クララ・シューマンの結婚問題
1837年8月、ライプツィヒに戻ったクララは8月13日に2年ぶりに公開演奏会を開くことになった。クララはプログラムに、ロベルトを忘れていないと宣言するかのように彼の交響的練習曲を入れた。演奏会場には当然ロベルトも来ていてクララの演奏に陶酔し、彼女の勇気に応えなければと決断した。演奏会が終わると、ロベルトは禁じられていた手紙を書いて、共通の知人に託した。そこにははっきりと僕の妻になってくれと書かれていた。翌14日、クララから承諾の返事が届いた。この日を二人は後に婚約記念日とした。
この時点でのシューマンは、売れない音楽家である。同年代のショパンは楽譜が売れている。リストは演奏会で稼いでいる。メンデルスゾーンはもともと資産がある上にオーケストラの楽長というポストもある。ワーグナーも歌劇団の楽長である。シューマンだけが売れない音楽家なのだ。
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