バッハとマリア・バルバラ ——沈黙の中で結ばれた愛

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序章 音楽が語らなかった、ひとつの結婚 

 彼女は、歴史にほとんど名を残していない。 肖像画はない。 書簡もほとんど残っていない。 恋文も、劇的な逸話も、華やかなスキャンダルもない。 ただ、「ヨハン・ゼバスティアン・バッハの最初の妻だった」という事実だけが、静かに記録に刻まれている。 マリア・バルバラ・バッハ。 旧姓ミヒャエル。 バッハ家の遠縁にあたり、同じ音楽一族の血を引く女性。 彼女がどのように笑ったのか。 どのような声で夫を呼んだのか。 どのような眼差しで、机に向かう背中を見つめていたのか。 歴史は、それを語らない。 しかし―― 語られなかったという事実こそが、逆にこの結婚の本質を暗示しているのではないだろうか。

  激情ではない。 悲劇でもない。 破綻でも、スキャンダルでもない。 そこにあったのは、おそらく、 日常に溶け込んだ愛、 音楽と生活が同じ呼吸で流れていた結婚だった。 この物語は、 記録に残らなかった「感情」を、 音楽に刻まれた「気配」を手掛かりにしながら、 ひとりの女性と、ひとりの作曲家のあいだにあった静かな愛を、小説として描き出す試みである。 これは、 天才の伝記ではない。 偉人の業績でもない。 ひとりの男が、 ひとりの女と共に生きた、 ごく普通で、しかし奇跡のように美しい年月の物語である。

 

第一章 血縁の中で出会ったふたり

  1707年、アルンシュタット。 教会のオルガンの音は、今日も高く澄みわたっていた。 天井の高い聖堂の中で、その音は空気を満たし、人々の祈りを導き、時に人知れず涙を誘った。 オルガンの前に座る青年は、まだ二十二歳だった。 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ。 痩せた背中。 ややうつむきがちな顔。 しかし鍵盤に触れる指だけは、異様なほど確信に満ちていた。 「……やっぱり、今日も少し速すぎる」 背後で、誰かが静かに言った。 振り返ると、そこに立っていたのは、従妹にあたる若い女性だった。 

 マリア・バルバラ。 淡い茶色の髪を結い上げ、質素な衣装を身にまとい、目立つ美しさではない。 だがその眼差しには、奇妙な落ち着きがあった。 「あなたはいつも、音楽の中に急ぎすぎる」 彼女は責めるでもなく、ただ事実を述べるように言った。 「急いでいるのではない。ただ……音が、先に進もうとする」 「なら、あなたが追いかけているのね」 「そうかもしれない」 バッハはわずかに笑った。 この頃のふたりは、まだ恋人ではなかった。 だが、すでに「似た者同士」ではあった。 ふたりとも、音楽の中で育った。 バッハ家の子どもたちにとって、音楽は学問ではなく、空気のようなものだった。 朝に鳴り、昼に鳴り、夜に鳴り、沈黙する時間の方が少ないほどに。

  マリア・バルバラもまた、歌い、奏で、和声を感じ取る感覚を自然に身につけていた。 だから彼女は、彼の演奏を「評価」するのではなく、 ただ「理解していた」。 「あなたの音は、ときどき孤独ね」 ある日、彼女はぽつりと言った。 「孤独?」 「ええ。とても美しいけれど……誰も追いついていない音」 バッハは少し驚いたように彼女を見た。 周囲の人間は、彼の演奏を「難しすぎる」と言い、 「やりすぎだ」と言い、 「派手だ」と文句を言った。 だが彼女は、まったく違う言葉で、それを受け止めていた。 「……君は、私の音を、よく聴いている」 「だって……私には、それが自然だから」 この「自然さ」こそが、彼女の最大の魅力だった。 彼女は、彼を評価しない。 崇拝もしない。 過剰に称賛もしない。 ただ、 「あなたはそういう人ね」と、静かに受け入れる。 天才にとって、それがどれほど貴重な態度であるかを、バッハはまだ言葉として理解していなかった。 だが感覚としては、すでに知っていた。 彼女と話しているとき、彼は説明しなくてよかった。 自分の音楽について、弁解しなくてよかった。 ただそこに在るだけでよかった。 それは、のちに「結婚」と呼ばれるものの、すでに萌芽だったのかもしれない。

   求婚というより、合流 1707年から数年、ふたりの関係は、劇的に変化することはなかった。 手紙に情熱的な言葉を綴ったわけでもない。 人目を忍んで逢瀬を重ねたわけでもない。 ただ、 会えば自然に並び、 沈黙が気まずくなく、 音楽について話すとき、言葉が少なくて済む。 それだけだった。 だが、ある日ふと、バッハは思った。 ——この人がいない人生を、私は想像できない。 恋の高揚というより、もっと静かで深い感覚だった。 驚きでも、興奮でもない。 むしろ「すでにそうであった」というような、奇妙な必然性。 求婚は、ほとんど儀式のように簡素だった。 「……私と、共に生きてくれるだろうか」 そう言ったとき、彼の声は震えていた。

  マリア・バルバラは、少し驚いたように彼を見つめ、やがてほんのわずかに微笑った。 「もう、共に生きているような気がしていました」 それだけだった。 華やかな誓いもない。 永遠の愛を誓う言葉もない。 だが、そこには嘘がなかった。 1707年10月17日、ふたりは結婚する。 教会の記録には、淡々と名前が並ぶだけだ。 だがその裏側で、 ひとりの天才が、人生で初めて「孤独でなくなる」瞬間が、確かに起きていた。


