モーツァルトの凄さと、さりげなさ

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 一昔前までクラシックのシンボル的な作曲家といえばベートーヴェンと、相場は決まっていた。「昭和なクラシック・ファン」の通俗的イメージとは、クラシック喫茶で何時間もロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」を片手に、難しい顔でベートーヴェンを聴きふけるといったものだったと思う。人生とは何か、絶望と希望とは何か、どうやって苦悩を乗り越えるべきかーベートーヴェンとはこうした悩みに応えてくれる音楽であった。

 何となく世間に於けるベートーヴェンの影が薄くなり始めたのは昭和の末期、バブルの時代あたりからであった気がする。それは侃々諤々と人生について語ったりすることを「根暗」で「ダサい」とする風潮と、ほぼ軌を1にしていた。代わって、かつてベートーヴェンがそうであったように、狭いコアなファンのサークルを超えて、クラシック音楽全体のシンボルになり始めたのがマーラー、そしてモーツァルトであった。オープンしたばかりのサントリーホールでマーラーを聴くのが、東京の若者の間でどういうわけか「オシャレだ」とブームになり、そして映画「アマデウス」爆発的なヒットを記録した。サントリーホールのオープニングは1986年、「アマデウス」の日本公開は1985年だから、まさにバブル前夜である。

 まずはモーツァルトである。「アマデウス」に於けるモーツァルト像は、確かに従来のベートーヴェン的な「偉大な大作曲家」のイメージを覆すものではあった。モーツァルトが本当にそういう人間であったかどうかは別として、イカれてエキセントリックで天衣無縫で軽佻浮薄な天才という、従来クラシック音楽にあまり馴染みのなかったキャラクターを、それは持ち込んだ。この「かる〜い」天才像は、当時のバブル期の日本人のメンタリティーにぴったり合うものだったのだろう。世界的に見ても、モーツァルトが爆発的な人気を博すようになったのは、いわゆるポスト・モダンの時代に入ってからだったように思う。つまりベートーヴェンが体現していたのがモダン的な汗臭さ、頑張る物語、苦悩して成長するストーリーであったとすれば、こうした「大きな物語」を全否定するポスト・モダンの時代の音楽的シンボルに祭り上げられたのが、モーツァルトであった。

 恐らくモーツァルトはクラシックで今、最も売れる/話題になる作曲家の一人であろう。その売れ方も「あの曲が素晴らしい」といった純音楽的な話題を超えて、やれモーツァルトは胎教にいいだのといった、ほとんど健康食品ブーム的な次元にまで及ぶ。しかし正直言えば、私はどうしてこれほど理解が難しい作曲家がこんなにも売れるのか、常々いぶかしく思ってきた。恐ろしく難解なのに、どういう訳か売れる作曲家といえば、バッハとモーツァルトが双璧だとすら思う。バッハの難しさについてはすでに語ったが、モーツァルトの難しさはまたそれと性格が違う。確かにモーツァルトの音楽はとても人懐っこい。いつも比類なく優美だ。しかしその背後には、時に恐ろしく意地悪く、あるいは絶望的で、あるいはシニカルな、一筋縄ではいかぬ仕掛けが隠されているのだ。

 モーツァルトの音楽は美しい。神の恩寵のごとき美という点で、モーツァルトはラファエロによく似ている。しかしこの美しさを額面どおりに受け取っていいかどうかは別問題だ。このことを考える時いつも私が思い出すのは、いわゆるパリ旅行の時にモーツァルトが父親に書いた手紙のことである。よく知られているが、モーツァルトの父レオポルトはステージ・パパ/ママのはしりのような人間であった。ザルツブルク大司教に仕えるしがない楽師だったレオポルトは、息子アマデウスに異様に才能があることを早くに見抜いた。そして自分の仕事はそっちのけで、アマデウスを姉ナンネルとセットにしてヨーロッパ中の宮廷を旅して回り、プロモーション活動に勤しんだ。ほとんどジャクソン5の世界である。

 最初のうちは全てうまくいった。どこに行っても宮廷の大人たちはモーツァルトを思い切りちやほやしてくれた。しかし天才子役には必ず潮時がやってくる。薹が立つにつれて、もう大人は甘やかしてくれなくなる。「普通の人」にならなくてはならない時が来る。父親とのプロモーション旅行も、思春期を迎えたあたりから、あまりうまくいかなくなり始めた。父親もあまりにも、今で言えば有給休暇を取りすぎるので、大司教からもっと本来の仕事をちゃんとするように圧力をかけられるようになった。

 かくして1778年のパリ旅行がやってくる。当時のヨーロッパ音楽界の中心だったパリで一旗あげるべく、父親は大博打を打つ。自分はザルツブルクを離れられないので、代わりに妻(アマデウスの母親)を世話係として付き添わせ、既に22歳になっていたモーツァルトをパリに向かわせたのである。しかし宿命的なこのパリ旅行は悲惨な大失敗に終わった。ほとんど稼ぎもなく、何か定職にありつくこともできず、その上、優しかった母親がパリで客死したのである。

 7月3日の父への手紙は感動的である。この時、実はもう母親は亡くなっていたのだが、モーツァルトはそれを父に隠した。もう死んでいるのに「お母さんの病気が重篤なのです」と嘘をついた。父親を悲しませまいとしたのだろう。そして「(お母さんが)悪寒を訴え、熱っぽいと言いだしました。それから下痢と頭痛が起こりました」と書いてから、「ところで話題を変えます。悲しいことばかり考えるのはやめて希望を持ちましょう。でも希望を持ちすぎてはいけませんが」と続ける。こうしてパリで初演した交響曲第31番が大受けした話を綴った後、手紙を「僕はとても嬉しくて、コンサートが終わるとすぐにパレ・ロワイヤルに行っておいしいアイスクリームを食べ、(お母さんのために)願をかけていたロザリオの祈りを唱え、家へ帰りました。僕はいつも家にいるのが一番好きです」と締めくくった。だが、もう一度繰り返すが、この時、実はもう母親は死んでいたのだ。

 「ところで話題を変えます」ーモーツァルトの音楽にはこうした気分の急旋回が至るところに見つかる。そして陽気で優雅な楽想が大盤振る舞いされる。しかし時として音楽の中にふっと寂しそうな表情が浮かぶ。だがそれは本当に一瞬であり、多くの場合ー「アイスクリームを食べて家に帰りました。僕は家が大好きです」とでも言うようにー何事もなかったように曲は楽しげに終わってみせる。

 悲しくなるような陽気さ、ほとんど神々しく見える軽薄さ、それらの交錯が創り出す繊細なグラデーションと気分の推移の目まぐるしさ。うっかりしていると(先程の父への手紙と同じく)あっという間に別の気分に音楽は移ろっていく。それについていくのは並大抵のことではない。やはりモーツァルトの音楽はそんなに単純なものではないのだ。





























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