「愛」その限りある人間の行為に於いて

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 愛されるということが、悪魔に呪われることであるとは、人間の性質を考えると何と恐ろしいことだろうか。何も愛される必要などないと言えばそれまでである。しかし人間にとって淋しさは最も耐え難い状況の一つである。愛されない以上、人間は淋しさに耐えなければならない。
 現在の日本の状態である限り、愛されることより一人淋しさに耐えることの方がまだ耐えやすい。それがどんなに辛くとも、「愛される」ことよりはマシである。我々、日本人が愛と思っている幻想よりはマシである。
 愛されることが呪われるということである状況に於いて、愛するということは不可能である。愛は無限の力を持つと信じる人は別として、愛とは限りある人間の行為でしかないのである。神の愛は別として、人間の愛は無限の力を持つものではないし、無限の力のある愛をもちうるほど人間は理想的につくられていない。
 むしろ人間は自分の愛が無限の力を持つと思い上がる時、祈りを忘れ相手も自分をも破滅させるのである。
 人間が相手を愛し得るのは、相手もまた自分は全能の神ではなく、限りある能力を持った人間でしかないと知っている時である。そこにこそ甘える人間を愛することの不可能がある。自分は神ではない。限りある能力を持った人間でしかない。全能ではないと知ればこそ、人間は自分を甘やかすことをせず努力するのである。自分の中に神でない部分があればこそ、自分を甘やかせば神でない部分によって自分も相手も滅びてしまう。それを知ればこそ、人間は努め励むのである。
 甘える人間は、その人がどう言おうと、結果に於いて自分を神として扱っているのである。人間は人間しか愛せない。
 我々は完全な幸せを期待する故に不幸になるのである。人間は悲劇的存在である。自らを悲劇的存在と規定することによって、初めてわずかの幸せを期待することが出来る。


















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