 第Ⅱ章 子どもたちのいる家 ――音楽が“暮らし”になるとき

  朝は、泣き声から始まる。 まだ薄暗い冬のヴァイマルの家で、最初に目覚めるのは、いつもマリア・バルバラだった。 胸に抱いた赤子が、かすかな声で身じろぎする。 乳を探すその小さな唇の動きに、彼女はもう何年も、言葉より早く気づくようになっていた。 「……はい、はい……今よ」 声は極めて静かだ。 それでも、部屋の空気はそれだけで柔らかくなる。 彼女が上体を起こすと、寝台の向こうで、夫がわずかに身じろぎした。 だが目は覚まさない。 バッハは夜遅くまで、机に向かっていた。

  譜面、計算、対位法、教会の依頼、宮廷の要求。 音楽が仕事であるということは、美しさと同時に、重さを伴う。 彼女は、彼を起こさないよう、赤子を胸に抱いたまま、足音を殺して部屋を出た。 廊下の床板は古く、どの板が軋むか、彼女はもうすべて知っていた。 それを避けながら、台所へ向かう。 それが、彼女の一日の始まりだった。 バッハ家には、子どもが多かった。 生まれては、泣き、笑い、育ち、そしてある者は死んでいった。 当時、それは決して珍しいことではなかった。 だが母にとって、それが「日常」であることはない。 乳を与え、布を替え、熱を測り、咳の音に耳を澄ませる。

  命が、毎日、指の間ですべり落ちそうになる。 それでも彼女は、泣き叫ぶことも、取り乱すこともなかった。 ただ、ひとりずつ、名前を呼んだ。 「カタリーナ……」 「ヴィルヘルム……」 「エマヌエル……」 その声は、祈りに似ていた。 そして不思議なことに、子どもたちは、父のオルガンの音よりも先に、母の声で眠りについた。 ある午後、家の中に、複数の声が重なっていた。 長男が練習するヴァイオリンのかすれた音。 次男が鍵盤を叩く、まだ形にならない旋律。 幼い娘が、意味もわからぬまま歌う聖歌。 そして、その奥の部屋で、バッハは黙って机に向かっていた。 騒がしい。 決して静謐な環境ではない。 だが、彼は不思議なほど、苛立ちを見せなかった。 むしろ、時折、譜面から顔を上げ、しばらくその雑多な音を聴いていることがあった。 調律の狂った世界。 未完成の和声。 幼い魂の、無秩序な衝動。 それらは、完成された音楽とはほど遠い。 だが彼にとって、それは「生きた響き」だった。

  マリア・バルバラは、廊下の陰から、その横顔を見ることがあった。 ——あなたは、音楽の中に生きている。 ——いいえ。あなたは、音楽の中で“父”になっている。 彼女はそう思った。 天才の妻であることは、容易ではない。 だが「父である天才」を見つめることは、どこか誇らしくもあった。 夜。 子どもたちがようやく眠りについた頃、家の中はようやく静かになる。 そのときになって、ようやく、ふたりは「夫婦」だけになる。 マリア・バルバラは、机の上に、湯を張った小さな椀を置いた。 「冷める前に」 それだけ言って、隣に座る。 バッハは譜面から目を離し、椀に手を伸ばす。

  「……今日も、よく泣いていたな」 「ええ。けれど、夕方には笑っていました」 「君の腕の中で?」 「ええ」 それを聞いて、彼はわずかに目を伏せた。 彼女は知っていた。 彼が、子どもたちに直接触れることを、どこか恐れていることを。 壊してしまうのではないか。 十分な父でないのではないか。 音楽にすべてを奪われているのではないか。 彼は、そういう不安を、言葉にはしなかった。 だが、彼女には伝わっていた。 「……あなたは、十分に父親です」 ふいに、彼女は言った。 バッハは顔を上げた。 「子どもたちは、あなたの音で育っています。  眠るときも、起きるときも。  それは……とても大きなことです」 彼は、しばらく黙っていた。 やがて、低く言った。 「……だが、君がいなければ、それは成り立たない」 それは、告白に近かった。 感謝でもなく、称賛でもなく、 「事実」としての言葉。

  マリア・バルバラは、何も答えなかった。 ただ、そっと微笑った。 それで十分だった。 家庭というものは、しばしば、「創作の妨げ」と考えられる。 静寂を奪う。 集中を乱す。 時間を削る。 エネルギーを消耗させる。 だが、この家では、違っていた。 子どもの泣き声は、音楽の敵ではなかった。 鍋の煮える音は、リズムの妨げではなかった。 洗濯物の揺れは、対位法の混乱ではなかった。 それらすべてが、 音楽の「背景」ではなく、 音楽の「土壌」になっていた。 バッハの作品が、あれほどまでに 「構築的でありながら、温かい」のはなぜか。 理性の極致でありながら、どこか人肌のぬくもりを帯びているのはなぜか。 それはおそらく、 彼が書斎の孤独だけで音楽を書いていたのではなく、 この家の、息づかいの中で書いていたからだ。

