ヴィルトゥオーゾとピアノ音楽

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<ピアノの発達とヴィルトゥオーゾ>

 19世紀を特徴づける楽器と言えば、なによりもピアノを挙げることが出来る。ピアノは18世紀初頭にイタリアのクリストフォリらによって発明され、打鍵の強さに応じて弱音も強音も出せることから「ピアノフォルテ」と呼ばれ、また「フォルテピアノ」とも呼ばれた。この楽器は世紀の後半に広く普及していったが、当時はチェンバロやクラヴィコードなどのバロック時代の楽器も引き続き用いられていた。しかし19世紀に入ると、それらの楽器は徐々に消えて、ピアノの独壇場となってゆく。


 1803年、フランスのピアノ製造家エラールは、名声の高まりつつあったベートーヴェンにピアノを贈呈した。ベートーヴェンが以前から所有していたワルター製のピアノなどがまだ5オクターヴの音域しかなかったのに対し、エラール製のピアノは最高音が5度上がってF1ーc4となり、この楽器によって「ヴァルトシュタイン」作品53から作品101までのソナタが書かれた。また1818年にはイギリスのブロードウッド社から6オクターヴ(c1−c4)の音域を持つピアノが贈られ、晩年の1825年頃にはウィーンのグラーフ社から6オクターヴ半(c1−f4)の音域を持つピアノが贈られた。ベートーヴェンの作品を見ると、その都度の段階で音域の限界にぶつかっている箇所が多く、ベートーヴェンが様々な工夫をしている様子が見られる。例えば、1801〜1802年に作られたピアノ・ソナタ第17番作品31の2「テンペスト」の第1楽章第2主題を見ると、提示部では右手が上昇してゆくが、再現部では上のへ音を超える鍵がないため、ニ音を持続させており、これがかえって不協和音を伴った独特な独特な効果をもたらしている。また後期の作品にはそうした音域の限界を度外視している例も見られる。


 19世紀が進むにつれて、ピアノは音域のさらなる拡大だけでなく、様々な方面で改良されていった。その中心的な目的は、市民社会の発展に伴って次第に活発に行われるようになった大きな会場での演奏会のために、十分な音響を提供することである。そのために今までの木製のフレームに鋼鉄が用いられ、やがて全部が鋼鉄に替えられて、弦の張力が増した。またハンマーが重くなり、打弦距離が広がった。その結果、鍵のタッチが重くなるという事態も生じたが、エラール社が、1822年に完成したダブルエスケープメントという仕組みは、鍵がもとの水平の位置に戻る前に新たな打鍵を行うことを可能にするもので、これによって急速な同音反復が可能になった。


 ピアノの製作技術がこのように進歩するなかで、ロマン派初期に目立った現象がヴィルトゥオーゾと呼ばれる名人たちの活躍である。すでにバロック時代にはリュート、チェンバロ、ヴァイオリンの奏者たち、またカストラートを中心とするオペラ歌手たちの活躍が見られたが、19世紀の名人芸の中心はピアノによる未曾有の演奏効果であり、これが多くの人々に歓迎されたのである。それらの名人として、フンメル、カルクブレンナー、モシェレス、リスト、タールベルクらの名前が挙げられるが、彼らのなかでもひときわ抜きん出た存在がリストである。


<フランツ・リスト>

 リストは少年時代から傑出したピアノ演奏の才能を発揮し、11歳の時にウィーンで最初の公開演奏会を開き、13歳でパリでのデビューを果たした。リストにとって大きな意味を持ったのは、パガニーニの芸術に直接ふれたことである。リストはこの悪魔的なヴァイオリンの巨匠の驚くべきテクニックを鍵盤楽器に移入することで、新しいピアノ芸術の境地を開こうとした。そこから一種の編曲として作られたのが「パガニーニによる超絶技巧練習曲」である。リストはこの他にも「超絶技巧練習曲」など、最高度の技術を要求する数多くの作品を書き、今日のピアノ学習者にとっても重要な課題となっている。


 リストは、ベートーヴェンの交響曲をピアノのために編曲して聴かせるなど、他人の作品の伝達者としても活躍した。これはレコードなどのなかった時代に於いては、啓蒙的な意義のある仕事であった。リストはこのような「トランスクリプション」と呼ばれる編曲や、さらにはオペラなどの人気のある旋律をもとに、技巧的、幻想的に展開してゆく「パラフレーズ」のような作品も多数書いた。またリストの師でベートーヴェンの弟子であったチェルニーもこのような編曲作品をたくさん書いている。チェルニーは、ピアノの高度な演奏技術を身に付けるための数多くの教則本の著者としても知られている。


 ヴィルトゥオーゾたちは都市や町々を旅して回り、喝采を浴びる生活を続けたが、人々は名人たちの華々しい芸に惹かれるとともに、一方では音楽にもっと内面的なもの、ロマン的なもの、詩的なものを求めていた。そして作曲家たちも、そのような性格の作品において自らの個性的な特質を明らかにしていったのである。


