を見えない労働として扱わない。 お金の話から逃げない。 親族問題を相手ひとりに背負わせない。 疲れているときほど、言葉を選ぶ。 愛は、特別な日の花束だけではない。 日々の言葉づかいである。


 集中――目の前の相手に心を向けること 
  現代人は、集中が苦手になっている。 お見合い中にも、心の中で比較している。 目の前の相手と話しながら、次の予定を考えている。 交際中の相手がいるのに、もっと良い人がいるかもしれないと検索を続ける。 相手の話を聞きながら、自分がどう見られているかばかり気にしている。 これでは、関係は深まらない。 集中とは、目の前の相手を唯一の人間として扱うことである。 もちろん、婚活では複数の出会いが並行する場合もある。それ自体は制度上認められている。しかし、目の前にいる時間まで分散していては、誰とも深く出会えない。 お見合いの60分なら、その60分だけは相手に集中する。 デートの2時間なら、その2時間だけは相手の言葉を聴く。 交際を進めると決めたなら、比較ではなく理解に力を注ぐ。 集中とは、相手を選ぶ前から始まる誠実さである。 ショパン・マリアージュでは、お見合い前にこう伝えることがある。 「今日会う方が、将来の伴侶になるかどうかは分かりません。けれども、その方は今日、あなたに会うために時間を整え、服を選び、少なからず緊張して来られます。その時間に敬意を持ちましょう」 この姿勢があるだけで、お見合いの空気は変わる。 相手は、条件候補ではない。 ひとりの人生である。

 
 忍耐――育つ時間を待つこと 
  婚活では、早く答えを出したくなる。 年齢の不安。 活動費の負担。 周囲との比較。 親からの期待。 将来への焦り。 そのため、少しでも違和感があるとすぐに切り、少しでも好感があるとすぐに結論を求める。 しかし、愛には育つ時間が必要である。 早く判断することと、正しく判断することは違う。 慎重であることと、逃げていることも違う。 忍耐とは、曖昧さの中にとどまりながら、相手を知る努力を続けることである。 もちろん、明らかな不誠実、暴言、金銭感覚の大きな不一致、結婚観の根本的な違い、尊重の欠如がある場合は、早く判断することも大切である。忍耐は我慢ではない。 しかし、単なる緊張、会話のぎこちなさ、表現の不器用さ、初期の違和感だけで可能性を閉じるのは、あまりにも早いことがある。 ある女性は、初回のお見合いで男性をこう評価した。 「真面目ですが、会話が少し硬かったです」 以前なら、ここで終了していたかもしれない。だが、その男性は彼女の話を丁寧に聞き、帰り際の挨拶も誠実だった。そこで、もう1度会ってみることにした。 2回目、男性は少し柔らかくなった。 3回目、仕事への思いを話してくれた。 4回目、彼女の体調を自然に気遣ってくれた。 彼女は言った。 「最初は分からなかった優しさが、少しずつ見えてきました」 愛の芽は、初対面で大輪の花として咲くとは限らない。 ある芽は、土の中でゆっくり根を伸ばす。 忍耐とは、その根を踏みつけないことである。

 
 深い関心――愛を人生の中心課題として扱うこと 
  フロムは、愛を本気で学ぶには、それを人生の重要な課題として扱う必要があると考えた。 これは婚活にも当てはまる。 「良い人がいれば結婚したい」 「自然に出会えればいい」 「忙しいので、空いた時間に活動します」 「相手が現れたら考えます」 この姿勢では、なかなか進まないことが多い。 結婚を焦る必要はない。 しかし、真剣に望むなら、真剣に向き合う必要がある。 自分の結婚観を言葉にする。 生活設計を考える。 相手への希望を整理する。 自分の課題を見つめる。 会話を振り返る。 断られた経験から学ぶ。 交際中の違和感を放置しない。 相手を知る努力を続ける。 婚活は、片手間では深まらない。 これは重苦しい意味ではない。むしろ、愛を人生の中心に置くということは、人生を丁寧に扱うということである。 結婚は、生活の添え物ではない。 人生の響きを変える出来事である。 だからこそ、ショパン・マリアージュでは、婚活を単なるマッチングではなく、人生の調律と考える。 楽器は、放っておけば少しずつ音がずれる。 心も同じである。 過去の傷、不安、思い込み、焦り、見栄、孤独、期待。 それらが積み重なると、人は本来の音を失う。 婚活とは、その音を取り戻す時間でもある。

