ロマン派は自己表現する

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 私たちが普段「クラシック」と呼んでいる音楽は、大きく3つの時代に分けられる。まず最初がバロック。これはクラシック音楽史のイントロのようなもので、18世紀前半まで。バッハやヘンデルやヴィヴァルディがここに入る。次に来るのが18世紀後半からのウィーン古典派の時代。これはハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンに代表され、クラシック音楽の時代がここから本格的に始まる。そしてウィーン古典派によって築かれた様々な枠組みを使って、19世紀のロマン派が花開く。これがクラシック音楽の黄金時代である。

 それではウィーン古典派によって確立され、その上にロマン派が開花する枠組みとは何かと言えば、それは1にコンサートという制度、2にコンサートのメインディッシュとしての交響曲のジャンル、3にオーケストラを始めとする楽器編成のスタンダード化である。逆に言えばバロック時代には、コンサートホールも存在しなければ、交響曲のジャンルもなく、オーケストラほかの楽器編成も今とは相当違っていた。というか、これらはまだ形成の途上にあった。だからこそバロックは、本来の「クラシック音楽の時代」へのイントロなのである。

 次に音楽の内容面について言えば、最も重要な要素として「自己表現」がある。これもウィーン古典派の時代に生まれ、ロマン派に入って一気に花開くところのものである。自己表現としての音楽などと言うと、何だ、当たり前のことじゃないかと思われるだろう。ところが違うのである。「音楽は自分の気持の表現だ」今では自明かもしれないが、それ以前の時代にあっては、それは常識ではなかった。例えばバッハの音楽観は神学的であると同時に数学的なもので、恐らくモーツァルトにとっての音楽とは、神の創造した宇宙のミクロコスモスを、音の秩序でもって再現するような行為であったろう。

 対するに同じバロック時代でも、ヘンデルやヴィヴァルディに於いては、注文主にいわば快適な音環境を提供するような曲が多い。要するにBGMである。ヘンデルの「水上の音楽」はテムズ川の舟遊びの、「王宮の花火の音楽」は宮殿の花火大会の、それぞれバックグラウンド・・ミュージックなのである。さらに時代をさかのぼって中世になると、音楽は「神への捧げもの」という性格が強かったものと思われる。そもそも世界のあらゆる音楽の起源のほとんどが奉納儀式なのであって、例えば祭り囃子などを「作曲者の自己表現」と思う人はいないだろう。「自分の気持を表現する音楽」などというものは、人類の長い音楽の歴史の中の、ほんの1部にしか過ぎないのだ。こうした「自己表現をする音楽」が生まれてくるのがウィーン古典派であり、それが人々の完全な常識として定着するのが、19世紀ロマン派の時代にほかならない。

 今「表現する音楽」が生まれてくるのがウィーン古典派だと言ったが、表現の程度には作曲家によってかなり違いがある。「交響曲の父」として知られるハイドンは職人気質の極めて強い人で、あまり「自分」を出さない。職人は黙々と仕事をするものであり、自分を見せびらかすことを潔しとしないのだ。それに対してモーツァルトでは、そこはかとなく曲の随所に作曲家の内面感情が垣間見えるような瞬間が生まれてくる。モーツァルトの音楽が非常に人間的なものとして私たちに感じられるとすると、その理由の1つはこのあたりにある。ただしモーツァルトは、まだ18世紀の人であって、その音楽には決して自分を完全にさらけ出しはしない、貴族的な矜持が強く感じられる。「自分を表現する音楽」が完全に解き放たれるのは、ベートーヴェン以後である。ベートーヴェンはフランス革命に熱狂した世代の人であって、激情をむき出しにする。自分の情熱や哲学や夢や理念や世界観を、熱く音楽で語るのだ。

 ロマン派の作曲家はすべからく、ベートーヴェンのこの「自己表現する音楽」の理念に夢中になった。世界でたった一人の自分を、他の誰とも似ていないこの自分を、音楽で表現するのだ。かつての作曲家はいわば宮仕えの職人であった。教会か宮廷の奉公人として、注文された音楽を作るのである。そこに自己表現の余地はほとんどなかった。そもそも晩餐会の時のBGMを注文されて、下手に作曲家が自己主張をそこに入れたりしたら、注文主の不興を買いかねないだろう。余計なことはせず、注文どおりのことをしていればよかったのだ。

 それに対して18世紀末あたりから、作曲家がフリーでやっていけるチャンスが生まれてくる。ハイドンはロンドンに招待され、交響曲の作曲の依頼を受けた。モーツァルトは晩年こそ仕事がうまくいかなくなったが、幼い頃は神童としてヨーロッパ各地の宮廷で人々の驚嘆を巻き起こした。そしてベートーヴェンこそ、「フリーの作曲家」としてやっていくことに完全に成功した、音楽史で最初の人である。人々は「世界でただ一人の」ベートーヴェンに魅了されて、ベートーヴェンの交響曲を聴きに行き、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの楽譜を買うのである。つまり自己表現こそが、作曲家としての自己実現の鍵となるのである。かくして19世紀のありとあらゆる作曲家は、世界でただ自分にだけ可能な表現を追求し、それによって自己を実現しようとした。皆が懸命に自分の個性を追い求めたからこそ、19世紀にはあれだけたくさんの個性的な作曲家が生まれたのである。

 バロック時代の作曲家については、はっきり区別がつかないことがよくある。最高傑作はともかくとして、バッハのあまり知られていない曲を聴いて「テレマンか」と思ったり、ヴィヴァルディとコレッリの区別がつかなかったり・・・。ハイドンやモーツァルトにしても、彼らの初期作品の場合、聴いてすぐに作曲家がわからないことはしょっちゅうだ。別に居直るつもりはないが、これはある意味で当然のことである。彼らの場合、まだ「自分の個性を表現する」ということはさして重要な意味は持っていなかったのである。

 だがロマン派の場合は違う。シューベルト、ベルリオーズ、ブラームス、ヨハン・シュトラウス2世、ヴェルディ、ワーグナー、マーラーーもう数え切れないくらいの個性的な作曲家たちが、19世紀にはひしめいている。「他の誰にも似ていないこの私のこの1曲」を無数に提供してくれる。だからこそ19世紀はクラシックで一番面白く飽きが来ない時代であり、クラシックの黄金の世紀なのである。

















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