結婚は決してゴールではない!!

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<結婚はいずれするけれど、今したいかと聞かれると>
 80〜90年代の「an・an」に於いて、独身女性に向けた言説では結婚をあえて分離した恋愛が語られるようになる。「Hanako]はほとんど結婚特集を組まなかったし、他の雑誌も似たり寄ったりだった。人材コンサルタントの常見陽平は、この時代の恋愛論について、こう回顧している。
 1980〜1990年代にかけて醸成され、今でも残っているメディアによる恋愛指南的なものは、基本的に「恋愛ハウツーをエサにして、いかに消費させるか」を主眼にしており、「読む人がどういう影響を受けるか」「本当に幸せになることができるのか」といったことは真面目に考えられていないのではないでしょうか。(常見陽平「ちょいブスの時代」2013年)
 彼が挙げているのは「ホットドッグ・プレス」に代表されるような男性誌だけれど、女性誌も同じだ。ライター・佐藤留美は80〜90年代の「an・an」の恋愛記事を分析して、「あなたから男を好きになろう。」(92年1月3日/10日号)や「女からの告白を、男たちは待っている。」(94年11月11日号)といった特集に見えるように、90年代前半に女性が男性を選ぶ時代が来たとしている(女が男を選ぶ時代)。女性の側も恋愛に積極的になっていたわけだ。こうして恋愛を扱う言説が拡大すると、常見の言う通り、将来の結婚生活への想像力は捨象されてゆく。将来を見ずに今を楽しむ、そんな空気が生じるのだ。
 では、こうした恋愛論ブームのなかで結婚はどう捉えられていたのか、ここでは「an・an」を素材にして見てみることにしたい。
 「結婚潮流」が83年3月に創刊して話題を呼ぶと「an・an」はこれに呼応して、同年11月11日号の「女の本音 つっぱってきたけれど実は結婚したいのです」をはじめ、結婚特集を組むようになる。まず、90年代までで確認できた「an・an」の結婚特集を羅列してみる。
 85年3月15日号「幸せになりたいーおしゃれだってもう大人だもん だからちょっと結婚考えちゃう」
 90年2月2日号 「それでも、結婚したいですか?」
 90年10月19日号 結婚したくない女はいない。 私の結婚条件。」
 91年6月7日号 「結婚について、男が考えていること。」
 92年6月26日号 「独身女性たちの結婚への期待と不安。」
 93年6月25日号 「結婚について、いま全国の女性が知りたいこと。」
 94年7月15日号 「男が結婚を決意する時。」
 95年7月7日号 「独身女性の運命の選択、結婚するの? 結婚しないの?」
 98年1月16日号 「あなたは恋愛体質? それとも結婚体質?」
 99年9月24日号 「それでもやっぱり、結婚したいですか?」
 独身脱出前の女性を対象にした女性誌だけあって、85年の特集号には「恋愛から結婚まで」というルポが掲載された。当初はゴールとしての独身脱出が想定されていたのだ。
 ところが、86年10月17日号の「なぜ中途半端な男と妥協しなければならないの?」という座談会では「妥協結婚」が明快に否定される。林真理子を筆頭に、登場している女性たちは必ずしも独身脱出したくないわけじゃない。むしろ、独身脱出したい。だが、相手がいない。たとえば、林はこんなことを話している。
 私、お金、頭、社会的地位、そうでなかったら私への愛情が飛び抜けている人がいたら結婚したいと思うんだけど、なあ。
 私、見栄っ張りだから、見栄えがいいのとか「いや、さすが」とかいわれたいとか思っちゃって。(「なぜ中途半端な男と妥協しなければならないの?」「an・an」86年10月17日号)
「結婚潮流」のような配偶者選択へのシビアな認識が全面に出てくるのだ。