 
 9 母性的愛・父性的愛・兄弟愛・性愛
  結婚には複数の愛が流れている フロムは、愛にはさまざまな形があると考えた。母性的愛、父性的愛、兄弟愛、性愛、自己愛、神への愛などである。 ここでは、婚活と結婚生活に特に関わるものを考えたい。


 母性的愛――無条件の受容 
  母性的愛とは、相手の存在そのものを肯定する愛である。 「あなたが成功したから愛する」ではなく、 「あなたがあなたであることを喜ぶ」愛である。 結婚生活には、この要素が必要である。 相手が失敗したとき。 仕事で自信を失ったとき。 病気になったとき。 老いていくとき。 思い通りに成果を出せないとき。 そのとき、条件付きの愛だけでは支えられない。 「年収が高いから」 「若く美しいから」 「話が面白いから」 「頼りになるから」 「家事ができるから」 もちろん、魅力や能力は愛の入口になる。しかし、人間は常に同じ状態ではいられない。若さは変化し、仕事も変化し、健康も変化し、心も揺れる。 結婚に必要なのは、変化の中でも相手の存在を見失わない力である。 ある夫婦の話を考えたい。 成婚後しばらくして、夫が仕事で大きな失敗をした。昇進の可能性が遠のき、本人は深く落ち込んだ。妻は最初、どう励ませばよいか分からなかった。つい「次は頑張ればいいよ」と言いそうになった。 しかし、彼女は思い直した。 夫が欲しいのは、解決策ではなく、存在の肯定かもしれない。 彼女はこう言った。 「結果は悔しいと思う。でも、私はあなたが誠実に仕事をしてきたことを知っているよ。今すぐ元気にならなくていいから、今日は温かいものを食べよう」 この言葉は、母性的愛に近い。 相手を成果で測らない。 相手の弱さを急いで修理しない。 ただ、存在のそばにいる。 婚活の段階でも、この感覚を持てる人は強い。 相手が少し不器用でも、すぐに価値を下げない。 緊張していても、その人全体を見ようとする。 プロフィールの数字だけで、人間の深さを決めない。 母性的愛とは、相手の生命を肯定する温かさである。


 父性的愛――方向性と責任 
  父性的愛とは、無条件の受容とは少し異なり、成長や方向性を支える愛である。 これは、厳しさを含むことがある。 しかし、支配とは違う。 結婚生活では、優しさだけでなく、現実を見る力も必要である。 お金の管理。 仕事の継続。 健康管理。 家族との境界線。 子育て。 老後の備え。 感情的になったときの対話。 「何でもいいよ」だけでは、家庭は守れない。 「あなたの自由だから」と言って、重要な問題を放置することは尊重ではなく、無責任になることもある。 たとえば、交際中に相手が浪費傾向を見せているとする。毎月の収支を把握していない。結婚後のお金について話すのを避ける。 このとき、成熟した愛は、ただ受け入れるだけではない。 「あなたのことを大切に思うからこそ、結婚後のお金についてきちんと話したい」 「責めたいのではなく、ふたりの生活を守るために一緒に考えたい」 このように、現実へ向き合う方向性を示す。 父性的愛とは、相手を裁くことではない。 相手と共に成長するための道筋を示すことである。 