<シューベルト>

 その意味で最初に挙げることの出来る作曲家はシューベルトである。時代的にはベートーヴェンと重なるが、シューベルトの作品の特質は抒情的、歌謡的な旋律の形式にあり、和声や転調の効果にも独特なものがある。そうした要素は「即興曲」や「楽興の時」などの小曲にも現れている。シューベルトのピアノ作品のうち、実用的な舞曲(ワルツ、レントラーなど)を除けば、生前に出版されたものは少ない。今日よく演奏される最後の3つのピアノ・ソナタ(ハ短調、イ長調、変ロ長調)も、死後11年を経た1839年に「遺作」として出版されたものである。シューベルトはソナタを20曲以上も手掛けたが、完成したのは11曲だけであった。これはシューベルトが1つの楽想を大きな楽曲に構成してゆくことを得意としていなかったためとも言えるが、このような真面目なタイプのジャンルが出版社からも公衆からも受け入れられにくい状況が続いていたことも、理由の1つと考えられる。シューベルトのソナタ以外の大規模な曲の中では、中間の緩除楽章にシューベルトの歌曲の旋律が用いられている「さすらい人幻想曲」が重要である。この曲には器楽的な華々しい技法をふんだんに用い、終楽章にはフーガ的な技法も取り入れており、外面的効果と内面的表出という両面で豊かな内容を示す作品となっている。


<シューマンとショパン>
 シューベルトが亡くなった後、1830〜40年代に優れたピアノ音楽を書いたのは、シューマンとショパンである。シューマンはピアニストになることを目指していたこともあって、初期の作品、すなわち「アベッグ変奏曲」作品1から「夜想曲」作品23までは、すべてこの楽器のための独奏曲である。またパガニーニの影響はシューマンにも色濃く現れており、「パガニーニのカプリッチョによる練習曲」作品3並びに10や、「トッカータ」作品7などのように純粋に技巧的な曲も多い。しかし、シューマンは音楽の詩的な気分を重視し、「交響的練習曲」作品13のような曲も、ロマン的な表現のための練習曲という面を持っている。シューマンはいくつかのピアノ・ソナタを書いているが、シューマンの音楽の特性がより一層、現れているのは、様々な性格の小品を組み合わせて作った曲集である「謝肉祭」作品9、「クライスレリアーナ」作品16などである。また「幻想曲」作品17は、ソナタ的形式原理とロマン的表出意思の結合から生まれたとも言える作品で、19世紀ピアノ音楽の代表的な1例となっている。後期の作品では「森の情景」さくひん82が、風景画と似たような気分を与え、シューマン自身のリートの世界との関連を暗示している。


 シューマンと同じ年に生まれたフレデリック・ショパンは、生涯を通じてほとんどピアノのための作曲に力を注いだ。ショパンは傑出したピアニストであり、19歳から20歳にかけて作曲した2つの協奏曲(ヘ短調、ホ短調)では、いずれも独奏パートを弾いて、熱狂的な称賛を得ている。また同じ頃に最初の練習曲作品10を書き始めている。ショパンは1830年11月、ワルシャワ蜂起の直前に故国ポーランドを去り、翌年パリでの生活を始めてからは、大きな聴衆を前にしての演奏を避け、貴族の弟子を教え、彼らの指導のため、また親しい人々との集まりや自分自身のために作品を書いた。

 
 ショパンのピアノ音楽を特徴づける様式は、右手が長く流麗な、装飾をたっぷり施された旋律を奏し、左手が分散和音の形で伴奏する、というものである。その際に右手の旋律は細部の拍節に縛られずに、しなやかに動いてゆく。テンポ・ルバートと呼ばれるこの様式は、アイルランドの作曲家フィールドの先例を受けて作曲されたノクターンに典型的な形で現れているが、ソナタをはじめ、他の多くの作品にも随所に同じ様式が用いられている。ショパンの作品には標題的な内容を明示するものがほとんどないが、単一楽章の形式によるバラードやスケルツォ(各4曲)は起伏に富んだ叙事的表現や激しいパッションに満ちており、語りかける力は大きい。また長い時期に渡って書き続けられた数多くのマズルカには、ショパンがポーランドの舞曲のリズムを基本的な枠組みとしつつ、芸術音楽としての高度な洗練と感情の繊細な表現とを様々な形で試みていったプロセスをうかがう事が出来る。


 19世紀の前半には、メンデルスゾーンが活躍していたことも忘れられない。メンデルスゾーンのピアノ曲のうち、特に親しまれているのは全部で49曲の「無言歌」である。これらもショパンのマズルカと同様、長い時期に渡って書かれており、「ヴェネツィアの舟歌」や「春の歌」などのように、情景や気分を喚起する曲が多い。
 
<ブラームスとリスト>

 世紀の後半ではブラームスが注目される。シューマンはブラームスが20歳になる直前に書いた3つのピアノ・ソナタを「変装した交響曲」と評し、ブラームスを新しい道を拓く作曲家として称賛した。ブラームスの初期のピアノ作品は「パガニーニの主題による変奏曲」をはじめ、3度や6度の積み重ねの多い、厚い響きの和音を用いているために、強靱でやや重いという印象もある。しかし晩年に書かれた曲(作品116〜119)では、テクスチュアが軽くなり、枯淡の境地ともいうべき静かな内面の表出が行われている。


 一方、フランツ・リストはブラームスのソナタと同じ頃に760小節もの長さを持つ単一楽章のソナタロ短調を作曲し、このジャンルの新たな可能性を示した。ブラームスは既に名ピアニストとしての職から離れており、作品の性格もヴィルトゥオーゾ的なあり方を一義的に追求するよりも、むしろ豊かな内容表現を目指すものとなってゆく。例えば「エステ荘の噴水」は美しい水の描写で知られており、ラヴェルやドビュッシーに影響を与えた作品としても重要である。また1880年代に書かれた「悲しみのゴンドラ」「死のチャールダーシュ」「無調のバガテル」などは大胆な語法に満ち、多くの点で20世紀を先取りしている。これら最晩年の作品については、もっと研究される必要がある。










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