  マリア・バルバラは、作曲を手伝ったわけではない。 助言を与えたわけでもない。 芸術的議論を交わしたわけでもない。 ただ、 家を守り、 子を抱き、 日々を整え、 沈黙の中で、夫の存在を肯定し続けた。 それは、記録には残らない労働であり、 歴史には書かれない貢献であり、 だが音楽の深部には、確かに染み込んでいる。 この家で育った空気が、 やがて《平均律》の清冽な構造となり、 《ブランデンブルク協奏曲》の躍動となり、 《マタイ受難曲》の深い慈しみとなって結晶していく。 その最初の源泉に、 名も高くないひとりの妻の、静かな生活があったことを、 誰も知らず、誰も語らなかっただけで。

  マリア・バルバラは、幸福だったのだろうか。 その問いは、後世の人間が、あまりにも容易に投げかける。 だが彼女の幸福は、 「情熱的に愛されたか」でも、 「劇的な運命だったか」でも、 「名を残したか」でも測れない。 彼女はただ、 自分の選んだ人生を生きていた。 それは、静かで、目立たず、しかし確かに意味を持つ日々だった。 子どもたちの体温を知り、 夫の背中の沈黙を知り、 家のきしみの順序を知り、 朝の光の角度を知り、 冬の冷え込みの深さを知り、 春に戻ってくる鳥の声を知っていた。 それは、「誰かと生きる」ということの、もっとも根源的な形だった。 そして彼女は、その人生を、疑わなかった。

第Ⅲ章 音楽の中に宿る妻 ――彼女の気配が、旋律になるとき

  夜、家が眠りに沈むころ。 最後に消える灯りは、決まって書斎のものだった。 マリア・バルバラは、寝台に横たわりながら、壁越しにその気配を感じ取っていた。 羽根ペンが紙を擦る音。 椅子がわずかに軋む音。 ときおり深く吐かれる、抑えた息。 それは、彼の「作曲している音」だった。 眠れぬ夜、彼女はそっと起き上がり、足音を忍ばせて廊下に立つ。 扉は、わずかに開いている。 中を覗くと、机に向かう夫の背が見える。 灯りに照らされた首筋。 長い時間、緊張にさらされ続けた肩の線。 彼は、気づかない。 誰かに見られていることなど、考えもしない。 だが彼女は、何度もその背を見つめてきた。 若い頃から、結婚してからも、子どもが増えてからも。 その背中は、いつも「ひとり」だった。 けれど不思議と、そこに孤独を感じたことはなかった。 むしろ―― そこに自分の居場所があるような感覚が、いつもあった。

  彼女は、しばらくそうして立っていたあと、何も言わずに寝室へ戻る。 翌朝、譜面の端に置かれた一枚の新しい楽譜を見る。 そこには、昨夜まで存在しなかった旋律が生まれている。 それは、まるで 彼女の眠りをすり抜けてきた何かが、 そのまま紙の上に定着したかのような音だった。 「……この主題は、どこから?」 ある日、彼女は何気なく尋ねた。 バッハは譜面から目を上げ、少し考えるように沈黙した。 「……わからない」 「わからない?」 「書いているうちに、現れてくる。  まるで、すでにそこに在ったものを、思い出すように」 その言葉を聞いたとき、彼女の胸の奥が、わずかに震えた。 思い出す。 すでに在ったもの。

  彼女はふと、夜の廊下で見てきた夫の背中を思い出した。 沈黙の中で、音を探し続ける姿。 誰にも触れられない孤独な領域。 ——いいえ、あなたは、ひとりでは書いていない。 心の中で、そう言った。 だがその言葉は、口には出さなかった。 なぜなら、 それを言葉にした瞬間、 この関係の繊細な均衡が、崩れてしまう気がしたからだ。 彼女は知っていた。 夫にとって、作曲とは、あまりにも深い場所で行われる営みであることを。 そこに踏み込むことは、 愛するがゆえに、してはならないことのように思えた。 だから彼女は、踏み込まなかった。 ただ、気配としてそこに在り続けた。 

 バッハの音楽には、奇妙な「身体性」がある。 計算され尽くした構造の中に、 なぜか、ぬくもりがある。 なぜか、触れられるような質感がある。 それは激情ではない。 荒れ狂う欲望でもない。 陶酔的な官能でもない。 もっと静かで、深くて、 皮膚の奥に長く残るような官能だった。 例えば、ゆるやかなアンダンテの旋律。 何度も同じ音型が繰り返される、その中で、 微細な揺れが、ほんのわずかな変化が、 聴く者の内側を、そっと撫でる。 それは、 赤子を抱くときの、一定の揺れに似ていた。 眠りに落ちる前、誰かの背に手を置いているときの感覚に似ていた。 マリア・バルバラは、あるとき、鍵盤に触れながら思った。 ——これは、私の知っている感触だ。 自分が子どもたちを抱いたときの、 夜、夫の衣に指が触れたときの、 言葉を交わさず、ただ隣にいるときの、 あの、名づけようのない感覚。 それが、音になっている。 

 彼女は、それを誰にも言わなかった。 言えば、それは途端に「意味」になってしまう。 意味になった瞬間、音楽の純度が損なわれるような気がした。 だから、ただ、自分の中だけで知っていた。 ——あなたの音楽の中には、私がいる。 それは誇りでもなく、虚栄でもなく、 ただの事実のように感じられた。 ある夜、彼は珍しく、作曲の手を止めて、早く寝台に戻ってきた。 彼女は眠っていなかったが、目を閉じたままでいた。 彼が近づく気配。 寝台がわずかに沈む。 布が触れる音。 しばらく、ふたりのあいだに、何も起きなかった。 ただ、彼の体温が、ゆっくりと近づいてくる。 直接触れ合うわけでもない。 だが、その距離の変化だけで、彼女の呼吸がわずかに変わる。 バッハは、気づいただろうか。 眠っているはずの妻が、 自分の気配に応じて、ほんのわずかに身をゆだねていることを。

