はじめに:勇気とアドラー心理学
「勇気」と聞くと、多くの人が一瞬で思い浮かべるのは、危険に直面して恐れずに行動する英雄的な姿かもしれません。しかし、アドラー心理学(Individual Psychology)においては、「勇気」はもっと日常的で、人生の中の“ささやかな勝利”と深く結びつく概念です。アドラーは、勇気とは【困難を克服する活力(Lebenskraft)】であり、その活力こそが人を前に進ませ、自己超越と共同体感覚へと導く原動力だと説いています。
本エッセイでは、アドラー心理学の理論に基づきながら、「勇気」という言葉の意味や重要性、そしてそれがどのように具体的な日常の行動に現れるかを、さまざまな事例やエピソードを通じて探っていきます。最終的には、「勇気」を育むためのヒントや、あなた自身の人生に活かすための実践的な視点もご紹介します。
第1章:「勇気」とは何か――アドラー心理学的定義
アドラー心理学では、人間は常に目的志向的に行動しており、その行動は主体的選択であると捉えます。このとき、たとえ壁にぶつかっても前に進む力、それこそが「勇気」です。この定義は、単なる“恐怖に打ち勝つ行為”ではなく、人生を切り拓くための内的なエネルギーそのものを指します。
1.2 劣等感と勇気の関係
アドラーは劣等感も重要な概念として位置づけました。劣等感は自己改善の原動力にもなり得ますが、それを乗り越え、挑戦へと昇華させるには「勇気」が不可欠です。勇気によって、劣等感に押しつぶされず、自分の道を歩もうとする力が芽生えるのです。
第2章:勇気が生まれる瞬間――日常のエピソードで理解する
例として、東京で新社会人として営業職に就いたAさん(仮名・22歳)のケースを考えてみましょう。Aさんは人前で話すことが苦手で、「緊張して頭が真っ白になってしまう」という劣等感を強く抱えていました。
しかし、新人研修の一環で営業プレゼンを任されることになります。彼女にとってそれは、劣等感と向き合う絶好の機会。アドラー心理学では、「目標(ここでは“労力をかけてプレゼンを成功させる”)が明確であれば、勇気は引き出される」とされます。
本番当日。緊張の中でも「私は今日これを伝える」と自分に言い聞かせ、準備通りに資料を提示。結果、聴衆は興味を持って質問をしてくれました。Aさん自身も、「思ったよりうまくできた」という達成感を得て、翌日には「もっと練習して次は自信を持って話したい」と前向きになっていました。ここにあるのは、“困難を克服する活力=勇気”でした。
2.2 子どもの行動変容:ダンスの発表会での一歩
別の例として、小学3年の男の子(Bくん)がいます。内気で恥ずかしがり屋で、学校のダンス発表会での “ひとりでステージに立つ” ことを非常に恐れていました。
しかし、「挑戦してみたい」という気持ちもありました。彼の親は「嫌なら無理に出なくていいよ」と優しくサポート。しかし、最終的には本人が「出たい」と決めることで、少しずつステップ練習に取り組みます。
発表当日。照明に照らされ、練習通りのステップを踏むBくん。観客から拍手が沸き起こりますが、本人にとってはそれ以上に「怖くてもやり切った」という自身が「何よりのご褒美」だったのです。
このエピソードでは、アドラー心理学でいう「課題の分離」が見られます。子ども自身が「挑戦する課題」、そして親は「見守る課題」を分離し、本人が自由に決断することで「勇気を育てる」環境が整えられました。
第3章:アドラーの理論と勇気のメカニズム
アドラー心理学においては、他人の「課題」と自分の「課題」を分離し、自分にコントロールできる範囲に集中することが強調されます。勇気は「自分の課題を主体的に選んで乗り越える」行為から生まれます。
上記のBくんの事例では、彼自身が「出たいかどうか」を選び、挑戦しました。そこに親の過干渉や強制がなかったからこそ、彼は自分自身で勇気を出すことができたのです。
3.2 共同体感覚と勇気
