ベーゼンドルファー

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 1827年から、ベーゼンドルファーのピアノは世界中の偉大な作曲家や演奏家に弾かれ、賞賛され続けている。世界で最も製作に時間をかけるピアノメーカーとして、他のメーカーとの違いを強調するベーゼンドルファー社は、グランドピアノを完成させるのに4年もの時間をかけるが、その期間の半分は木材のシーズニングに費やされている。
 イグナーツ・ベーゼンドルファーは1794年にウイーンで生まれた。当時ウイーンはヨーロッパ最大の文化都市であり、多くの演奏家や作曲家の本拠地だった。ベーゼンドルファーは、有名なピアノとオルガンの製作者ヨーゼフ・ブロッドマンのもとで見習い修行を積んだあと、1827年に会社を設立する。ベーゼンドルファーが作る楽器は品質が高く、造りが頑丈であったが、当時、弱冠17歳だったフランツ・リストがコンサートグランドを演奏会で弾いたことで、会社の名声は一気に高まった。リストは単にこの楽器の音色が気に入ったのではない。端的に言うと、そのピアノはリストの激しい演奏スタイルにも無傷で耐えられるほど頑丈だったのだ。こうしてベーゼンドルファーはほぼ一夜にして、世界のピアノメーカーのトップに上り詰めた。
 1859年にイグナーツ・ベーゼンドルファーが亡くなると、会社は息子のルートヴィヒに引き継がれた。ルートヴィヒは会社をもっと大きな工場地へ移すが、成長は続いていき、1870年にはさらに広大な敷地へ移転しなくてはならなかった。そこがウイーン第4区の現在の会社の所在地である。ルートヴィヒには直系の子孫がおらず、1909年に引退するのを機に、会社を友人のカール・フッターシュトラッサーへ売却した。そして1931年には、その息子のヴォルフガングとアレクサンダーが受け継いだ。
 1920年代の中頃まで、ベーゼンドルファー社は年間わずか数百台のピアノしか製作していなかった。大恐慌になると生産高は急激に落ち込み、第2次世界大戦末期の数年間は、激戦で社屋が破壊されて完全に生産が止まった。戦時中、蓄えてあった木材やピアノは薪にされてしまった。

 戦後の復興はなかなか進まず、痛みを伴い、1950年までは生産高が年間100台を超えることはなかった。その後、1966年にキンボール・インターナショナル社の社長アーノルド・H・ハビッグがベーゼンドルファー社を買収する。ベーゼンドルファー社の専門技術を活かし、キンボール社のピアノに新たな息吹を吹き込む狙いからだった。この買収は一般的な買収と違い、両社にとって極めて有意義なものとなり、2002年1月にベーゼンドルファー社がキンボールとの提携を解消するまでその関係は続いた。現在はオーストリアの銀行グループ、バーヴァック(オーストリア労働経済郵便銀行)の支援を受け、ベーゼンドルファー社は、世界最高品質のピアノを製作する偉大なメーカーの地位を完全に取り戻し、2008年にはヤマハの傘下企業となった。
























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