  彼は、何も言わない。 触れもしない。 ただ、そこにいる。 それでも、その沈黙には、言葉よりも確かな親密さがあった。 情熱ではない。 衝動でもない。 だが、深く馴染んだ身体同士だけが知っている静かな官能が、そこにあった。 彼女は、心の中で思った。 ——この人の音楽は、きっと、この感覚から生まれている。 過剰ではない。 乱れない。 だが、確かに生きている。 確かに、あたたかい。 マリア・バルバラが亡くなったあと、 バッハの音楽は、どこか変わったと言われる。 構造はより厳格になり、 精神性はより高くなり、 神への志向はより濃くなった。 だが同時に、 ある種の「肌触り」が、失われたようにも感じられる。 もちろん、それは証明できない。 音楽学的にも、史料的にも。 だが、聴く者の感覚は、ときに史料よりも真実を知っている。

  初期の作品に宿る、 あの、柔らかな反復。 過剰ではない揺らぎ。 人肌に似た温度。 それは、 まだ彼の人生に、 「ともに生きる誰か」がいた時代の音だった。 彼女は、名を残さなかった。 作品を残さなかった。 言葉も、記録も、ほとんど残していない。 だが彼女は、 旋律の中に残った。 和声の奥に残った。 沈黙と沈黙のあいだに、確かに残った。 バッハの音楽が、 二百年後の私たちの胸にまで、 不思議なぬくもりを届けるとき、 そこには、 ひとりの妻の、言葉にされなかった生の気配が、 いまもなお、静かに息づいている。


第Ⅳ章 沈黙のひび割れ ――愛が深まるほど、言葉は減っていく

  家の空気が、微かに変わったのは、いつからだったのだろう。 明確な出来事があったわけではない。 口論があったわけでもない。 傷つく言葉が交わされたわけでもない。 ただ、ある日ふと、マリア・バルバラは気づいた。 ——以前より、あなたは、遠くにいる。 距離があるわけではない。 同じ家にいる。 同じ寝台で眠る。 食卓も、子どもたちも、すべて変わらない。 だが、それでもなお、 彼の「意識」が、彼女の届かない場所へ移動しつつあることを、 彼女は、皮膚の奥の感覚で察していた。 バッハの沈黙が、変質していた。 それはもはや、集中の沈黙ではなかった。 創作の静けさでもなかった。 何かを抱え込んでいる沈黙だった。 彼は、忙しくなっていた。 宮廷からの要求。 教会からの義務。 演奏の準備。 生徒の指導。 楽譜の写譜。 そして終わりのない作曲。 音楽家としての評価が高まるほど、 彼の時間は細分化され、 彼の精神は消耗していった。

  かつては、子どもたちの騒がしさを「生きた響き」として聴いていた彼が、 ある日、ふと、顔をしかめた。 「……少し、静かにできないか」 言葉は穏やかだった。 だが、それまでの彼には、なかった調子だった。 部屋の中が、わずかに凍る。 子どもたちは驚いたように口を閉ざし、 マリア・バルバラは、ただ黙ってうなずいた。 それだけの出来事だった。 それだけの言葉だった。 だが、彼女の中には、確かな感覚が残った。 ——あなたの音楽が、いま、家族よりも重くなりつつある。 それは責めではなかった。 理解だった。 むしろ、痛いほどの共感だった。 彼は、音楽なしでは生きられない。 それを、彼女ほど深く理解している人間はいなかった。 だが同時に、 音楽が彼を、彼女から、少しずつ引き離していくことも、 彼女には見えていた。

  夜、書斎の灯りが消えるのは、以前よりさらに遅くなった。 彼女は寝台の中で、じっと天井を見つめながら、その時間を数えるようになっていた。 かつては、その灯りが点いていることが、 彼女にとって安心だった。 ——今日も、あなたは生きている。 ——今日も、あなたは音楽を書いている。 それだけでよかった。 だが今は違う。 灯りが消えないことが、 むしろ胸の奥を、静かに締めつけるようになっていた。 扉の向こうで、彼がひとりである時間。 その長さが、日ごとに増していく。 そこに、自分はもう必要ないのではないか。 そんな考えが、ふと浮かび、すぐに彼女は打ち消す。 ——いいえ、それは違う。 彼は、彼女を愛している。 それは、今も変わらない。 視線のやわらかさも、声の低さも、変わっていない。 だが、愛が変わらなくても、 「関係の形」は、変わっていくのだということを、 彼女はまだ知らなかった。

  ある夜、彼が寝室へ戻ってきたとき、彼女は目を閉じたままでいた。 彼の足音。 衣擦れの音。 寝台の沈み。 だが、以前のような、あの穏やかな体温の重なりはなかった。 彼は、わずかに距離を保って横たわった。 意図的ではない。 ただ、疲れていただけなのだろう。 あるいは、頭の中が、まだ音楽から離れきっていなかったのだろう。 だが、その「わずかな距離」が、 彼女には、思いのほか大きく感じられた。 身体が触れないということは、 存在が触れないということに、どこか似ていた。 それまで、 言葉を交わさなくても通じていた感覚が、 この夜だけは、どこか薄くなっていた。 彼女は、静かに息を吐いた。 ——私たちは、こんなふうに、少しずつ変わっていくのだろうか。 その問いには、答えがなかった。 翌朝、彼女はいつもと同じように起き、 いつもと同じように子どもたちを起こし、 いつもと同じように食卓を整えた。 何ひとつ変えなかった。 それが、彼女の選択だった。

