メンデルスゾーン最愛の女性は姉のファニー

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メンデルスゾーンが本当に愛していたのは4つ年上の姉ファニーだったのではないかと言われている。
 ファニーはひょっとするとメンデルスゾーンを凌ぐ音楽的才能の持ち主だったといわれるほどの女性で、生涯に500曲以上の作品を残し、アマチュアながら指揮者としても活動した。メンデルスゾーンが考案した無言歌というジャンルは、本当はファニーが生み出したものだとも言われていて、メンデルスゾーンのピアノ曲の代表作「無言歌集」には、ファニーの作品が含まれているという説まである。それでも、当時はまだ女性が作曲家になることが認められていなかったので、メンデルスゾーン家の父親は娘がプロとして音楽の道に進むことを許さず、ファニーの才能は歴史の中に埋もれてしまったのである。

 メンデルスゾーンとファニーは、幼い頃から大変仲が良く、二人の間で交わされた膨大な書簡も残っている。手紙の話題は個人的な話はもちろん、音楽のことも多く、弟は度々、姉に自作へのアドバイスを求めていた。メンデルスゾーンはファニーの才能を認めていて、時にそれは嫉妬に似た複雑な感情を抱くほどだったという。それでもメンデルスゾーンは父親同様、当時の社会的規範を飛び越えることができず、姉が表立って作曲家として活動することには非協力だった。当のファニーも、その時代の自分の立場を理解していたようで、周囲の反対を押し切ってまで、作曲家としての活動を広げようとはしなかった。
 そんなファニーが結婚したのは、ヴィルヘルム・ヘンゼルという宮廷画家で、当時、決してメンデルスゾーン家の令嬢にふさわしいお相手とはいえなかった。しかし、なかなか良くできた人で、ファニーの音楽的才能を誰よりも評価し、ファニーに自作集を出版するように勧め、その活動を支え続けた。おかげで1846年に彼女は念願の自作集を出版する。ところがその翌年、ファニーは41歳の若さで急逝した。最愛の姉の死は、メンデルスゾーンにとって大きなショックであった。
 メンデルスゾーンは、ファニーの音楽活動を応援しなかったことに、計り知れない後悔を感じたようだ。ファニーが亡くなってしばらくしてから、ファニーの夫のヘンゼルに宛てて、あなたは姉をとても幸せにしてくれたけれども、私は姉のために何もしてあげられなかったといった内容の手紙を書いている。
 結局、メンデルスゾーンはファニーの死後、立ち直ることができず、ファニーが亡くなったわずか半年後、姉と同じく脳卒中でこの世を去った。もともと、子供の頃から勉強、勉強で勤勉を最高の美徳と教えられて育ってきたメンデルスゾーンは働き過ぎの傾向にあった。指揮者、作曲家、教師として文字通り死ぬほど忙しい日々を送っていたのだ。一時は指揮者や教育者としての活動を抑えて作曲に専念しようと試みたものの、ワーカーホリックの気があったのか、すぐに元の多忙な生活に戻っている。実際、亡くなる前年にはすでに体調が悪くなっていたが、休みをとらずに仕事を続けた結果、体調は悪化し、ファニーに死なれたことが大きなストレスになって、亡くなってしまったようだ。

 富豪の家に生まれ、家族仲も良く、才能に満ち、音楽活動も結婚も順調だったメンデルスゾーンとその妻の人生を羨ましく感じる人は多いかもしれない。確かにメンデルスゾーンは、女性から見て、恋人としても、結婚相手としても最高の人物だが、どんなに立派な夫だったとしても、働き過ぎで38歳で過労死されてはやっぱり困る。彼の場合、もう少しだけわがままで、だらしないところがあった方が良かったのかもしれない。

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