 兄弟愛――対等な人間としての連帯 
  フロムが重視した愛のひとつに、兄弟愛がある。これは、すべての人間に向けられる基本的な愛であり、対等な人間同士の連帯である。 結婚にも、この兄弟愛が必要である。 男女として惹かれ合うだけではなく、ひとりの人間として相手を尊重すること。 上下関係ではなく、対等なパートナーとして生きること。 勝ち負けではなく、共に人生を担うこと。 婚活では、無意識のうちに上下関係が生まれることがある。 「選ぶ側」と「選ばれる側」。 「条件が良い側」と「劣る側」。 「年収が高い側」と「支えられる側」。 「年齢が若い側」と「急ぐ側」。 こうした意識は、愛を損なう。 結婚は、採用試験ではない。 人間の市場価値を競う場でもない。 対等なふたりが、それぞれの弱さと強さを持ち寄る場である。 ショパン・マリアージュでは、会員にこう伝えることがある。 「相手を見るとき、自分より上か下かで見ないでください。結婚生活で大切なのは、上下ではなく横に並べるかどうかです」 横に並ぶとは、同じ方向を見られるということ。 相手を利用せず、相手に依存しすぎず、共に歩くこと。 これが、結婚における兄弟愛である。


 性愛――唯一の相手として選ぶこと
  性愛は、特定の相手と深く結ばれたいという愛である。 婚活では、この要素を避けて通ることはできない。いくら条件が合っても、異性としての自然な親密さがまったく想像できなければ、結婚は難しい。 しかし、性愛にも成熟と未成熟がある。 未成熟な性愛は、相手を所有しようとする。 自分の欲望を満たす対象として見る。 刺激や高揚だけを求める。 相手の人格全体を見ず、魅力的な部分だけに惹かれる。 成熟した性愛は、相手を唯一の存在として選び、その人格全体を受け入れようとする。 婚活において大切なのは、性的魅力を軽視しないことと、性的魅力だけに支配されないことの両方である。 ときめきは大切である。 身体的な相性も大切である。 しかし、それが相手への尊重、責任、理解と切り離されると、関係は不安定になる。 結婚における性愛は、瞬間の情熱だけではない。 日々の信頼の中で、少しずつ深まる親密さである。 手をつなぐこと。 同じ部屋で沈黙できること。 相手の疲れた顔を見ても、愛しさが消えないこと。 年齢を重ねる身体を、恥ではなく歴史として受け止めること。 このような性愛は、若さや刺激だけではつくれない。 信頼が時間をかけて育てるものである。


 10 「結婚すれば幸せになれる」という幻想 
  幸せは制度ではなく、関係の質から生まれる 結婚相談所を運営していると、「結婚」という言葉に大きな救済のイメージが託されていることを感じる。 結婚すれば安心できる。 結婚すれば孤独ではなくなる。 結婚すれば親を安心させられる。 結婚すれば社会的に認められる。 結婚すれば人生が整う。 たしかに、結婚には大きな力がある。共に暮らす相手がいること、人生を相談できる相手がいること、家族をつくることは、人に深い安心を与える。 しかし、結婚そのものが人を幸せにするわけではない。 幸せにするのは、結婚という制度ではなく、結婚の中で育てられる関係の質である。 冷たい結婚もある。 支配的な結婚もある。 孤独な結婚もある。 外からは安定して見えても、心が渇いている結婚もある。 反対に、派手ではなくても、互いに尊重し合い、静かに支え合う結婚は、深い幸福を生む。 フロムの視点から見ると、愛は状態ではなく活動である。つまり、「愛している」という感情を持っているだけでは不十分であり、日々愛する行為を選び続ける必要がある。 結婚式は、ゴールではない。 成婚退会も、完成ではない。 それは、ようやく二重奏の譜面台の前に並んだ瞬間である。 そこから、ふたりの演奏が始まる。 音がずれる日もある。 相手のテンポが分からない日もある。 自分ばかり弾いているように感じる日もある。 沈黙が重く響く日もある。 それでも、互いに耳を澄まし、調律し直し、もう一度音を合わせる。 その繰り返しが、結婚生活である。 ショパン・マリアージュが「成婚後」を大切にする理由もここにある。 結婚は、届け出を出せば終わるものではない。 愛は、毎日の生活の中で、試され、磨かれ、深まっていく。 「相手が変わってくれない」 「思っていた結婚生活と違う」 「こんなはずではなかった」 こうした声は、結婚後にも起こり得る。だからこそ、婚活中から「愛する力」を育てる必要がある。 相手に期待するだけでなく、自分はどう関係を育てるのか。 不満が出たとき、どう伝えるのか。 相手が弱ったとき、どう支えるのか。 自分が弱ったとき、どう助けを求めるのか。 意見が違うとき、どう対話するのか。 これらは、結婚後に急に身につくものではない。婚活中から、その芽は育てられる。 お見合いでの聴き方。 交際中の伝え方。 断られたときの受け止め方。 迷ったときの自己理解。 相手の違いへの向き合い方。 すべてが、結婚後の愛の練習になる。 


