バロック音楽の既視感と違和感

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 ヴィヴァルディの「四季」、ヘンデルの「メサイア」や「王宮の花火の音楽」、バッハの「インヴェンション」や「シャコンヌ」や「トッカータとフーガ」が作曲されたバロック時代とは、よく知っている作曲家や作品が次々に登場してくる、音楽史で最初の時代である。初めて耳にする人名が大量に出てくるルネサンスまでと違って、ここには馴染みの大作曲家がいて、聞き慣れた名曲がある。楽器編成の点でも、鍵盤独奏曲とか協奏曲とか管弦楽曲とかオペラなどが初めて登場してくるのがバロック時代である。中世後半ののラテン語で歌われるグレゴリオ聖歌の上に俗語の旋律をつけるとか、中心ジャンルが無伴奏合唱曲であるとか、ルネサンスの俗謡から借りた定旋律でもってミサを書くといった、現代人にとってなかなかピンと来ないような事柄は、この時代に入るともはやほとんど起こらない。バロック音楽の特質の1つは、我々にとってのこの既視感である。

 実際の響きやリズムの点でもこの時代は、我々の感覚に急速に近づいてくる。1例を挙げるなら、バロックになると曲は例外なしにキチンと「ドミソ」の和音で終わる。中世に於いては「ドミソ」の和音はほとんど用いられず、現代人の耳にはキンキンした不協和な響きに聞こえる「ドソ」の響きばかりが用いられていた。中世末期からルネサンスにかけて、響きに暖かさをもたらす「ミ」の音を加える試みが、少しずつためらいがちに行われるようになっていったのは確かである。しかしながら、全ての音楽が例外なしに「ドミソ」で閉じられるようになるのは、ルネサンス末期ないしバロック初期からのことなのである。また、「ドミソ」で閉じられる明るい曲(長調)と「ドミ♭ソ」で閉じられる暗い曲(短調)とに音楽が二分されるようになるのも、バロック以後のことである。
 リズム面でいえば、拍子感とでもいうべきものは、現代の人間にとってはほとんど自明になっている。音楽には必ず拍子がある。そして必ず1拍子目に強い拍が来て、それに比べて2拍目や3拍目は弱い。我々はこう信じて疑わない。拍子感がうまく表現出来ない人は音痴呼ばわりされかねない。だが中世やルネサンス音楽の大半は、何拍子か分からない(分かる必要もない)ものがほとんどだった。パレストリーナの無伴奏合唱曲を、行進曲よろしく「強弱強弱」とアクセントをつけて演奏したりしたら、目も当てられないことになるだろう。こうしたルネサンスまでの拍子感がはっきりしないなだらかな律動の流れに代わって、強拍と弱拍とが周期的に交替するリズムが音楽を徐々に支配し始めるようになるのも、バロック以後のことなのである。ただしバロックはまだ過渡期であって、この強拍と弱拍の交替から自由な作品も多いのであるが。
 大作曲家と名作、なじみのジャンル、三和音、長調/短調の区別、拍子感。バロックは、我々が音楽の基本ルールだと考えているもろもろの事柄が確立された時代である。別の言い方をすれば、歴史的理解という迂回路を経ずとも、ある程度直接的に、つまり聴いただけで理解できる音楽が登場するのは、この時代以後のことである。要するにバロックとは、古楽(歴史上の音楽)が「クラシック」になり始めた時代なのである。

 とはいえバロックの音楽史風景が、18世紀末から19世紀以後と比べて、まだどことなく漠然としているのは否めまい。思うにその原因の1つは、ビッグネームの少なさにあるに違いない。シュッツ、ブクステフーデ、アレッサンドロ・スカルラッティ、クーナウ、コレッリ、テレマン等など。名前くらいは耳にしたことがある作曲家が無数にいる。だが彼らは果たして、近代的な意味での大作曲家なのか。それとも単なる歴史的意義の点で重要なだけではないのか。
 19世紀以後の場合、そこには「文句なしの大作曲家」が何十人もいて、彼らによって音楽史という織物が編まれている。人々はベートーヴェンやシューベルトやワーグナーやドビュッシーやマーラーの「偉大さ」を、音楽を聴いただけで直接に感得出来る。彼らは歴史を越えている。だが同時に、彼らの間の歴史上の相互関係も、何とはなしにイメージできるだろう。つまり19世紀に於いては、歴史を超えた大作曲家たちが、同時に、歴史を織りなしてもいるのだ。対するにバロックは、こうした図式になかなかあてはまってくれない。そこには互いの区別もなかなか付かない群小作曲家が無数にいて、ところどころに「大作曲家」たちが孤立して立っているように見えるのである。「日付というものは、歴史という長大な綴れ織りをかけるのにどうしても必要な釘である」といったのは美術史家のゴンブリッジだが、バロックの場合は「歴史という綴れ織りをかけるのに必要な大作曲家という釘」の数が絶対的に不足しているのである。
 ジャンルの問題も、バロック音楽史を分かりにくくしている要因の1つである。当時繁栄していたジャンルに、受難曲、オラトリオ、カンタータ、合奏協奏曲、トリオ・ソナタ、舞踏組曲などがあるが、これらは19世紀以後、実質的に消滅したジャンルだといって良い。他方、バロック時代には、交響曲や弦楽四重奏やピアノ・ソナタやリートといった、現代人にとって最もなじみ深いジャンルは、まだ存在していなかった。これらが確立されるのは18世紀後半のウイーン古典派の時代であり、以後引き続き現代に至るまで、それらは途切れることなく演奏会のメインディッシュであり続けけている。つまり交響曲や弦楽四重奏が現代へと連続的に続いているジャンルとしての近代であるのに対して、カンタータやコラール変奏曲は現代との間に断絶があるジャンルとしての前近代なのである。バロックは近代と前近代とが雑然と同居している時代である。ところどころでよく見知った風景に出くわすのだが、その隣りにまったくなじみのない風景が広がったりしていて、そのせいで方向感覚が狂い、遠近感がうまくつかめない時代。我々に近いのか遠いのかよく分からないのがバロック時代である。

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