アドラー心理学では、「共同体感覚(Gemeinschaftsgefühl)」も中心的な概念です。これは「他者と協力し、自分も他者も幸せにしたいという意欲」です。この感覚があるからこそ、困難に立ち向かう勇気が自然と湧いてくるのです。
Bくんの例では、発表後に拍手で迎えられたことが「他人とつながっている」という実感につながり、次の挑戦へと勇気が続きます。Aさんの営業プレゼンも、聴衆を前に「役に立ちたい」という気持ちが原動力となり、恐怖を超える勇気を支えました。
第4章:大人の挑戦——転職と起業における勇気
会社勤めをして15年。30代半ばのCさんは、将来に漠然とした不満を抱いていました。今の職場でやりたいことは十分にできない、しかし転職には経済的不安や家族への責任もあって、簡単には決断できません。
そんな中、友人から「一度話を聞いてみないか?」と声がかかります。Cさんは心の葛藤を抱えつつも、アドラー心理学の「目的志向(teleology)」──“ありたい未来”を明確に意識する──という視点から、「自分がどうなりたいか」を思い浮かべ始めます。
そして、心の中で「挑戦してみよう」と意思表示する瞬間がやってきます。最初の勇気は、転職エージェントへの登録。そこから面接、提示された内定通知──それらすべてが一つずつ「困難を乗り越える活力=勇気」の積み重ねでした。
4.2 起業への飛躍と勇気の進化
転職を経て、数年後自分のビジネスを持ちたいと考えたCさんは、今度は完全にゼロからの起業を決意します。起業はさらに高いリスクを伴い、「失敗」や「周囲からの評価」が最初から重くのしかかります。
しかし、彼は常に「自分のやりたいこと」を軸にし、そのために必要なスキルを少しずつ習得していきました。失敗を恐れず試行錯誤し、小さな成功体験を積む。アドラー心理学でいう「目本意志」──自分が目指すものに向かって行動する意思──は、勇気を何度も吹き込む源泉なのです。
第5章:「勇気」を育てる実践的ヒント
ヒント1:小さな目標を定める
勇気は小さな成功体験の積み重ねから育まれます。大きな目標ではなく、まずは「今週、◯◯をやってみる」といった小さな設定から始めましょう。
ヒント2:自己受容と感謝の習慣
自分を『今いる場所』で受け入れ、努力そのものを認める習慣をつけると、まず自分に対して「勇気をもっていいんだ」と許可が下りてきます。
ヒント3:共同体感覚を育む
勇気は他者とのつながりと支援のネットワークの中で芽生えます。誰かに話を聞いてもらったり、一緒に活動したりする時間を意識的に作ると、困難に直面しても「ひとりじゃない」という安心感が勇気を育てます。
第6章:「勇気」は人生のどこにでもある
勇気は特別な人だけが持つものではありません。むしろ、私たちの一人ひとりの日常の中に、勇気が頻繁に現れているのです。小学校の教室でも、企業の会議室でも、家庭の中の「今日もご飯を作る」といったルーティンでも、そのすべてが「困難を克服する活力」に満ちています。
そしてアドラー心理学では、この「勇気」をすべての人に宿る、内なる資質として認めています。重要なのは、それに気づき、自分で育むことです。
第7章:恋愛や結婚に関する勇気――「親密になること」への恐れを超える
恋愛において最も重要でありながら、多くの人が無意識に恐れているのが“親密さ”です。アドラー心理学では、恋愛や結婚は「人間関係の中でもっとも深い共同体感覚を必要とする場面」とされます。なぜなら、恋愛は「相手と対等な関係で深く結びつく」ことが前提であり、自分のありのままをさらけ出す必要があるからです。
しかし、ここで人は次のような不安に襲われます。
「こんな自分を相手は受け入れてくれるのか」
「相手の期待に応えられるだろうか」
「捨てられたらどうしよう」
これらの不安は、過去の劣等感やトラウマと結びつき、恋愛の場面において人を“回避的”にさせます。つまり、恋愛には【拒絶や失敗を恐れず、自分をさらけ出す勇気】が不可欠なのです。
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