ショパンがリストに預けた部屋の鍵

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 1833年頃の夏、ショパンは友人のチェリストのフランショームの故郷であるトウーレーヌ地方で静養しながら作曲をし、9月までここに滞在した。
 ショパンは旅に出るにあたり、親友リストに、留守の間、時々部屋に来て、風通しをしてくれないかと鍵を預けた。これによってある事件が起きる。何年の出来事なのかは確定できないのだが、場所がショセ・ダンタン5番地の高級アパルトマンなのは間違いなく、ショパンが長期旅行に出ており、リストがパリにいるという条件だと、1833年か1834年となる。
 リストはある女性との密会の場としてショパンの部屋を、もっと厳密に言えばショパンのベットを拝借してしまったのだ。そしてショパンはそれを知ると気を悪くして、しばらくリストとは疎遠になった。だが二人の友情は壊れることなく以後も続くので、一時的な怒りだったのであろう。
 リストの密会の相手の女性とは、マリー・ダグーではなくマリー・プレイエルだった。ピアノメーカーの社長夫人であり、ベルリオーズの元婚約者であり、ヒラーの元恋人という華麗なる恋の遍歴の持ち主は、リストとも関係があったのだ。この事件が1833年だとしても、リストとマリー・ダグー伯爵夫人との関係が始まっているので、リストの恋の相手は複数いたことになる。
 問題を複雑にするのは、ショパンはプレイエル社の支援を受けており、マリー・プレイエルはその社長夫人である。リストはプレイエル社のライバルのエラール社の支援を受けているから、マリー・プレイエルは後援者のライバル会社の社長夫人となる。ショパンとしては自分の部屋で浮気をされたのでは、マリーの夫であるカミーユ・プレイエルに対して顔が立たないので、リストを怒ったとも考えられる。
 リスト以外にもマリー・プレイエルの恋の噂はたくさんあった。結局、1835年にプレイエル夫妻は離婚し、その直後に女の子が生まれた。結婚している間に夫以外の男性の子を妊娠したのではないかと噂になったが、プレイエル社がもみ消した。離婚後もマリーはプレイエル性を名乗ることが許され、ピアニストとして第1線に復帰し、クララ・ヴィークのライバルのひとりとなる。

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