<インセンティブは子供だけ>
 もっとも彼女たちに言わせれば、他に道がなければ独身脱出するのだ。ところが親からの圧力が少ない。なにより独身が楽しい。その状況で、よい相手が得られないのなら、なぜ結婚などする必要があるのか。吉廣紀代子「非婚時代」や坂本良江「結婚よりもいい関係」など、自由な「非婚」を薦める書籍が注目されたのもこの頃だ。
 結婚へのインセンティブがないという傾向は「Hanako族」の登場とともにますます加速する。1990年2月2日号の特集には独身女性80人のアンケートがあるけれど、独身脱出について「特に急いではいないが、そのうちするつもり」68%、「積極的ではないが、成り行きでするだろう」21%、「近々予定がある」8%、「しないつもり」3%という結果が出ている。ここで注目してほしいのは回答の割合より選択肢だ。「結婚したい」なんて選択肢はそもそも用意されていない。
 背景にはもちろん、独身の愉悦がある。98年10月2日号「30歳過ぎても結婚を選ばない、そんな女性たち恋愛観」は、30歳を超えても独身を貫くことをポジティブに扱っている。そこでは結婚は恋愛の墓場として観念される。88年から89年にかけて「Hanako]に田中康夫が「Thirsty」という連載をした(91年に「THIRSTY]として書籍化)。女性の不倫の短編集である。恋愛要素は結婚では満たされない・・・そんな前提を暗示しているかのようだ。
 結婚が自由で楽しいシングルライフの終末ということになれば、自由を満喫する女性ほど、ますます独身時代を楽しもうとするだろう。そうして独身がより明るくなればなるほど、ますます結婚生活は暗く見える。こうして悪循環は亢進して、恋愛の溢れたシングルライフと結婚生活とのイメージの亀裂は広がっていく。
 それでも林真理子が最後に結婚側に踏みとどまるのは、子供が欲しいという一点においてだ。
 私は子供を産める年齢のぎりぎりまでひとりでいるつもり。(先の座談会での林真理子の発言)
 子供を生むために結婚はするけれど、それまでは仕事も遊びも楽しむ、そんな「Hanako」の時代の結婚観が背後にある。
 そうして結婚を前提とするとなると、いくら独身を楽しんではいても、ときには結婚のことが頭をよぎることもあっただろう。どうやって、独身脱出をすればいいのか。そんなとき何を頼ればいいのか。
酒井順子はこんなことを書く。 
 若い頃からファッションやデートのしかた、ボーイフレンドの見分け方には、それぞれマニュアルが用意されていたけど、さすがに「結婚」に対するマニュアルだけは、どこにもない。(酒井順子「25歳の女たちをじんわり襲う、「結婚」という名の不安」「an・an」91年11月29日号)
 そう、気がつけば「結婚潮流」は退場していた。