 11 ショパン・マリアージュの視点 
   愛は調和から生まれる。  ショパン・マリアージュという名前には、音楽と結婚が重なっている。 ショパンの音楽は、ただ甘美なだけではない。繊細さの奥に、深い孤独がある。優美な旋律の下に、痛みが流れている。華やかな装飾の中に、厳格な構造がある。 愛もまた同じである。 愛は甘いだけではない。 愛には孤独がある。 愛には責任がある。 愛には訓練がある。 愛には沈黙がある。 愛には、自分自身と向き合う厳しさがある。 けれども、その厳しさを越えたところに、深い調和がある。 ショパン・マリアージュが考える婚活は、条件を否定しない。むしろ、条件を丁寧に整える。現実を見ない婚活は危うい。年齢、仕事、収入、住まい、家族、健康、将来設計は重要である。 しかし、条件は出発点であって、終着点ではない。 条件から始まり、心へ降りてゆく。 プロフィールから始まり、人生へ触れていく。 出会いから始まり、関係を育てていく。 これが、ショパン・マリアージュの婚活である。 フロムの『愛するということ』をこの視点から読むと、婚活はまったく違うものに見えてくる。 婚活とは、理想の相手を探し当てる宝探しではない。 婚活とは、愛する力を育てながら、共に成長できる相手と出会う道である。 プロフィール写真を撮ることも、自己紹介文を書くことも、お見合いで会話することも、交際で迷うことも、断られて落ち込むことも、すべてが愛の稽古である。 断られたとき、自分を全否定しない稽古。 相手に違和感を覚えたとき、すぐに裁かず理解しようとする稽古。 不安になったとき、相手を責める前に自分の心を見る稽古。 好意を受けたとき、疑いだけでなく感謝で受け取る稽古。 条件を見るとき、その奥にある人生を想像する稽古。 これらの稽古を重ねた人は、結婚に近づくだけでなく、人間として深くなる。 婚活の成功とは、ただ成婚することではない。 成婚に至るまでの過程で、愛する力が育っていることである。 もちろん、結婚相談所として成婚は大切な目標である。会員が良いご縁に恵まれ、家庭を築くことは何より嬉しい。しかし、成婚だけを急ぎ、愛する力を置き去りにすれば、その後の人生で苦しくなる。 だからこそ、ショパン・マリアージュは、出会いの数だけでなく、出会いの質を大切にする。 愛は、効率だけでは育たない。 愛には、余白がいる。 沈黙がいる。 振り返りがいる。 相手を待つ時間がいる。 自分の心を見つめる勇気がいる。 現代社会は、すぐに答えを求める。 すぐに比較し、すぐに判断し、すぐに次へ進む。 けれども、人の心は、検索結果のようには並ばない。 愛は、クリックひとつでは開かない。 愛は、鍵盤に指を置くように、慎重に触れるものだ。 強く叩きすぎれば濁り、恐れて触れなければ鳴らない。 相手の音を聴き、自分の音を整え、ふたりの間に生まれる響きを待つ。 それが、愛するということである。