  関係が揺らいでいるとき、人はしばしば、「何かを変えよう」とする。 話し合おうとする。 確かめようとする。 問いただそうとする。 だがマリア・バルバラは、そうしなかった。 なぜなら、彼女は知っていたからだ。 この沈黙は、裏切りではない。 愛の喪失でもない。 ただ、人生が次の段階に入ったという徴候にすぎない。 夫は、より深く音楽の中へ潜ろうとしている。 それは逃避ではない。 使命のようなものだ。 ならば、 彼女がすべきことは、ただひとつだった。 ——これまでと同じように、そこに在り続けること。 声を荒げない。 問い詰めない。 感情をぶつけない。 そのかわり、 朝の光を整え、 子どもたちの声を守り、 家のリズムを崩さず、 彼が戻ってくる「場所」を、静かに保ち続けること。 それは、外から見れば、あまりにも受動的な生き方に見えるだろう。 あまりにも、自己を抑えた妻に見えるだろう。 だが彼女の中では、それは「覚悟」だった。 

 関係を壊さないための、 愛を手放さないための、 極めて能動的な選択だった。 バッハは、そのことに気づいていただろうか。 おそらく、気づいていなかった。 あるいは、気づいていたが、言葉にできなかったのかもしれない。 彼は、彼女の沈黙を「当たり前の安定」として受け取っていた。 あまりにも自然だったからこそ、その価値を意識できなかった。 だが、その自然さこそが、 この家庭をかろうじて支えていたのだということを、 彼が理解するのは、 ずっとあとのことになる。 ある日突然、 取り返しのつかないかたちで。


 第Ⅴ章 不在という衝撃 ――ある日、世界から彼女が消えた 

 1710年代の夏は、例年よりも蒸し暑かった。 空気が重く、音が鈍く、遠くの鐘の響きでさえ、濁った水を通して届くようだった。 マリア・バルバラは、窓辺に立ち、遠くの雲を見ていた。 雲は、ゆっくりと形を変えながら流れていく。 それを眺めていると、心の中の何かもまた、同じように形を失っていく気がした。 胸の奥に、わずかな違和感があった。 痛みというほどではない。 だが、確かに「いつもとは違う」感覚だった。 彼女は、胸に手を当てた。 ——ただの疲れだろう。 そう思った。 最近は、眠りが浅い。 夜、何度も目が覚める。 子どもたちの寝息を確かめ、夫の気配を確かめ、それでも眠れないまま、朝を迎えることが増えていた。 それでも、彼女は休まなかった。 誰かが、家を整えねばならない。 誰かが、朝を迎えさせねばならない。 それが、彼女の役割だった。

  その日、バッハは不在だった。 宮廷の用務で、数日家を空けていた。 それは珍しいことではなかった。 「すぐ戻る」と、彼は言った。 それも、いつもの言葉だった。 だから彼女は、特別な別れの言葉を交わさなかった。 いつもと同じように、彼の外套を整え、 いつもと同じように、背中を見送り、 いつもと同じように、扉が閉まる音を聞いた。 それが、最後になるなどとは、思いもしなかった。 午後、家の中で、子どもたちの声が途切れた。 それは、奇妙な静けさだった。 長女が、廊下で立ち尽くしていた。 顔が青ざめ、唇が震えている。 「……お母さまが……」 その言葉だけで、マリア・バルバラの中に、すでに予感が走った。 いや、正確には、 「ずっと胸の奥にあった何か」が、ようやく姿を現したような感覚だった。 

 寝室の中で、彼女は横たわっていた。 目は閉じられている。 顔は、驚くほど穏やかだった。 眠っているのと、ほとんど変わらない。 ただ、呼吸がない。 子どもたちは、まだ「死」というものを理解していなかった。 だからこそ、その静けさが、ただならぬものであることだけを感じ取っていた。 誰かが、誰かを呼びに走った。 誰かが、泣き始めた。 誰かが、ただ立ち尽くした。 だが彼女は、動かなかった。 あまりにも突然だった。 あまりにも、説明がなさすぎた。 死は、しばしば、劇的に訪れると思われている。 叫びがあり、痛みがあり、別れの言葉があるものだと。 だが、現実の死は、しばしば、こうして訪れる。 ——何の予告もなく、 ——何の物語も与えず、 ——ただ、「不在」として残る。

  数日後、バッハは戻ってきた。 家の扉を開けた瞬間、彼は、空気の違いに気づいた。 音が、ない。 いつもあったはずの音が、ない。 子どもたちの足音。 鍋の煮える音。 布の擦れる音。 あの、生活という名の連続する気配が、すべて消えていた。 「……?」 彼は、何かを尋ねようとした。 だが、その前に、家の中の沈黙が、すべてを語っていた。 寝室に入ったとき、彼は、足を止めた。 そこに横たわっているのは、 確かに、妻の身体だった。 だがそれは、もはや「彼女」ではなかった。 彼が知っていたのは、 息をし、温度を持ち、微かに表情を変える、あの存在だった。 今そこにあるのは、 ただの静物だった。 「……マリア……?」 声は、ほとんど音になっていなかった。 返事は、ない。 当然だ。 わかっている。 理解している。 それでも、声は出た。 

