名演奏とは何か

ショパン・マリアージュ(釧路市の結婚相談所)
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 クラシック音楽のハードルの高さの一つは、作品名の抽象性や作曲家の多さと並んで、演奏家名の多さにある。ただでさえ作曲家が多い上に、誰々作曲の何々の誰々の演奏はスゴイ!みたいな話になるから、話のややこしさが倍増してしまう。
 おそらく人々は19世紀くらいまで、演奏にはあまり興味がなかったはずだ。例えばマーラーは大指揮者としても有名だったが、彼が指揮したオペラ公演のポスターを見ても、興味深いことに彼の名前は出ていない。劇場に残されている予定表などから、この公演はマーラーが振っていたと分かる訳だが。いうなれば、北島三郎ワンマンショーなどの催しのポスターに、バックバンドの指揮者の名前など出ないのと同じである。当時はまだまだクラシックは、どんどん新作が作られる現在進行形の音楽だったのだろう。だから人々の興味はもっぱら「誰が何を作るか」に向けられ、誰の何を誰がどう演奏するかなどどうでもよかった。
 事情が変わるのは20世紀に入ってからである。言うまでもなくこれは、あまり新曲が作られなくなり、レパートリーが固定し始めることと関係している。クラシック音楽の古典芸能化である。定期的に同じ作品が頻繁に上演されるから、必然的に人々は有名曲を覚える。だから今度は何を誰がどう指揮するのだろう?という関心とともに、コンサートに臨むようになる。
 演奏家が演奏に特化するようになったことも関係しているはずだ。以前は演奏しかしない人など音楽家ではなかった。マーラーやリヒャルト・シュトラウスは大指揮者だったけれども、何より彼らはそれ以前に大作曲家であった。ラフマニノフだってそうだ。生前の彼は大ピアニストとして知られていたが、何よりまず作曲家として自分を意識していた。彼らにとって演奏とは、極論すれば、生活の糧を稼ぐための行為に過ぎなかった。今も昔も作曲という商売は不安定であり、腕さえあるなら演奏のほうが手っ取り早く金を稼げるのである。したがって20世紀に入ると徐々に、演奏しかしない大演奏家というものの数が増えてくる。イタリアのトスカニーニはこうした傾向に先鞭をつけた人で、もちろんやろうと思えば作曲だって出来たはずだが、公的にはしかしなかった。カラヤンもそうである。どの曲ではなく、誰の演奏に人々の関心が向けられるようになるにつれ、演奏家がスターになり始めた。これが20世紀である。

 だが重要なのは、誰々の演奏が焦点化するとはいっても、どの作品であるかを全く無視するわけにもいかないという点である。演奏家とは寄生虫のようなものであって、既成の作品に寄りかからないことには商売にならない。しかし、だからといって、作品を完全に換骨奪胎してしまい、自分自身が主人公になって好き勝手をしたりしてはいけない。このあたりがクラシックの演奏家稼業の難しさである。
 おそらくクラシック・ファンの間には、レパートリーの定番名曲についての、暗黙のこの曲、かくあるべしのイメージがある。第1楽章のテンポはだいたいこんな感じ、あそこでは少しブレーキがかかる、ここで盛り上げてあそこへもっていく、サウンドはこういう感じがいい等。もちろん漠然としたものではあろうが、はっきりした根拠があるわけでもないのかもしれない。だがそれでも、この暗黙のイメージ規範には結構な権威があって、そこから余りにもかけ離れた演奏をやったりすると、たとえそのクオリティが極めて高いものであっても、異端のレッテルを貼られかねない。デビューした当時のグレン・グールドが弾いたバッハは、まさにこれが理由で、異端視された。
 別の表現をするなら、名演とはクラシック・ファンならたいがい知っている、定番名曲に於いてのみ成立する概念だという言い方もできるだろう。「あの曲といえばだいたいこういうイメージ」が共有されているからこそ、それを図星で射当てるような演奏が名演だということになるのである。ほとんど誰も知らないような曲について、たとえどれほどいい演奏をしたところで、それが名演なのかどうか、人々にはわからない。これはいい曲だなと人々に思わせることができれば、それはとりあえずいい演奏ではあったのだろう。しかしそれは名演とはちょっと違う。極論すれば名演とは、誰でも知っていて、すでに綺羅星のような演奏がある曲について、まさにこの曲とはこういうイメージのものだ!と人々に確信させるような説得力をもって初めて、成立するものなのである。
 ちなみにいい演奏だけど名演じゃないと独り言を言いたくなる演奏が時々あるのは、面白いことである。思うにいい演奏とは、自分を消して徹頭徹尾作品に奉仕する類のものである。対するに名演に特徴的なのは、あえて言えば、一種の「ドヤ顔」である。それは遠慮会釈なしに「オレ様」を前面に押し出す。フルトヴェングラーのベートーヴェン、クライバーのヨハン・シュトラウス2世、バーンスタインのマーラー、ホロヴィッツのショパンなどみんなそうだ。意地悪く言うなら、彼らの名演はほとんど彼らのアレンジだと言っても過言ではないくらいに、自分の個性と確信を強烈に押し出している。それはベートーヴェンではなくフルトヴェングラーのベートーヴェンであり、ショパンではなくホロヴィッツのショパンであり、ただのマーラーではなくてバーンスタインのマーラーなのだ。名演とは、一方で恣意すれすれのエグ味を持ちつつ、それでもなお、単なる勝手には陥らないギリギリのところに成立する。