 12 婚活現場で育てたい5つの力 
  フロムの思想を、ショパン・マリアージュの実務に落とし込む際に、婚活者には次の5つの力を育てる必要がある。

 (1) 自分を知る力 

  自分が本当に求めているものは何か。 なぜ、その条件にこだわるのか。 どんな相手に惹かれやすいのか。 どんなときに不安になるのか。 過去の恋愛で、何を繰り返してきたのか。 結婚後、どんな日常を望んでいるのか。 自分を知らないまま婚活をすると、他人の条件に振り回される。親の期待、世間体、友人との比較、年齢の焦り、過去の傷が混ざり合い、自分の本当の願いが見えなくなる。 自己理解は、婚活の地図である。

 (2) 相手を知る力 

  相手を知るとは、プロフィールを読むことではない。 相手の人生に関心を持つことである。 何を大切にしてきた人なのか。 どんな仕事観を持っているのか。 どんな家庭に安心を感じるのか。 疲れたとき、どう回復する人なのか。 人と衝突したとき、どう向き合う人なのか。 どんな愛情表現をする人なのか。 相手を知る力がある人は、会話が深まる。 そして、相手からも「この人は私を見ようとしてくれている」と感じられる。

 (3) 違いを扱う力 

  結婚相手は、自分のコピーではない。 連絡頻度が違う。 休日の過ごし方が違う。 お金の使い方が違う。 家族との距離感が違う。 愛情表現が違う。 不安になったときの反応が違う。 違いがあること自体は、問題ではない。 違いをどう扱うかが問題である。 未成熟な人は、違いを「相手の欠点」と見る。 成熟した人は、違いを「対話の入口」と見る。 もちろん、すべての違いを受け入れる必要はない。結婚生活に重大な影響を及ぼす違いもある。しかし、違いを見つけるたびに関係を切っていては、誰とも深まれない。 違いを対話できるか。 この力が、結婚生活を支える。

(4) 不安を言葉にする力

  婚活では、不安は必ず出てくる。 断られる不安。 選ばれない不安。 年齢の不安。 相手の気持ちが分からない不安。 結婚後の生活への不安。 本当にこの人でよいのかという不安。 不安を持つことは悪くない。 問題は、不安を相手への攻撃や試し行動に変えてしまうことである。 「どうせ私なんて」 「本当に好きならこうしてくれるはず」 「他に会っている人がいるんでしょう」 「はっきりしてくれないならもういいです」 こうした言葉の奥には、不安がある。 しかし、そのままぶつけると、相手は責められたと感じる。 成熟した愛では、不安を責め言葉ではなく自己開示として伝える。 「返信が遅いと、少し不安になってしまうことがあります」 「急かしたいわけではないのですが、今後の方向性を少しずつ話せると安心します」 「過去の経験から、曖昧な関係に不安を感じやすいところがあります」 このように言葉にできる人は、関係を壊さずに本音を伝えられる。


 (5) 愛を行動にする力 

  愛は、気持ちだけでは伝わらない。 思っているだけでは、相手には届かない。 察してほしいだけでは、すれ違う。 「大切に思っている」は、態度で示される必要がある。 時間を守る。 感謝を伝える。 話を聴く。 約束を忘れない。 相手の大切なことを覚えている。 疲れている相手を気遣う。 自分の非を認める。 必要な話し合いから逃げない。 これらは地味である。 けれども、愛の本体は地味なところに宿る。 花束よりも、日々の誠実さ。 甘い言葉よりも、困ったときの態度。 記念日よりも、普段の敬意。 愛は、行動になって初めて、相手の生活を温める。

 