 人は、理解と現実のあいだで、しばしばこうして崩れる。 そのとき、彼の中で、何かが崩れた。 涙ではなかった。 叫びでもなかった。 もっと深いところで、 世界の前提そのものが、静かに崩れ落ちた。 これまで、彼の人生には、「戻る場所」があった。 音楽の中で迷っても、 仕事に追われても、 孤独に沈んでも、 帰れば、そこに彼女がいた。 彼女がいるという事実が、 彼の存在の「重心」だった。 だが今、その重心が、消えている。 足を踏み出そうとしても、 床がない。 空間が、空洞になっている。 彼は、寝室の入口に立ち尽くしたまま、長い時間、動けなかった。 葬儀は、簡素に行われた。 記録には、ほとんど何も残っていない。 死亡原因も、不明。 最期の言葉も、ない。 別れの情景も、ない。 ただ、 「妻が死んだ」という事実だけが、淡々と残る。 だが、記録が語らない部分にこそ、現実がある。

  子どもたちは、しばらくのあいだ、夜になると泣いた。 眠りの中で、母の名を呼び続けた。 バッハは、その声を聞きながら、ただ、布団の中で目を開いていた。 これまで、夜は創作の時間だった。 音楽の時間だった。 だが今、夜は、 ただ、彼女がいないことを確認する時間になっていた。 どれだけ耳を澄ませても、 あの足音は戻らない。 あの気配は戻らない。 世界は、何も変わっていない。 朝は来る。 鐘は鳴る。 仕事は待っている。 それなのに、 彼の人生の根底だけが、決定的に変わっていた。 数週間後、彼は、ようやく譜面に向かった。 だが、ペンが動かなかった。 音が、出てこない。 これまで、音楽は、彼の中から自然に流れ出てきた。 書こうとしなくても、勝手に湧いてきた。 だが今は、違う。 内側が、空っぽだった。 いや、正確には、 あまりにも重く、あまりにも静かで、 音が入り込む余地がなかった。 彼は、はじめて知った。 音楽は、 孤独の中からだけでは生まれない。 誰かの存在に支えられて、はじめて流れ出るものなのだと。

  マリア・バルバラは、 最後まで、何も求めなかった。 名も。 称賛も。 感謝も。 理解さえも。 ただ、そこに在り続けただけだった。 だが彼女が消えた瞬間、 バッハははじめて気づいた。 ——自分が、どれほど深く、 ——どれほど根源的に、 ——彼女という存在に支えられて生きていたかを。 気づいたときには、 もう、彼女はいなかった。 それが、喪失というものだった。


第Ⅵ章 残された者の人生 ――喪失のあとで、人はどう生きるのか  マリア・バルバラがいなくなってから、家の中の時間は、奇妙な流れ方をするようになった。 朝は来る。 子どもたちは目を覚ます。 鍋は煮える。 仕事は待っている。 すべては、以前と同じように続いている。 ただひとつ、 「彼女がいない」という事実だけが、すべての中心に穴を開けていた。 バッハは、相変わらず早朝に起き、教会へ向かい、鍵盤に向かい、生徒を教え、楽譜を書いた。 外から見れば、何ひとつ変わっていないように見えただろう。 だが内側では、すべてが変わっていた。 音楽が、以前ほど自然に流れてこない。 旋律が、どこか乾いている。 和声が、過剰に整いすぎている。 まるで彼自身が、 「感情」を音楽の中に流し込むことを、どこかで拒むようになっていた。

  悲しみがあまりにも深すぎると、人はそれを表現できなくなる。 表現しようとした瞬間、自己が崩壊してしまうからだ。 だから彼は、音楽を「より厳密に」しようとした。 構造を固め、形式を磨き、感情があふれ出さないように、音楽を鎧のようにまとわせた。 それは、芸術的成熟でもあり、同時に、心理的防衛でもあった。 子どもたちは、母を忘れなかった。 夜、幼い声で名を呼ぶ。 朝、無意識に母の姿を探す。 泣きながら、父の袖をつかむ。 バッハは、そのたびに、何も言えなくなった。 慰めの言葉が見つからなかったのではない。 「慰める資格があるのか」という疑いが、彼の中にあった。 自分は、妻を守れなかった。 不在の間に、彼女は死んだ。 自分は、その瞬間、そばにいなかった。 それが、事実だった。 その事実が、彼の中で、ゆっくりと罪悪感へと変わっていく。 ——もし、私が家にいたなら。 ——もし、もっと早く帰っていれば。 ——もし、彼女の疲れに気づいていれば。

  その問いに、答えはない。 だが人は、答えのない問いを、何度でも自分に投げかけ続けてしまう。 再婚の話が持ち上がったのは、思いのほか早かった。 周囲の人間は、現実的だった。 子どもが多い。 家事を担う人間が必要だ。 音楽家としての職務もある。 社会的にも、未亡人を長く置くことは好まれない。 「あなたには、伴侶が必要です」 その言葉は、何度も繰り返された。 バッハ自身も、理性では理解していた。 家庭が、このままでは立ち行かないことを。 だが感情は、まったく別の場所にあった。 彼の内側には、まだ、マリア・バルバラが生きていた。 いや、むしろ、「彼女がいた世界」が、そのまま保存されていた。 そこに、誰か別の人間が入り込む余地など、あるはずがなかった。 それでも、現実は、待ってくれない。 子どもたちが成長する。 家の中に、女性の手が必要になる。 彼自身も、次第に、限界に近づいていく。 孤独は、芸術家を育てることもある。 だが同時に、人を確実に摩耗させる。

