「クロワッサン」から婚活へ

ショパン・マリアージュ(釧路市の結婚相談所)
お気軽にご連絡下さい!
TEL.0154-64-7018
営業時間:土曜日、日曜日、祝祭日の9:00〜18:00
FAX.0154-64-7018
お問い合わせメール:mi3tu2hi1ro6@gmail.com
釧路市浦見8丁目2−16
URL https://www.cherry-piano.com

 パンダの「結婚」から見えてきたのは1970年代の恋愛結婚の限界だ。恋愛の先にラブラブな結婚をするという結婚観は、生殖が余裕をもって可能な時期でのみ適用可能なビジョンにすぎない。大人たちはモラトリアム(ゆとり期間)の間は悠々と子供を見守ってもくれよう。無論それが成功すれば言うことはないが、いざ生殖の困難が予感されれば、親が介入してもはや理想の恋愛結婚は維持出来なくなる。こうした冷徹な結婚の現実を目の前にして、反応は2つに分かれる。一方は自由を重視して結婚に縛られることを拒否する立場、他方は冷徹な現実に合わせて「婚活」(もちろんその当時はそんな単語はないが)を行う立場である。

 
 前者の立場を象徴したのが雑誌「クロワッサン」であった。松原惇子は「1970年代後半から、80年代前半にかけての、我が国の女性誌が打ち上げた、シングル讃歌は、相当強力なものだった。その中核をなしたのが、女性なら一度は手にしたと思われる「クロワッサン」である」と書き、松原自身を含め、「クロワッサン」の虜になってシングルを謳歌し、結果として婚期を逃す現象を「クロワッサン症候群」と名付けた。松原によれば、77年に創刊された「クロワッサン」は、78年5月から変身を遂げ、エリカ・ジョングの自伝的小説「飛ぶのが怖い」やジル・クレイバーグ主演の映画「結婚しない女」などのブームの中で、「脱結婚の生き方」を高唱したという(松原惇子「クロワッサン症候群」1988年)


 この松原の主張を切り捨てる論者もいるのだが、しかし、実際に当時「クロワッサン」の読者であった松原が語る感覚は重要だ。松原曰く、「クロワッサン」が謳った独身女性の理想の生き方はバリキャリではなく、「向田邦子的生活」だったという。「都心のマンションに住み、趣味のいい調度品に囲まれ、友達が沢山いて気軽に海外にいける暮らし。目立たないがオシャレで食通で知的な独身生活」。ウーマン・リブなど、それまでの独身の主張は男性社会への反逆であり、肩身は狭くなった。これに対して「クロワッサン」が提示したのは、女性の権利などと声高に叫ばずに、肩肘を張らずにいられる独身生活の理想であり、多くの女性たちがそこに惹きつけられたのだった。


 脚本家・向田邦子らとともに「クロワッサン御用達文化人」の代表格とされたエッセイスト・桐島洋子は未婚ののままで3児をもうけ、それでいて子を家に残して自由恋愛を謳歌した。独身でも十分に自由と性的充足を得られると考えていた彼女にとって、あえて結婚を選ぶ必要は存在しなかった。独り身で結婚不要を唱えてもただの自己弁護と受け取られたかもしれない。けれど、彼女は子供を産むことによって結婚=子供という等号を切断し、性が制度でしばられなくなった時代の結婚の意味を問い直した。


 適齢期もそこで再審の対象となった。桐島にとって適齢期は、子どもとは結びついても、結婚とは結びつかなかった。彼女は75年の著作「女がはばたくとき」のなかで明快に「子供を産むのは20代のうちに済ませた方がよさそうだから、この辺りで始めよう」と思ったことを明かしている。生殖のために結婚やら適齢期やらが決まっているのならば、こどもさえ産んでおけばこうした軛から自由になれる。そうすれば、「はじめに条件あり・・・という付き合い方ではありません。しいていえば、最初にピンとくるところがあるかないかというまったく感覚的なことね」という恋愛爆発は自然だ。こうして、80年前後のクロワッサン症候群の女性たちは導かれた。























ショパン・マリアージュ(北海道釧路市の結婚相談所)/ 全国結婚相談事業者連盟 正規加盟店 / cherry-piano.com

恋の戦は白馬に乗って素敵な出会いを探しに行こう♡ ショパン・マリアージュは一人ひとりの希望や要望に基づいて最適なパートナーを見つけるサポートをします。貴方が求める条件や相手に対する期待を明確化し、その条件に基づいたマッチングを行います。また信頼出来る情報や適切なアドバイスを得ることができ、健全なパートナーシップの形成に向けてのサポートを受けることができます。