5歳で作曲した神童 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

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 モーツァルトは早熟の神童であり、ほとんどあらゆるジャンルで傑作を遺した、クラシック音楽史上最高の天才。音楽的功績は、とりわけオペラとピアノ協奏曲で顕著である。平明な美しさ、感情表現の豊かさ、音楽性の高さを備えたその作品は、世界中で愛聴されている。


 ザルツブルク宮廷音楽家であった父レーオポルトから音楽の手ほどきを受け、5歳の頃より作曲を始める。


 その神童ぶりを広く披露したいと考えた父とともに、ウィーン、パリ、ミュンヘン、ロンドン、ローマなど当時のヨーロッパ主要都市を旅して回り、各宮廷でもてはやされる。長じて父同様ザルツブルク宮廷音楽家となるが、領主の大司教と決裂し、以後ウィーンを拠点にフリーの音楽家として活動。1787年にはハプスブルク家の宮廷室内作曲家に任じられる。死因は不明で諸説あるが、おそらくは病死である。共同墓地に埋葬されたため、遺骨の所在は不明。


 音楽は、いわゆる神童が数多く出現する藝術と言われている。9歳で作曲を始めたシューマン、3歳でピアノ曲を作ったサン=サーンスなど、歴史的に音楽の神童は枚挙に暇がないが、とりわけモーツァルトの神童ぶりは傑出している。


 その天才が現れたエピソードのひとつに、アッレグリのミゼレーレを1度聴いただけで楽譜に書き起こしたというものがある。この宗教曲はバチカンのシスティーナ礼拝堂でしか演奏されず、筆写も持ち出しも厳禁の秘曲で、禁を破った者は破門されたと伝えられる。14歳のモーツァルトはこの曲を聴くと、宿に戻ってから5線紙に書き留め、後日、もう一度聴いて訂正し、仕上げたという。


 並々ならぬのは、ミゼレーレはグレゴリオ聖歌のような1本の旋律線で構成された単旋律音楽ではない点である。多声音楽(ポリフォニー)と呼ばれるもので、5声の第1合唱と4声の第2合唱が交互に歌われる二重合唱曲であり、最終部のみ9声の合唱曲となる凝った構成であった。モーツァルトの優れた聴音能力をよく示す逸話と言える。


<激動の18世紀末を生きた過渡期の作曲家>


 モーツァルトは様々な意味で過渡期の作曲家であった。あと20年早く、もしくは20年遅く生まれていれば、その生涯はガラリと変わっていたに違いない。


 もし20年早く生まれていたら、1732年生まれのハイドンがそうであったように、いずれかの王侯か大貴族(ハイドンの場合はハンガリーのエステルハージ家)、もしくは教会の専属作曲家として安定した生活を得ることが出来たはずだ。もし20年遅く生まれていたら、1770年生まれのベートーヴェンのように、パトロンからの年金や、楽譜出版社からの依頼で生計を立てるフリーランスの音楽家としての立場を確立出来たかもしれない。


 モーツァルトは、生涯の3分の1近くの時間を旅に費やした。当時の交通手段を考えると、それは過酷な日々であったろう。幼少時の旅は「神からの賜物」である天才を広く世の中に示すべきと父が考えたためである。長じて後の旅は「職探し」が目的だった。しかし貴族社会はすでに終焉を迎えつつあり、1789年にはフランス革命が始まるのである。ひと世代前のハイドンやグルックのように宮廷作曲家として生きるには肝心の王侯貴族の力が衰えだした頃であり、代わって台頭するブルジョワジーは、まだ音楽文化に貢献出来るほど成熟していなかった。こうしてモーツァルトは、西はロンドンから東はプラハまで、ヨーロッパ中を旅して回ったのである。


 モーツァルトが旅に明け暮れたおかげで、後世の我々はモーツァルトの生涯を克明に知る事が出来るのである。モーツァルトはほとんど毎日のように、家族や恋人、友人に宛てて手紙を書いた。書いた手紙は時には写しを取って手元に保管することもあった。今日モーツァルトの生涯がほとんど1日単位で辿れるのは、こうした記録類が残っているからである。


<その生涯は果たして不遇だったのか>


 職探しには苦労したかもしれないが、モーツァルトの一生を不遇の一言で片付けるのは無理がある。晩年にはちゃんとウィーンの宮廷室内作曲家というポストを得ているし、演奏会等でそれなりに収入もあった。ただの庶民という出自を考えると、裕福な部類に入ると言える。晩年に貧窮したと伝えられるが、資料からはある程度の収入はあったことがわかるので、当時流行した賭博に溺れたためではないかと憶測されている。


 モーツァルトの生涯が不遇に見えるのは、わずか35歳で夭逝したことと、その才能に比べて、得た地位がそれほど華々しくはなかったためであろう。
 
<あらゆるジャンルに傑作を遺した音楽の天才>


 モーツァルトは確かに比類ない音楽的天才で、死後200年以上たつ今もそれは変わらない。


 では、どこがどう天才なのか。まず、器楽、声楽、宗教曲など、ありとあらゆるジャンルの曲を作曲し、いずれに於いても今日まで繰り返し演奏される傑作を遺している。


 これは本当に稀有のことで、例えばバッハにオペラ作品はなく、ベートーヴェンもオペラを書いてはいるがわずか1作、それも幾度も書き直すなど散々苦労しているところを見ると、あらゆるジャンルに精通した音楽家は、他にはほとんどいないことがわかる。


 5歳で作曲を始めたこと、巧みな演奏でヨーロッパ中の宮廷で神童と呼ばれたこと、14歳の少年の身で大人の作曲家でも難しい対位法の問題をやすやすと解き、当時、対位法の第1人者と言われたボローニャのマルティーニ師を驚嘆させたこと、自筆譜に1箇所も書き直しがなく、清書したようにきれいなこと(ベートーヴェンの自筆譜は書き直しやメモがいっぱい)など、天才性を示すエピソードは数え切れないほどある。


 だがどんなエピソードも、モーツァルトの音楽そのものに比べると色褪せて見える。


 モーツァルトはヒーリング効果もある美しい曲を数多く作曲した。モーツァルトは音楽で人を感動させようとしたのではなく、常に美しい音楽を書こうとしていたのである。

















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