 13 エリック・フロムから見た「良い結婚相手」 
  フロムの思想をもとに考えるなら、良い結婚相手とは、単に条件が良い人ではない。 もちろん、現実的な条件は大切である。経済的安定、健康、生活力、誠実な職業観、家族観、価値観の一致は、結婚生活に大きく影響する。 しかし、フロム的な意味での良い結婚相手とは、次のような人である。 相手を所有しようとしない人。 自分の孤独を相手に丸投げしない人。 相手の成長を喜べる人。 違いを対話できる人。 自分の未熟さを認められる人。 愛を感情だけでなく行動にできる人。 自分を大切にし、同じように相手を大切にできる人。 結婚をゴールではなく、共に学ぶ道として考えられる人。 そして、これは「相手に求める条件」であると同時に、「自分が目指す姿」でもある。 婚活で大切なのは、理想の相手像を磨くことだけではない。 理想の関係を築ける自分へ近づくことである。 「どんな人と結婚したいか」だけでなく、 「自分はどんな配偶者になりたいか」を問う。 この問いを持つ人は、婚活の空気が変わる。 相手への要求が、対話へ変わる。 不安が、自己理解へ変わる。 失敗が、学びへ変わる。 出会いが、成長へ変わる。 婚活は、相手を探す旅でありながら、自分自身に帰る旅でもある。 


 14 終章 
   愛するということは、ふたりで世界を育てることである。  エリック・フロムの『愛するということ』は、婚活に対して厳しい本である。 それは、「理想の相手に出会えば幸せになれる」という甘い幻想を許さない。 「愛は自然に湧いてくるものだ」という思い込みを揺さぶる。 「私は愛されたい」という願いの奥に、「私は愛する力を育てているか」という問いを置く。 しかし、その厳しさは冷たくない。 むしろ、深く人間を信じている。 愛は才能ある一部の人だけのものではない。 美しい容姿や若さや条件に恵まれた人だけのものでもない。 愛は学ぶことができる。 育てることができる。 訓練することができる。 失敗から深めることができる。 この希望が、フロムの思想の中心にある。 ショパン・マリアージュの婚活も、同じ希望に立っている。 今まで恋愛がうまくいかなかった人にも、愛する力は育つ。 自分に自信がない人にも、愛を受け取る器は育つ。 条件ばかり見てしまう人にも、相手の人生を聴く耳は育つ。 不安になりやすい人にも、安心をつくる言葉は育つ。 傷ついた経験のある人にも、もう一度信頼へ向かう勇気は育つ。 人は変われる。 ただし、魔法のように一瞬で変わるのではない。 ピアノの練習のように、日々少しずつ変わる。 最初はぎこちない指も、繰り返すうちに音を覚える。 力が入りすぎていた肩も、やがて抜ける。 譜面を追うだけだった演奏が、いつか自分の呼吸を持ち始める。 愛も同じである。 最初は、相手の話を聴くことさえ難しい。 不安を抑えることも難しい。 自分の希望を言葉にすることも難しい。 断られて落ち込まないことも難しい。 相手を尊重しながら、自分も大切にすることも難しい。 けれども、練習すれば少しずつ変わる。 愛するということは、完成された人格者だけに許された営みではない。 未熟な人間が、自分の未熟さを見つめながら、それでも相手を大切にしようとする営みである。 結婚とは、ふたりで世界を育てることである。 そこには、朝の食卓がある。 仕事帰りの疲れた声がある。 休日の散歩がある。 家計の話し合いがある。 小さな喧嘩がある。 仲直りの沈黙がある。 老いていく身体がある。 支え合う手がある。 そして、そのすべての中で、愛は問われ続ける。 あなたは、相手を所有しようとしていないか。 あなたは、相手を理解しようとしているか。 あなたは、自分の不安を相手に押しつけていないか。 あなたは、感謝を言葉にしているか。 あなたは、相手の生命がより豊かになることを願っているか。 あなたは、自分自身を大切にしているか。 この問いに、完璧に答えられる人はいない。 だからこそ、結婚は学びなのである。 だからこそ、愛は技術なのである。 だからこそ、婚活は人生の調律なのである。 ショパン・マリアージュが願うのは、ただ多くの成婚を生み出すことだけではない。 ひとつひとつの出会いが、人を少し優しくし、少し深くし、少し自由にすること。 条件から始まった出会いが、やがて心へ降りてゆくこと。 ふたりが互いを変えようとするのではなく、互いの響きを聴き合えること。 孤独を埋めるためではなく、人生を分かち合うために結ばれること。 愛は、偶然に落ちるものではない。 愛は、選び、学び、育てるものである。 そして、その愛は、特別な人だけに与えられた奇跡ではない。 今日、自分の心を見つめる人に。 今日、相手の言葉を丁寧に聴く人に。 今日、不安を責め言葉ではなく本音として伝えようとする人に。 今日、条件表の向こうにある人生を見ようとする人に。 今日、もう一度、愛する力を育てようとする人に。 愛は、静かに近づいてくる。 それは、華やかなファンファーレではないかもしれない。 むしろ、夕暮れの部屋に流れるショパンのノクターンのように、控えめで、深く、心の奥に灯るものかもしれない。 結婚とは、その音をふたりで聴き続けることである。 愛するということ。 それは、相手の人生に耳を澄まし、自分の人生を誠実に差し出し、ふたりでまだ見ぬ調和を育てていくことである。 そして婚活とは、その調和へ向かう、最初の美しい一音なのである。 


