ショパンの練習曲(全27曲)

 常識から言えば、練習曲は教則本的な性質のもので、とてもコンサート・プログラムにのせるような類のものではない。日々の鍛錬とテクニック向上のために使われるものであって、ましてや芸術作品としての価値を見出すことは論外である。しかし、ショパンの書いた27曲の「練習曲」はそうした常識を覆し、練習曲に対するイメージや評価を一気に変えてしまった。作品10の12曲は19歳から22歳、作品25の12曲は22歳から26歳、そして3曲の「新練習曲」は29歳と、書かれたのは比較的若い時期に集中している。
 ショパンがなぜ「練習曲」を書く気になったのかは推測の域を出ないが、決して教育的使命感から書いたということはあり得ない。ピアニストとしての自己顕示がその目的であって、そのためには鑑賞に堪えうる高度なテクニックの披露と、何よりも音楽的な魅力によって人を引き付けることが必要不可欠な至上命題となっていたように思われる。つまりは当時、最先端のテクニックを駆使した難易度の高い曲であり、音楽的にもショパンの独自性が際立つものを創作しなければならない。結果としてそうした必要十分条件を満たす作品が生み出されたというわけである。

 ショパンがこの「練習曲」を創作するまでは、例えばベートーヴェンの高弟のチェルニーやボヘミア出身のモシェレスなど、ヴィルトゥオーソ・ピアニストだった作曲家たちが上質の練習曲を書いている。現在でも教材として使用されているチェルニーの練習曲などは、技術を段階的に習得できるような実践的、効率的な内容で、機械的な練習が主体であり、音楽的にはあまり評価は高くはない。あるいはショパンもこうした有名な作曲家達による練習曲でピアノのテクニックを磨いたのかもしれない。というのもチェルニーの練習曲の中には、ショパンの「練習曲」で用いられているテクニックのすべてが見られるのであって、ショパンが新たに開発したようなテクニックは「練習曲」には見当たらない。言い方を変えれば、ショパンがそれまでに修得したピアノのテクニックの集大成がこの「練習曲」ということで、練習曲という楽曲自体に芸術音楽としての付加価値をつけたところに、ショパンの先進性と才気が認められる。

 「練習曲」以外にも、例えば「前奏曲集」はJ・S・バッハの「平均律クラヴィーア曲集」の前奏曲のみを取り出して新たな価値付けをしたものであるし、ポロネーズマズルカはポーランドの伝統音楽や民族音楽を普遍的な曲種へと高めることに寄与している。ショパンは既存の楽曲に新風を吹き込み、芸術性の高い次元の楽曲形態に生まれ変わらせる才に長けていたと言うことが出来るかもしれない。「練習曲」はある意味でピアノ学習者や聴衆が抱いている鑑賞向きではないというアカデミックな偏見を弱め、プロのピアニストにとってはショパン音楽に屹立する克服すべき魅力的な壁のような存在となっているのではあるまいか。あるいはヴァイオリンの奇才として有名なパガニーニが自らのテクニックを誇示するために書いた「24のカプリース」が、少なからず影響を与えているとも考えられる。ショパンとは同世代のピアノの大家リストもショパンよりも後になって超絶練習曲を書いているし、ブラームスにも同様の練習曲がある。奇遇にも、その中の傑作は全てパガニーニに由来するものである。

 ショパンの「練習曲」自体は超絶的なテクニックの極致を示すよりは、音楽的な表現力を養う目的の方に重心が置かれているような印象がある。そうした目的意識の違いはあるにせよ、ショパンが芸術性の高い「練習曲」の作品群に先鞭をつけたことはまず間違いない事実である。


















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