 アメリカで活躍し一世を風靡した、ストコフスキーという指揮者がいた。彼はディズニーの有名な音楽アニメ「ファンタジア」の演奏を担当したことでも知られた人であったが、オーケストラの魔術師として名高かった。好き勝手にテンポをいじり、何の曲だろうがやりたい放題のゴージャスサウンドがストコフスキーのセールスポイントであった。もちろん彼の演奏はそれなりに面白いし、指揮技術の点では圧倒的であり、また一種のカリスマ的人気を誇ってはいた。それでもストコフスキーの演奏はせいぜい怪演であって、決して名演とは言えなかっただろう。
 ここからもわかるように名演とは、やりたい放題をやりながらも、ひとたびそれを聴いてしまうと、もうその曲はそれ以外にはありえない、それこそまさに作曲者が望んでいたことに違いないと聴衆に確信させてしまうような魔力を備えた演奏を意味するのである。
 もちろんその曲はそれ以外にはありえないなどというのは幻覚錯覚の類いであろう。作曲家が本当に望んでいたことなど、後世の人間にわかるはずがない。だからあくまで名演とは、嘘か真かは別として、聴衆をしてそう思い込ませてしまうような演奏以上のものではない、ということにもなる。そしてまさにこの点に於いて、名演は宗教的カリスマに接近する。「これが神の教えだ!」「神が本当に望んでおられたことはこれだ!」と叫んで人々が催眠術にかけられたように納得してしまう力。これが名演の必須の前提条件である。
 名演は単なるいい演奏とは違う。技術的に非の打ちどころがなく、作品の持ち味を存分に引き出し、かつ聴衆を惹き付ける華も十分にあるだけでは名演は成立しない。それに必要なのはある種の好き勝手さ、我の強さ、自分のやっていることに対する狂信的な確信といったものだ。「第9」はこれ以外にありえない、これこそが唯一無二の「第9」の正しい姿だ!どうだ!と言わんばかりの押しの強さ。名演には常にそういう自己中心的なところが不可欠である。
 例えば20世紀最大のピアニストといっても過言ではないヴラディーミル・ホロヴィッツ。ショパンやリストやラフマニノフについて、彼はそれを超えることはほとんど不可能と思える名演の数々を残した。しかしそれらが作品に忠実な演奏かといえば、必ずしもそうは言えない。生前の彼はしばしば歪曲と誇張の巨匠とジャーナリズムに批判されたという。ある意味でそれは正しい。低音を楽譜に書いてあるより1オクターブ下げて弾いて、地鳴りがするような轟きの効果を狙ったり、協奏曲の終わりでわざと猛烈に加速して、オーケストラより1小節近く早くゴールに飛び込むことで、観客のやんやの喝采を得たりするといったあざとい裏技を彼は再三のようにやっていた。それでもなお、単なる歪曲にはならず、これぞ作曲家が真に望んでいたことだ」と観客に思い込ませてしまう。ここに彼の名演の秘訣はあった。

