「四季」を生んだヴィヴァルディは司祭だった

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<養育院の音楽教師から興行師になった生臭坊主>
 ヴァイオリン協奏曲集「四季」で有名なヴィヴァルディは、司祭と作曲家の二足のわらじを履いた。いや、養育院の音楽教師とオペラ興行師も含めれば四足のわらじを履いたことになる。
 教会音楽家として後半生を真面目に過ごしたバッハと比べてずいぶん俗っぽい人だったが、問題はヴィヴァルディがまがりなりにも聖職者であること。妻帯厳禁はもちろん、性欲すら抑圧して生きねばならぬ立場なのだ。
 15歳で剃髪式を受けてから10年間、聖職者となるべく教育を受けたヴィヴァルディは、ミサを抜け出して聖具室にこもることもしばしばだった。良からぬ行為にふけったのではなく、フーガの主題を思いつくと作曲せずにはいられなかったのだ。こうして司祭の資格を得ると、すぐにピエタ養育院のヴァイオリン教師となった。
 当時ヴェネツィアには孤児や捨子を引き取る「オスペダーレ」と呼ばれる慈善施設が4つあり、ピエタ養育院では生まれてすぐの捨子と親のいない幼児が収容された。女児は幼いうちに声の美しさや音楽の素質で選別される。適性のない子は刺繍やお針子で自活出来るよう職業教育され、音楽向きの子供には成人に達するまで専門教育が施された。毎週1回彼女たちが行う公開演奏は、素晴らしい楽器演奏と天使のような歌声でヴェネツィア名物となっていた。ヴィヴァルディが大量に作曲した室内楽曲や協奏曲も、そうした機会の演奏を目的としたようだ。
 演奏会は養育院の女子たちが外部に顔をさらす唯一の機会で、見初められて求婚者が現れれば還俗して結婚が許された。しつけの良い、楽器も歌も巧みな少女を娶ることが出来るのだからなかなか良いシステムと言えるが、求婚者のいない娘は成人すると、修道女として生涯を送らねばならなかった。
 ヴェネツィアでは多数のオペラ劇場が競い合っていた。養育院の教師ヴィヴァルディも処女作「離宮のオットーネ」を発表してオペラ作曲家の仲間入りをしたが、司祭なのにミサをあげず、劇場に入り浸る生活に人々は眉をひそめた。懲りないヴィヴァルディは興行師になって地方巡業を始め、ついには歌手アンナ・ジローと同棲して生臭坊主のレッテルを貼られてしまった。ヴィヴァルディは1740年秋に自分の作品を売り払って姿を消し、翌年ウイーンで亡くなったことが20世紀に判明したが、失踪の理由は今なお謎である。


<意外に面白いヴィヴァルディのオペラ>
 器楽曲と協奏曲だけで550曲以上、宗教曲とカンタータも100曲以上作曲した多作家のヴィヴァルディ。オペラは亡くなる2年前の「フェラスペ」まで約50作を初演している。ヴィヴァルディが速筆だったことは、苦労して協奏曲を写譜する人に向かって、君が写している間に新作を書いてあげようといってすらすら作曲した逸話が示している。
 近年見直されているのはオペラのジャンルで、ヴァイオリン協奏曲「春」の第1楽章が「テンペーのドリッラ」序曲と幕開け合唱に出てくるなど、なかなか面白い。声を独奏楽器のように扱う協奏的アリアもヴィヴァルディの真骨頂で、素晴らしい効果をもたらす。なかでも「グリゼルダ」のアリア「2つの風にかき乱され」は驚異的な声楽技巧の見本で、バロック時代の歌手の技術水準の高さに驚かされる。
























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