  バッハは、自分が少しずつ、乾いていくのを感じていた。 再婚相手となるアンナ・マグダレーナ・ヴィルケとの出会いは、静かだった。 彼女は若く、歌い手として才能があり、そして、驚くほどに実務的な感覚を持っていた。 家庭を整える力。 子どもたちに寄り添う力。 音楽を理解する力。 理性で考えれば、これ以上ないほど適した相手だった。 だが彼の内側では、常に、比較が起きていた。 それは意識的なものではない。 もっと無意識的で、もっと残酷なものだった。 声の質感。 家の中の歩き方。 子どもたちへの接し方。 沈黙の置き方。 どれもが、 「似ているかどうか」ではなく、 「かつての気配とどう違うか」という尺度で測られてしまう。

  アンナ・マグダレーナは、決してマリア・バルバラの代替ではなかった。 彼女には彼女自身の個性があり、魅力があり、力があった。 それでも、 バッハの内側に残り続けている「ひとりの妻の像」とは、決して重ならなかった。 それを、彼自身がもっとも苦しく感じていた。 それでも、人は、生き続ける。 人は、誰かを失っても、 ある日ふと、再び笑ってしまう。 再び、誰かの声に耳を傾けてしまう。 再び、誰かの存在を必要としてしまう。 それは裏切りではない。 それは、生命の持つ、容赦ない力だった。 バッハは、ある日、気づく。 アンナ・マグダレーナと並んで歩いているとき、 ほんの一瞬、心が「軽くなっている」ことに。 その事実に、彼は愕然とした。 ——私は、もう、彼女だけを生きているのではないのか。

  その気づきは、同時に、救いでもあり、罪でもあった。 愛する人を失っても、 人は、完全には止まらない。 心は、思いのほか、しぶとく生き延びる。 それが、残された者の現実だった。 だが、だからといって、マリア・バルバラが消えるわけではない。 彼女は、 彼の人生の「過去」になったのではなかった。 彼の人生の「深部」になったのだった。 アンナ・マグダレーナと築く新しい家庭の中でも、 彼が書く音楽の奥底には、 あの最初の妻と過ごした、静かな年月の感触が、確かに残り続けていた。 それは、思い出というよりも、 人格の一部に近いものだった。

  若き日の愛が、 人の内側の構造そのものを形づくってしまうように。 人は、 愛を失っても、生きる。 愛を失っても、再び誰かを愛する。 愛を失っても、それでも人生を続けていく。 だが同時に、 最初に深く結ばれた愛は、 決して完全には消えない。 それは、 記憶の中に残るのではない。 存在の構造の中に、静かに沈殿していく。 バッハの音楽が、 人生の後半に入って、ますます深く、重く、普遍的な響きを帯びていったのは、 彼がひとりの女性を深く失い、 それでもなお生き続けるという経験を、生き抜いたからなのかもしれない。 音楽は、彼にとって、 神への祈りであると同時に、 人生そのものへの、応答になっていった。


終章 沈黙の愛が、いまも響いている ――名を持たぬ者が、世界を支えたということ

  歴史は、声の大きなものを記録する。 戦争。 革命。 天才。 名声。 成功。 勝利。 破綻。 スキャンダル。 だが、 沈黙は、ほとんど記録されない。 まして、 誰かの人生を支えるために生きた沈黙など、 歴史の文脈においては、ほとんど「存在しなかったもの」として扱われてしまう。 マリア・バルバラ・バッハ。 彼女の人生は、記録の上では驚くほど簡素だ。 生年。 結婚。 出産。 死亡。 それだけだ。 彼女が何を考えていたのか。 何に喜び、何に耐え、何を望み、何を諦めたのか。 どんな声で子どもたちを呼び、どんな眼差しで夫を見つめていたのか。 それらは、どこにも書き残されていない。

  だが、それでも、 彼女は「消えた」のではない。 バッハの音楽は、二百年以上にわたって演奏され続けている。 教会で。 演奏会場で。 学校で。 ラジオで。 夜の書斎で。 誰かの人生の節目で。 誰かの喪失の中で。 あまりにも整い、 あまりにも構築され、 あまりにも精神的であるにもかかわらず、 それでもなお、 不思議なほどに人の胸を打つ。 なぜだろう。 理論的には説明できる。 対位法。 構造美。 形式の完成度。 数学的精密さ。 だが、それだけでは説明できないものが、 確かに、あの音楽の中にはある。 ——温度。 ——呼吸。 ——人の気配。 それは、計算からは生まれない。 理念からも生まれない。 神学からも、生まれない。 それは、 誰かと生きた記憶からしか生まれない。

  マリア・バルバラは、作品を書かなかった。 講義をしなかった。 弟子を取らなかった。 名声を得なかった。 だが、彼女は、 「天才が天才であり続けられる空間」を、 日々、静かに整え続けた。 朝の秩序を守り、 子どもたちの命を守り、 夫の孤独を守り、 家という時間のリズムを守り続けた。 彼女が守ったのは、 家事ではなかった。 労働でもなかった。 「人が壊れずに生き続けられる世界」そのものだった。 それは、記録されない仕事だ。 評価されない仕事だ。 称賛されない仕事だ。 だが、それがなければ、 多くの才能は、途中で枯れていただろう。 多くの創造は、途中で途絶えていただろう。