 カリスマ的名演に特徴的なのは、恭しさとは真逆の、作品を呑んでかかるがごときエグ味である。作曲家に向かってなんら臆することなく、要するにこうやればいいんだろう!?こっちのほうがもっといいだろう!?と言い放つようなふてぶてしさ。これがない名演はありえない。この点について、ホロヴィッツに面白い逸話が残されている。彼はラフマニノフのピアノ・ソナタをおはこにしていたのだが、いつもそれを自分流にカットし、アレンジを加えて弾いていた。ただしホロヴィッツは生前のラフマニノフと親交があり、作曲者自身の前でこのアレンジ版を弾いてみせたところ、ラフマニノフから私の書いた楽譜よりお前のアレンジの方がいいとお墨付きをもらったというのである。
 いわば名演は、楽譜の細部などには拘泥せず、作品の一番深いところにある精神を鷲掴みにして見せるような演奏である。楽譜の文面を杓子定規に守るだけではだめ。かといって単なる好き勝手もだめ。名演に特徴的なのは、神の教えは要するにこういうことなのだ!と言い切るが如き力であって、オーディエンスを集団的熱狂に駆り立てる魔力という点で、カリスマ演奏家は宗教指導者や独裁者に似たところがある。
 ひるがえって近年、クラシック界からこの種のカリスマ演奏家が急激に姿を消していることは、衆目の一致するところであろう。クラシックだけではないかもしれない。ビートルズのような存在を、今日の音楽界に探すことは極めて困難なはずだ。これは優しさを神聖にして冒すべからざる金科玉条の正義とし、父権的なものを暴力と同一視して、血眼になってそれを去勢し、根絶やしにしようとする近代の社会趨勢と、決して無関係ではないはずである。
 かつてのカリスマ指導者は下手な団員、あるいは気に食わない団員を、その場でクビにすることが出来た。彼らはオーケストラを恐怖によって支配した。そうやっておいて、納得のいく演奏が出来るまで、徹底的に練習でオーケストラを締め上げることが出来た。今では多くのオーケストラで組合の発言力が増し、予定練習時間をオーバーしようものなら残業代を請求されたりしかねない。そして超過料金をオーケストラに払わねばならないような猛練習を要求する指導者は、当然ながらオーケストラ・マネージャーに敬遠される。二度と呼んでもらえない。

 カリスマの激減がはっきり印象付けられたのは、1990年前後だったように思う。象徴的なのはカラヤンやバーンスタイン、ピアノではホロヴィッツやゼルキンやアラウの死である。これが冷戦時代の集結とほぼ一致しているのも面白いが、何より注目すべきは、これらの文句なしの巨匠たちが、ほぼ同じ世代に属していたことである。日本でいえば明治末期、世界的に言えばプレ第1次世界大戦世代なのである。
 クラシックの全盛時代は19世紀であり、それはヨーロッパ帝国主義の時代と重なり、このヨーロッパの世界覇権が終わって、代わりにアメリカが世界を支配するようになったのが第1次世界大戦後だ。ということは、いわゆるカリスマ巨匠たちはすべからく、クラシック音楽がまだ世界を制覇していた時代に生を享けたということになる。
 例えば1903年はホロヴィッツとアラウとゼルキンという、3人のピアノの巨人が揃って生まれた年であったが、この時にはマーラーもリヒャルト・シュトラウスもドビュッシーもラヴェルもプッチーニもラフマニノフも、活動の全盛期だった。チャイコフスキーは亡くなって10年しか経っておらず、ブラームスは亡くなってまだ6年、ヴェルディは亡くなって2年、そしてドボルザークはまだ生きていた。ワーグナーが亡くなったのはちょうど20年前の1883年であったが、彼の知り合いはまだいくらでも世にいたであろう。さらに言うなならば、1827年に亡くなった最晩年のベートーヴェンの姿を幼年時代に見たことがあるという人だって、まだ少しは生きていたはずである。モーツァルトになると亡くなったのが1791年だから、直接の知り合いはもう全て世を去っていただろうが、モーツァルトの知り合いの知り合いという人はまだいただろう。こんな風に空想してみると、当時はまだ私達には想像も出来ないくらいに、クラシック音楽が身近なところにあったことがわかる。それはまだ現在進行形の音楽だったのである。
 1990年頃に次々に世を去った往年のカリスマ演奏家たちは、直伝に極めて近いところで育った。彼らにはきっと大作曲家たちの顔が見えていたのだ。ブラームスにしてもワーグナーにしても、もはや音楽辞典の中のただの偉人になってしまった今日と、これは大きな違いである。大傑作を前にしても俺がルールブックだと言わんばかりの彼らのやりたい放題は、この直伝との近さから生まれてきたのであろう。
 偉大な祖父の遺品を整理していて何か手紙が出てきたとする。親族であれば、ちょっとした言葉遣いの癖から、すぐに故人の意図を察知出来るであろう。しかし博物館のキュレーターなら、あるいは後世の大学の研究者ならどうか。当然そこには故人の顔が見えないことに起因する萎縮が伴うであろう。演奏の世界でもこういうことが徐々に20世紀の終わりあたりから始まっているとは考えられまいか。

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