裕福な良家の子息 メンデルスゾーン

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 メンデルスゾーンの母レアは生まれたばかりの長女ファニーの指を見て、「バッハのフーガを弾くのにぴったりだわ」と喜んだ。


 裕福な家庭に育ち、ピアノも巧みに弾く母は、ファニーが4歳になるとピアノ教育を開始した。生まれたばかりのフェーリクスにとって、姉のレッスン曲が子守唄だった。


 ブルジョア・インテリのメンデルスゾーンの両親が息子に授けた教育は、尋常でない。父は数学とフランス語、母は文学、美術、ピアノを担当し、9歳の時にはピアニストとして公開演奏も行わせた。その頃には作曲も始めており、11歳で50曲以上を書いた。当時メンデルスゾーンが書いた詩には、5時に起床してラテン語と古代ギリシャ文化、朝食後に算数、11時からチェロとヴァイオリンと、勉強漬けの日課が記されている。


 ドイツ語、フランス語、イタリア語を話し、画家や詩人の教えも受けて画才と文学的才能にも恵まれたメンデルスゾーンは12歳で喜劇を書き、オペラを作曲した。ゲーテを訪問したのも12歳の時。腕試しのつもりで即興演奏とフーガの初見試奏をさせたゲーテは仰天し、少年を私邸に2週間滞在させ、毎日6時間その演奏に耳を傾けた。


 非常に恵まれた環境と才能の開花だが、両親に溺愛されて反抗期もなく育ったことがすべて良かったのか、との疑問も湧く。神童モーツァルトも、20歳過ぎればタダの人として挫折を繰り返した。


 順風満帆のメンデルスゾーンに欠けているものがあるとすれば、苦境やどん底の絶望である。ベートーヴェンの憤怒や闘争意欲も、貴族の生まれではないという劣等感に根ざしていた。


 芸術とは、名声と富を得て勝利する道でもある。自由な人間は自由に憧れない。ならばメンデルスゾーンの音楽に自由への希求や闘争を聴き取れなくて当然だろう。英才教育のおかげでコンプレックスとも無縁。家柄も良く美男子。そんな青年に憂鬱や絶望の叫びを求めるべくもない。1歳年下のショパンの憂愁、シューマンの狂気をはらんだ美をもたず、古典的バランスを保ったが故にロマン主義者になりきれなかった理由もそこにある。


 メンデルスゾーンの美質はむしろ、交響曲「イタリア」の明朗な南欧気質や、ヴァイオリン協奏曲の伸びやかな旋律で発揮されたのである。


 モーツァルトには5歳年上の姉マリア・アンナ(ナンネル)が、メンデルスゾーンには4歳年上の姉ファニーがいた。職業音楽家とすべく両親が力を注いだのは息子だが、家庭教育も経験の産物だから一人っ子であれば失敗の可能性も高かったはず。過度の緊張を強いられた子供にとって、先に音楽を学んだ姉の存在がどれほど救いになったことか。


 姉のファニーも音楽の才能に恵まれ、13歳でバッハの「平均律クラヴィーア曲集」を暗譜で弾き、500曲もの作品を残した。姉弟の絆は「無言歌集」にファニーの作品が含まれているといわれるほど強かった。


 1835年の父の死、42年の母の死はメンデルスゾーンを悲しませたが、創作活動に影響を与えていない。だが、47年に姉の死の報せを聞くと、メンデルスゾーンはショックのあまり失神した。それはメンデルスゾーンが初めて味わった真の絶望であり、その苦悩は最後の弦楽四重奏曲(ヘ短調)に特別な重みを与えている。


 メンデルスゾーンが38歳の若さで他界したのは、姉の死から半年後のことであった。


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