  歴史に名を残す多くの人間の背後には、 このように名を残さなかった人々の生が、無数にある。 マリア・バルバラは、その象徴のような存在だった。 彼女の愛は、激情ではなかった。 燃え上がる恋でもなかった。 劇的な献身でもなかった。 自己犠牲を叫ぶような愛でもなかった。 それは、 毎朝、同じように起き、 毎日、同じように家を整え、 毎夜、同じように誰かの帰りを待つ、 極めて地味で、極めて地道な愛だった。 だが、 それこそが、最も持続する愛だった。 人を壊さず、 相手を縛らず、 自分を誇示せず、 ただ、関係の中に「空間」を残し続ける愛。 それは、現代においてしばしば軽視される愛のかたちでもある。 派手でないから。 刺激的でないから。 ドラマにならないから。 語りにくいから。

  だが、人生の長さの中で、 本当に人を支えるのは、 このような「語られない愛」であることが多い。 もし、マリア・バルバラが長く生きていたら、 もし、ふたりが老年まで共にあったなら、 バッハの音楽はどうなっていただろう。 それは、誰にもわからない。 だがひとつだけ確かなことがある。 彼女がいた時代の音楽には、 確かに、彼女の気配が宿っている。 それは旋律の中に、 和声の奥に、 沈黙の間に、 そして、構造の深層に、静かに息づいている。 だから私たちは、 バッハの音楽を聴くとき、 知らず知らずのうちに、 ひとりの女性が生きた時間にも、触れている。 名も知らぬままに。 顔も知らぬままに。 それでも、確かに。 愛は、必ずしも言葉を必要としない。 必ずしも記録を必要としない。 必ずしも証明を必要としない。

  本当に深い愛は、 むしろ、語られず、 示されず、 主張されず、 ただ、生きられる。 マリア・バルバラの愛は、 まさにそのような愛だった。 彼女は、 「偉人の妻」ではなかった。 「天才の支え」でもなかった。 「歴史の裏方」でもなかった。 彼女はただ、 ひとりの人間として、 ひとりの妻として、 ひとりの母として、 自分の人生を、静かに生き抜いた。 それだけだった。 だが、 その「それだけ」が、 世界のどこかで、二百年以上ものあいだ、 今もなお、人の胸を震わせる音楽を支えている。 それが、 この物語が語ろうとした、 もっとも静かで、もっとも深い真実だった。

  もし、あなたが、 誰にも知られずに誰かを支えているなら。 感謝されることなく誰かの生活を整えているなら。 名を残さず、称賛されず、ただ日々を生きているなら。 その生は、決して「小さな人生」ではない。 歴史に記録されなくても、 誰かの人生の中で、 確かに、あなたの存在は響いている。 沈黙の中で。 目に見えないところで。 言葉にされない領域で。 マリア・バルバラがそうであったように。 そして、 バッハの音楽が今も生きているように。 ——沈黙の愛は、消えない。 ——それは、声を持たぬまま、最も長く響き続ける。 物語はここで終わる。 だが、この愛は、終わらない。


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婚活の一覧。「決める」という暗示の強さ - はじめに 「決める」という行動は、人間の心理や行動に大きな影響を与える要因の一つです。恋愛心理学においても、この「決める」というプロセスが関与する場面は多岐にわたります。本稿では、「決める」という暗示が恋愛心理に及ぼす影響を詳細に考察し、具体的な事例を交えながらその重要性を検証します。1. 「決める」という行動と暗示の心理的基盤1.1. 暗示効果の基本理論 暗示効果とは、言葉や行動が人の思考や行動に無意識的に影響を及ぼす現象を指します。「決める」という行為は、自己効力感を高める一方で、選択を固定化する心理的フレームを形成します。例: デートの場所を「ここに決める」と宣言することで、その場の雰囲気や相手の印象が肯定的に変化する。1.2. 恋愛における暗示の特性 恋愛心理学では、相手への影響力は言語的・非言語的要素の相互作用によって増幅されます。「決める」という言葉が持つ明確さは、安心感を与えると同時に、魅力的なリーダーシップを演出します。2. 「決める」行動の恋愛への影響2.1. 自信とリーダーシップの表現 「決める」という行動は、自信とリーダーシップの象徴として働きます。恋愛においては、決断力のある人は魅力的に映ることが多いです。事例1: レストランを選ぶ場面で、男性が「この店にしよう」と即断するケースでは、相手の女性が安心感を持ちやすい。2.2. 相手の心理的安定を促進 迷いがちな行動は不安を生む可能性があります。一方で、決定された選択肢は心理的安定を提供します。事例2: 結婚プロポーズにおいて、「君と一緒に生きることに決めた」という明確な言葉が相手に安心感と信頼感を与える。2.3. 選択の共有感と関係構築 恋愛関係においては、重要な選択肢を共有することが絆を強化します。「決める」という行為は、相手との関係性を明確化するための重要なステップです。事例3: カップルが旅行先を話し合い、「ここに行こう」と決断することで、共同作業の満足感が高まる。3. 「決める」暗示の応用とその効果3.1. 恋愛関係の進展 「決める」という行動がもたらす心理的効果は、恋愛関係の進展において重要な役割を果たします。事例4: 初デート後に「次はこの日空いてる?」ではなく、「次は土曜にディナーに行こう」と提案することで、関係が一歩進む。3.2. 関

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