うら若き教え子に次々と惚れたベートーヴェン

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  ベートーヴェンは非常に恋多き男であった。惚れっぽいタチであったのだろう。彼は20代の終わり頃から多くの貴族の女性達にピアノのレッスンを行って、そのうら若き教え子に次々と惚れてしまう。最初のきっかけは28歳の時である。1779年5月、ウイーンにやってきたハンガリー貴族のテレーゼとヨゼフィーネのブルンスヴィク姉妹との出会いだった。ベートーヴェンは数日に渡って二人にピアノのレッスンをしている。これを機にブルンスヴィク家の人々と親しくなったベートーヴェンは、その後もテレーゼやヨゼフィーネと交流を続けることになる。
 そして、彼女達を通してベートーヴェンに紹介されたのが、ブルンスヴィク家の親戚の一人で、シンドラーによって不滅の恋人とされたジュリエッタ・グイッチャルデイである。彼女は1800年頃、ベートーヴェンのピアノの弟子になっている。ベートーヴェンは友人に宛てた手紙で、自分は今、とある少女と想い合っているといった内容を書いており、これはジュリエッタのことだったと言われている。当時、ベートーヴェンが30歳前後だったのに対し、ジュリエッタはまだ16歳ほどだったようなので、現代の感覚だと驚愕である。ベートーヴェンの言葉を信じれば両思いだった訳だが、しばらくしてジュリエッタは別の貴族と結婚してしまった。
 ジュリエッタに失恋したベートーヴェンは、今度はブルンスヴィク家の次女であるヨゼフィーネと恋に落ちる。1804年の秋頃から、ベートーヴェンは再び彼女にピアノのレッスンをしていたのだ。時にベートーヴェン33歳、ヨゼフィーネ24歳。実は彼女は19歳の時にさる伯爵と結婚、ベートーヴェンと再会した時はすでに4人の子持ちだっだ。その上、1804年の1月に夫の伯爵は亡くなって、ヨゼフィーネは若く美しき未亡人になっていた。周りの男達の間では評判の存在だったという。
 ヨゼフィーネの妹シャルロッテが、長女テレーゼに宛てた手紙の一文に、二人の関係をうかがわせる、生々しい証言が残っている。「ベートーヴェンはしょっちゅうやって来ます。彼はペピ(ヨゼフィーネの愛称)のレッスンをしていますが、それはちょっと危険です」。危険なピアノレッスンとはなんともドキドキする響きである。これに対してテレーゼは「彼女には彼を拒否できるだけの心の強さが必要です」ときっぱり書いている。
 このように、姉のテレーゼの方は、後にハンガリーの幼児教育の基礎を築いたという知的な女性で、ベートーヴェンはテレーゼとも親しかった。彼女にはピアノ・ソナタ第24番「テレーゼ」を献呈している。実は長い間、1806年にベートーヴェンとテレーゼは婚約していたと言われてきたが、現在はこの説はほぼ否定されている。二人は互いに尊敬し合う友人関係だったようだ。

 所詮は結ばれぬ関係とはいえ、ベートーヴェンとヨゼフィーネは確かに親密な仲だった。二人が交わし合った手紙やその下書きなどがそれを物語っている。例えばヨゼフィーネがベートーヴェンに宛てた手紙の下書きには、次のように書かれていた。「あなたに関するすべてのことに、生きている限り心から関心があるので、ご様子を教えていただきたいのです」会いたくても会えない。だからせめて、手紙がほしい。なかなか泣かせる手紙である。
 結局二人の関係は2,3年の間に沈静化へ向かい、1810年、ヨゼフィーネは別の男爵と再婚している。しかし、これできっぱり終わった訳ではなかった。

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