パリのグランド・オペラとサロン音楽

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 19世紀に於いて、音楽はいやましに、途方もない技術をもったプロが、ステージの上でするものになっていった。専門技術に特化した音楽院での教育がこの傾向に拍車をかけたことは言うまでもない。演奏会制度と音楽学校の成立、聴衆のマス化、技術開発による物量作戦、舞台上のプロと客席のアマとの分離、ステージ上で大喝采を浴びるスター演奏家の誕生である。これらは全て、互いに深くつながった、極めて19世紀的な現象である。こうした途方もない技術で観客を圧倒する音楽がとりわけ栄えたのはパリである。ベンヤミンの言葉をもじれば、パリこそ19世紀音楽史の首都だった。パガニーニもリストもショパンもパリを目指し、ロッシーニやベルリーニはここでキャリアを終え、対する若きワーグナーはパリでの成功を夢見ながらも挫折し、それからは終生この街を呪い続けることになる。作曲家にとっても、歌手にとっても、ピアニストにとってもヴァイオリニストにとっても、キャリアの成功とは何よりパリでの成功を意味した。そしてパリの音楽生活の頂点に位置したのがグランド・オペラというジャンルである。
 グランド・オペラの先駆となったのは、ケルビーニの「メディア」やスポンティーニの「ヴェスタの巫女」、オーベールの「ポルティチの物言わぬ娘」、ロッシーニ最後のオペラ「ウイリアム・テル」(ロッシーニ嫌いのワーグナーさえ、この作品に対しては畏怖の念を隠そうとしなかった)、マイヤベーアの「悪魔のロベール」(これはパガニーニのパリ・デビューの年であり、パリに来て間もないショパンはこの作品を見て驚嘆した)などである。だが、グランド・オペラの代名詞といえば、何と言ってもジャコモ・マイヤベーアの「ユグノー教徒」を挙げなければならない。20世紀になってすっかりレパートリーから消えてしまったが、この「ユグノー教徒」こそ19世紀最大のヒット・オペラであり、1903年までにパリだけで1000回も上演されたことからも、その空前絶後の人気が分かる。
 グランド・オペラとは5幕からなる波瀾万丈の悲劇的メロドラマである。筋は分かりやすくて効果満点、オーケストラは重厚、歌手の見せ場もたっぷり用意され、とりわけ壮大な合唱場面とバレエが売り物であって、ここにパリ・オペラ座自慢の壮大な舞台装置が加われば、さぞかし効果満点のスペクタクルになっただろう。こうしたグランド・オペラは、現代に於けるハリウッドの人気映画の19世紀版だったと考えればよいかもしれない。ヴェルディの「アイーダ」やワーグナーの「ニュルンベルクの名歌手」に於いても、マイヤベーア流のグランド・オペラの影響が明らかだと言えば、このジャンルについてのおよそのイメージを掴めることとなる。

 パリでグランド・オペラが最も栄えたのは、ショパンやリストがこの街で活躍していたのと同じ、1830〜1840年代である。この時代、オペラ座に通うことは、パリの上流階級の人々にとって最高の箔だった。上流階級といっても貴族ではない。革命のどさくさに紛れて財を成した成金たちが、グランド・オペラの主たる観客である。そして彼らは、音楽を格別、愛していたからオペラ座に行ったのではない。かつての貴族のように燕尾服やイヴニング・ドレスでめかしこんで、豪華な馬車を仕立ててシャンデリア輝く劇場に乗り付けることがステータスシンボルだから、彼らはオペラ座に通った。今でいえばそれは、金満家が評判のミュージカルを観に行くような感覚だったのかもしれない。19世紀のパリのオペラ座は、現代に至る高級娯楽産業としての音楽の発祥の地だった。
 グランド・オペラと並ぶ19世紀パリの音楽生活の象徴が、器楽ヴィルトゥオーゾたちによるサロン音楽である。とりわけ1830年代、第2のリストやショパンを目指すスター志願のピアニストが、大量にこの街へ押しかけた。彼らの活躍の場は主として上流階級のサロン。どこかのサロンで評判をとり、有力なパトロンを見つければ、作品の出版や大会場での演奏会といった、より大きな成功への道が拓けるのだった。そして彼らの定番レパートリーが、即興曲とかワルツとかエチュードとかノクターンといった華麗かつセンチメンタルなピアノ小品、そして何よりもオペラ・パラフレーズ(オペラの有名アリア等の旋律を借りてきて、きらびやかな技巧で飾り立てた編曲)である。リストは「リゴレット・パラフレーズ」を始めとする無数の作品を残し、シューマンをして「諸君、脱帽したまえ、天才だ!」と言わしめたショパンの作品2の変奏曲も、モーツアルトの「ドン・ジョヴァンニ」によるパラフレーズである。
 ヴィルトゥオーゾたちが好んでオペラ編曲を残し、またショパンを始めとする彼らの作品にベルカント・オペラが強い影響を与えたのは、決して偶然ではない。なぜなら、グランド・オペラもヴィルトゥオーゾ・サロン音楽も、実は同じ聴衆層に支えられていたのだから。それはいわゆる社交界の人々である。名士の邸宅で催されるパーティーに夜な夜な出かけては有力者に取り入り、華やかな装いで見えを張り、噂話に花を咲かせる成金スノブたちがオペラ座の主たる客層であり、同時にショパンやリストといったサロン音楽の聴衆だったのである。

 オペラがない日には彼らは、サロンのパーティーへ出かけて、シャンパン片手の世間話の合間に、ショパンやリストやタールベルクらの妙技に万雷の喝采を送ったりしたのだろう。そこでオペラ座で評判になっている新作オペラの華麗なピアノ編曲などが弾かれたりしたら、彼らは大喜びだったに違いない。バルザックの「ゴリオ爺さん」やデュマ・フィスの「椿姫」やブルーストの「失われた時を求めて」で描かれたような19世紀の上流階級こそがヴィルトゥオーゾ音楽のパトロンであった。なおヴィスコンティの映画「イノセント」の冒頭では、社交界のパーティーでリストの「エステ荘の噴水」やショパンの「子守唄」といったサロン音楽が弾かれる場面が現れる。19世紀のサロン音楽文化を知る上で非常に参考になる。19世紀のサロンの人々は、決して現代のコンサートホールの聴衆のように粛々と音楽に耳を傾けていた訳ではないことが良く分かる。

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