<「ゼクシィ」の登場>
 だが、それに代わる結婚雑誌がなかったわけではない。
 実のところ、「結婚潮流」以降、雨後の筍のごとく、結婚情報雑誌としては「ウエルド」、「セリーズ」、「ブライダル・パスポート」、「マリッジ」などが創刊され、1990年代からの「ゼクシィ」(リクルート)に通じる経脈が形成されていた。88年創刊の「ミスター・パートナー」、92年創刊の「けっこんぴあ」などもこの経脈にある。ただ、当時の報道には結婚生活ではなく独身脱出にばかり着目するこれらの雑誌への不信感が溢れている。
 「男に好かれるしぐさ」「あなたを目立たせる化粧法」などなど、結婚相手を見つけるためのハウ・ツーものと、「夢色ブライダル・イン・ハワイ」「ワンダフル・アイランド・グアム」のタイトルに象徴されるようなロマンチックな新婚イメージのものが基調。そして最大の目玉記事は、自己紹介と理想の異性イメージの「求婚個人広告」である。
 でも、ここにはどんな家庭を目指すのか、理想イメージは希薄だ。結婚は、完結したゴールになっている。(「結婚」「朝日新聞」85年9月16日朝刊)
 これらの雑誌は独身脱出後の結婚生活を提示するものでも、そのためのマニュアルを示すものでもなかった。そんななか、93年、折しも当時の皇太子と雅子妃結婚の祝賀ムードの中で、「ゼクシィ」が「XY」という名称で創刊される。「男と女の恋愛を支援する情報誌」という恋愛重視のキャッチコピーではあったものの、「ゼクシィ」がすぐにこうした結婚雑誌の経脈に呑み込まれたことは不思議ではない。そうして、結婚雑誌に変化した「ゼクシィ」がはじめにターゲットにしたのは男女共同参画の理想からこぼれ落ちてくる女性たちだった。編集長の宮下英一曰く・・・
 キャリアウーマンが、キャリアを捨てて結婚に走るなんて、絶対ないと思うんです。
 ただ、この不況下ですからね、独身のOLが転職を考えていても、転職しようがない。特に一般事務職の方々は、肩叩き的な状況になっていますから。でも、結婚に逃げ場を求めようとした時、相手が誰でもいいということではないんですよね。(山本かずしげ「それでも結婚したい」女性たちが狙いはじめた男性像」「DIME」93年6月3日号)
 そうしてつくられた「ゼクシィ」の誌面は、編集部企画のイベント、交際相手募集の個人、ウエディング情報を掲載して、先の「朝日新聞」記事の表現を借りれば「結婚相手をみつけるためのハウ・ツーもの」と「ロマンチックな新郎イメージもの」の双方をまさに含んでいた。そのなかでも個人情報のページは「ゼクシィ王国」と呼ばれていたらしく、20代を中心になんと毎号2千人を超える応募者があったという。とはいえ、全体的傾向としては、結婚情報サービスはしだいに専門の業者によって担われ、雑誌「ゼクシィ」は成婚後、結婚式に向けての段取りを担当する雑誌へと舵を切る。こうしたあり方が現在まで続いているのはみなさんご存知の通りだ。
 こうしてみると、同じ結婚関連の雑誌とはいえ、「結婚潮流」と「ゼクシィ」との間には大きな亀裂が広がっている。「結婚潮流」は結婚生活への想像力を喚起しようと試みたが野垂れ死んだ。他方、「ゼクシィ」を含む、その後の結婚雑誌は、「完結したゴール」としての独身脱出に焦点を当て、独身脱出の方法や儀式(特に結婚式)へとその視線を移して生き残った。


<みんなで渡れば怖くない〜結婚生活への想像力の欠如>
 とはいえ、いくら輝かしい独身脱出ばかりを見ようとしても、当事者たちの頭の片隅に、時には結婚生活への不安が生じるのは当然だろう。1992年以降の「an・an」で、ときに「結婚白書」という名のもと、大規模なアンケートが実施されるようになったのはその不安への処方箋だったように思われる。こうしたアンケートでは大勢の既婚者・未婚者の意見がシェアされる。その多くは有名人ではない一般読者だ。みんながどう思っているか、知りたい。
 92年の特集を見ると、「結婚生活と仕事を、どう両立させようか」、「産む? 産まない? いまから気になる子供のこと」、そして男性はいつ独身脱出を決意するのかなどが並ぶ。もっとも、方向性は一貫しない。特集のタイトルだけを見ても、「それでも、結婚したいですか?」のあとに「結婚したくない女はいない」、かと思えば「それでもやっぱり、結婚したいですか?」。「”結婚適齢期”は存在しない時代になった」(93年6月25日号)といったかと思えば、「現代女性の新・結婚適齢期は29歳という説が圧倒的だ」(95年7月7日号)、かと思えば「”結婚適齢期”なんか、もういらない」(99年9月24日号)
 誌面は大規模アンケート調査や芸能人へのインタビューが中心で、お世辞にも独身脱出後の結婚生活の展望を積極的に考えようとしているとは言えない。何らかの結婚観を模索したり提示したりする代わりに、むしろ「みんなで渡れば怖くない」という雰囲気なのである。結婚より恋愛に主たる興味が向かっている以上、次第に結婚への関心が薄まっていったのも当然といえば当然なのかもしれない。結婚をゴール(独身脱出)としてしか捉えない恋愛ブームが収束し、結婚の意味が再び本格的に問われるようになるには、21世紀を待たなくてはならない。

 

 
















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