19世紀のピアノ教室

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 19世紀のピアノ教室の実態についての資料は限られているが、それでもピアノ教本などの叙述を見てみると、当時はまだプライベート・レッスンこそが本来あるべきピアノ学習のかたちだと考えられていたことが分かる。

 1828年のフンメルの教本には、「初心者は最初の半年、出来れば1年は、毎日1時間のレッスンを受けること」とある。毎日レッスンを受けるのだ。その理由は誠に最もで、「彼らはまだ自習というものが出来ないのだから」という訳だが、現実問題として毎日1時間のレッスンを受けさせることが出来るのは、相当に裕福な家庭に限られていただろう(なおフンメルはこれに加えて、「奏者の多くが毎日6,7時間練習しなくてはならないと思っているが、注意深く練習するなら3時間で十分だ」と書いている)。

 このように「特に最初のうち、レッスンは毎日受けるべし」というのが当時の常識だったようで、1839年のツェルニーの教本でも、「最初の3ヶ月、初心者は毎日、最低でも週4日はレッスンを受けること、そしてそれ以外に毎日1時間自習すること」とある。

 それに対して1853年に出たフリードリッヒ・ヴィークのエッセイになると、興味深いことに、必要最低限とされる1週間のレッスンが3回に減る。また1860年に出版された高名なピアノ教師ルイス・ケーラーの教本でも、「レッスンは1週間ないし2週間に1度、1時間、よい教師のところで受けるように」とあるから、この頃になるとピアノ学習がプチブル家庭にまで広がってきて、金に糸目をつけず良い教師を毎日家に来させるということが無理になって来たのかもしれない。またケーラーは「良い教師を値段で判断してはならない」と付け加えていて、つまりろくでもないレッスンしかしないくせに高額のレッスン料をとるピアノ教師がいることを示唆している。

 またケーラーの教本の特徴は、単に練習時間を指示するだけでなく、自習内容にまで立ち入ってアドバイスを与えている点にあって、ケーラーは「毎日の稽古は指練習と練習曲と作品とに分けてするように」とした上で、「指練習を練習時間の6分の1、練習曲は6分の1から2、作品は6分の3から4程度に割り振るように」と述べている。

 自習メニューまで教えてくれる教本は、ケーラー以前にはない。このことは恐らく、毎日レッスンを受けることが出来ない(自習せざるを得ない)学習者の数が、かなり増えてきたことと関係しているのであろう。なお自習についてケーラーが、「メカニック」と「練習曲」と「作品」とを分けて練習するよう提案していることにも、注意しておこう。この教本は1860年に出版されたものだが、これまで何度も示唆して来たように、19世紀中ごろから技術と音楽とを分離する傾向が顕著になって来たことと、これは一致している。


<本来あるべきピアノ・レッスン>

 さらに時代が下がるが、1895年に出版されたエッカリス=ジーバーという人物の「本来あるべきピアノ・レッスン」という本は、そのタイトルからして意味深長である。「本来あるべき」とは、いかに巷で行われているレッスンが本来の姿からかけ離れているかを暗示しているようだ。この本によれば、初心者は1週間に3回のレッスンを受けるのが理想であり、少なくとも2回、非常に才能のある子供であるなら10分から15分のレッスンを毎日受けるべきである。1時間のレッスンは長すぎ、7歳から11歳の子供なら30分が適切。2人の子供で1時間のレッスンを受けさせるのもいいという。

 「練習時間は最初のうちは毎日10〜15分、そして徐々に30分までに増やしていく」という発言からもうかがわれるようにエッカリス=ジーバーが考えている「本来あるべき」ピアノ・レッスンは、がむしゃらな練習時間の物量作戦ではない。決して無理はさせず、毎日少しずつ、良心的な教師の庇護のもとで、短いが質のいいレッスンを受けるー金銭的にそんなことが可能であるなら(かつての貴族の師弟はまさにそういう教育を受けていたわけだが)、それこそが最高のピアノレッスンであることは言うまでもあるまい。

 1866年の「音楽新報」に載ったフランツ・ブレンデルの「ピアノ・レッスンのキモとなる要素」という、これまた挑発的なタイトルのエッセイも面白い。それによれば、悪い癖がつくので、子供には1人の練習をさせないようにする。最初は半時間のレッスンを週に6回。しかも厳格なレッスンというより、むしろおしゃべりないし遊戯のような性格をもたせること。少し上達したら週に1時間のレッスンを3回にする。徐々に独習の練習時間を加えていくが、常に慎重に。出来れば音楽の素養のある両親が立ち会いつつ行うのがよい。

 ブレンデルいわく、ピアノ教師がレッスンの回数を増やすよう要求すると、それは金のためだと誤解されがちだが(随分生々しい話だ!)、それは違う。もしついている先生のレッスン代が高ければ、練習に立ち会うために若くてレッスン代の安い教師を雇ってもいいから、可能な限り練習には先生を立ち会わせるべきだというのである。

 ヴィークのエッセイにも似たようなことが書いてある。無能なスパルタ教師にしごかれて音楽がすっかり粗くなってしまっている良家の子女へのアドバイスとして、ヴィークは次のように言う。音階は毎日15分やるだけで十分だから、スタカート、レガート、速く、ゆっくり、フォルテ、ピアノ、両手で等の変化をつけて行なう。年齢が若く、指が弱い女性の初心者の場合は、陰影をまったくつけないピアノでのみ練習をしてもいい(「大きな音で弾いて指を鍛えろ」という代わりに、弱音で練習することを薦めているのが面白い)。

「こうやって毎日、2週間レッスンをしましょう。その後でモーツァルトの変ホ長調のメヌエット(シュールホフ編曲)とシュールホフの連弾をやりましょう。また、静かできれいなタッチを習得するまで、自分が同席していないところでは、絶対に練習してはいけない。また以前に勉強した曲はいったん忘れること。なぜなら古い曲をやると悪い癖が戻る恐れがあるから」

 「かつて技術練習は、生徒がそれを自習できるようになるまでは、常に先生がつきっきりで行われたものだった」。これは20世紀初頭に活躍した名ピアニスト、クサヴァー・シャルヴェンカの回想である。自習している間に悪い癖がつかないよう、先生がつきっきりで監督してくれるー何という贅沢だろう! 19世紀のピアノ教師の多くが、こうした「手作りの教育」こそ本来のピアノ・レッスンだと、よく分かっていたはずである。だがピアノの普及とともに、もはやこうした手取り足取りの教育は不可能になってきた。それが19世紀の後半であった。

 


 













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