悪魔に魂を売ったパガニーニ

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 あまりにも超絶技巧の演奏をし、とても人間業とは思えないため、当時の人々が「あいつは悪魔に魂を売り、その代償にあのテクニックを授かったに違いない」と本気で信じて噂したのが、音楽史上最も有名なヴァイオリニスト、イタリアのニコロ・パガニーニ


 12歳で最初のコンサートを開き、天才少年としてデビューした。普通は神童でデビューするのだが、パガニーニには幼年期の伝説はない。というのも、ヴァイオリンを習い始めたのが7歳と、いわゆる神童たちに比べて遅いのである。


 最初のコンサートが成功し大金が転がり込んできたので、父親はさらにパガニーニに演奏させ、稼ぎまくった。今なら児童虐待で問題になるかもしれない。この守銭奴ぶりは父親から本人にも受け継がれ、パガニーニは史上最もケチな音楽家としても知られている。人気が出るにつれ、高額の出演料を要求するくらいは誰でもするが、やがてあまりにチケット代が高くなったので、偽造チケットが出回るようになると、自分でコンサート会場の入り口に立ってチケットをチェックしたという。そこまでやるアーティストはいないだろう。

 パガニーニは、「悪魔に魂を売った」男だと思われていたが、これは比喩的な表現ではなく、本気でそう思われていたのである。そういう噂が流れたのには、テクニックもさることながら、パガニーニの風貌にも原因があった。病弱だったために痩せていて浅黒く、手や指が異常に長かったというのだ。一説にによると、パガニーニはマルファン症候群という病気だったという。この病気は指が長くなり、関節が柔らかくなるという特徴がある。パガニーニの超絶技巧はこの病気がもたらしたという訳である。


 パガニーニがマルファン症候群だったかどうかの確かな証拠はなく、当時の人々はそんな知識もなかったので、本気で悪魔と取引をしたと信じた。そのためパガニーニのコンサートでは、十字を切る人が多かったという。恐れながらも、「怖いものみたさ」で、コンサートはいつも大入り満員だった。


 そして、教会もこの噂を信じた。パガニーニが亡くなると、悪魔に魂を売ったからとの理由で埋葬を拒否されてしまうのである。そのため遺体は防腐処理を施されて各地を転々とし、改葬を繰り返し、その死から86年も過ぎた1926年になって、ようやくジェノヴァの共同墓地に安置された。いかにパガニーニが悪魔と恐れられていたかを物語るとともに、ヨーロッパのキリスト教というものが、本気で悪魔を信じていることを物語るエピソードである。神を信じる人々は悪魔も信じるのだ。


 パガニーニは自分の腕前を披露するのにふさわしい曲を自作した。だが、生きている間は自作品の楽譜の出版を許可しなかった。それだけではない。オーケストラと協奏曲を共演する際には、オーケストラのパート譜をそれぞれの楽団員に配るのは演奏直前で、終わるとすぐに回収した。無断で写されて海賊版の楽譜が出回るのを恐れたのである。当時の楽譜出版は最初に出版される時は引き換えに出版社からお金をもらえたが、著作権が確立されていなかったので、いまでいう印税はなく、どんなに売れても作曲家には収入はなかったし、コピーし放題だったのである。


 パガニーニの協奏曲は、オーケストラとしてはぶっつけ本番となるので、当然、あまり難しい曲ではなかった。そのため、決して名曲とは言えない。独創者の腕前を聞かせる以外は聞かせどころのない曲なのだ。


 したがって、今日でも演奏されるパガニーニの自作曲は、ヴァイオリンの独奏曲で、「24の奇想曲」が有名だ。200年前は「悪魔に魂を売らなければ弾けない」と思われた難曲も、今ではコンクールの課題曲となり学生が弾いている。演奏技巧の進歩は著しい。















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