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ショパン・マリアージュは「音楽で心を調律し、恋愛心理学でご縁を育てる」ことを基本方針とした結婚相談所です。条件だけにとらわれるのではなく、お一人おひとりの心のテンポや価値観、安心感を大切にしながら、結婚へつながる出会いを丁寧にサポートいたします。クラシック音楽が心を整えるように、婚活にも自然な呼と美しい調和が必要です。心が響き合うご縁を育て幸せな結婚への一歩を、私たちが誠実にお手伝い致します。

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婚活の一覧。「決める」という暗示の強さ - はじめに 「決める」という行動は、人間の心理や行動に大きな影響を与える要因の一つです。恋愛心理学においても、この「決める」というプロセスが関与する場面は多岐にわたります。本稿では、「決める」という暗示が恋愛心理に及ぼす影響を詳細に考察し、具体的な事例を交えながらその重要性を検証します。1. 「決める」という行動と暗示の心理的基盤1.1. 暗示効果の基本理論 暗示効果とは、言葉や行動が人の思考や行動に無意識的に影響を及ぼす現象を指します。「決める」という行為は、自己効力感を高める一方で、選択を固定化する心理的フレームを形成します。例: デートの場所を「ここに決める」と宣言することで、その場の雰囲気や相手の印象が肯定的に変化する。1.2. 恋愛における暗示の特性 恋愛心理学では、相手への影響力は言語的・非言語的要素の相互作用によって増幅されます。「決める」という言葉が持つ明確さは、安心感を与えると同時に、魅力的なリーダーシップを演出します。2. 「決める」行動の恋愛への影響2.1. 自信とリーダーシップの表現 「決める」という行動は、自信とリーダーシップの象徴として働きます。恋愛においては、決断力のある人は魅力的に映ることが多いです。事例1: レストランを選ぶ場面で、男性が「この店にしよう」と即断するケースでは、相手の女性が安心感を持ちやすい。2.2. 相手の心理的安定を促進 迷いがちな行動は不安を生む可能性があります。一方で、決定された選択肢は心理的安定を提供します。事例2: 結婚プロポーズにおいて、「君と一緒に生きることに決めた」という明確な言葉が相手に安心感と信頼感を与える。2.3. 選択の共有感と関係構築 恋愛関係においては、重要な選択肢を共有することが絆を強化します。「決める」という行為は、相手との関係性を明確化するための重要なステップです。事例3: カップルが旅行先を話し合い、「ここに行こう」と決断することで、共同作業の満足感が高まる。3. 「決める」暗示の応用とその効果3.1. 恋愛関係の進展 「決める」という行動がもたらす心理的効果は、恋愛関係の進展において重要な役割を果たします。事例4: 初デート後に「次はこの日空いてる?」ではなく、「次は土曜にディナーに行こう」と提案することで、関係が一歩進む。3.2. 関

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