19世紀サロンの虚栄と香水

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 ヴィルトゥオーソ・ピアニストは、フランス革命以後の「音楽の大衆化時代」の申し子である。彼らの聴衆はかつての貴族ではない。そのターゲットは主として、「音楽通」とはお世辞にも言えない、新興成金ブルジョワであった。19世紀のピアニストにとっての登竜門はパリ。ここには毎年冬のシーズンになるとヨーロッパ各地から、腕自慢のピアニストが成功を求めてやって来た。時代はやや下がって1830年代になるが、ショパンやリストの友人でもあった詩人ハイネは、パリの音楽生活の様子を次のように描く。

 ピアノ名人どもがバッタの大群のように毎冬パリにやって来る。金を儲けるよりはむしろ、名を上げるために。パリで名を上げれば、よその国ではいっそう豊かな金銭的収穫が得られるのだ。パリは彼らにとって、巨大な文字でその名声を読むことの出来る広告塔の役割を果たしている。名声がここで読める、と私は言う。信じやすい世間に名声を告げ知らせるのがパリのジャーナリズムだからであり、かの名人たちは、その見事な名人芸でもって新聞とジャーナリストたちを利用するのが実にうまい。

 バルザックの小説「ゴリオ爺さん」の主役である野心家の青年ラスティニャックよろしく、拍手喝采に飢えた腕自慢の若者がパリのサロンに群がり、有力者の愛顧を得ようと虎視眈々だったのである。恐らく彼らは、これと目をつけたサロンで弾かせてもらうべくあちこちのコネを頼り、恥も外聞もなくおべっかを使い、そして見栄えのいい貸衣装に身を包み、香水や高価なアクセサリーで念入りに身支度を整えて、当夜のコンサートに臨んだのだろう。

 19世紀のサロンの聴衆とは一体どんな連中だったか。ハイネは次のように言う。「ピアニストたちはまた、どんなに耳の悪い者をも取り込む術を知っている。というのも人間はいつも人間であり、お追従に弱く、それに、パトロンの役割を喜んでやりたがるものだからだ」

 バルザックの小説は当時の見栄っ張りの上流ブルジョワの生態を知るための百科事典のようなものだが、音楽と直接の関係はなくとも、「セザール・ビロトーーある香水商の隆盛と凋落」の中の主人公を描写した次の一節は、とても印象的だ。「絶えず科学や文芸には無関心な人間とつき合い、より高度な勉学に励む時間もなかったため、この香水商は実用一筋の人間になっていた。必然的に彼はパリのブルジョワの言葉、思い込み、意見を身に着けてしまったが、このパリのブルジョワというのは口ではモリエール、ヴォルテール、ルソーはすばらしいと言い、その作品を買い込みはするが読まない人間たちである」

 つまり18世紀の貴族たちのような「よい趣味」などまったく持ち合わせていない成金オヤジたち、そして彼らの妻や娘や愛人こそが、19世紀のサロン・ピアノ曲のターゲットだったのである。これはショパンやリストの場合でも基本的に変わらない(ショパンのパトロンは銀行家ロスチャイルドの妻と娘だった)。

 では、音楽のことなど本当は何も分かっていないくせに、やたらに芸術家のパトロン面をしたがる成金連中の虚栄心を、いかに巧みにくすぐるか。もちろんベートーヴェンのソナタなどを弾いてはいけない。大事なのは1にも2にもレパートリー選びである。1842年の「音楽新報」のパリ通信の欄には、次のような報告が載っている。

 公衆に辿り着く前に、人々はまず目を向けねばならないのは、社交界のエリートに対してである。彼らのソワレは幸運と名声のゆりかごなのだ。ある芸術家がこうしたソワレへの取っ掛かりを得たら、演奏する曲目の選択に誤らないよう、策を巡らせねばならない。あるところではロマンツァの洗練されたエレガンスの軽薄が、あるところでは古き良き時代のシャンソンの素朴さが流行している。ここではワルツとカドリーユ(スクエアダンス)が人気があり、あそこではエチュードと幻想曲が判断基準となっている。そして最後に、ドイツ人がいうところの良き音楽が聴かれるようなソワレも訪問して回らねばならない。

 パリでものをいうのは何よりパトロンと評判である。あまり高邁な理念を掲げてはいけない。ラスティニャックがそうしたように、相手の好みについて前もって詳細な情報を仕入れ、あたかも偶然を装いつつ、巧みに媚を売って取り入る。それが成功への道だ。

 もし「彼が作曲家で、彼の曲がいくつかのソワレで好評を博したとすれば、すぐにそれが出版されることを期待して良い。特にそれが、パリでは日常茶飯事の軽い音楽である時は、とりわけそうである。つまり社交界のエリートは、芸術家を公衆に引き合わせ、彼らに「この人は名声と栄誉に値する」と保証してあげる役割を果たしているのだ」。

 身も蓋もない言い方をすれば、自分の耳で音楽の良し悪しを判断できる聴衆など、ほとんどいないということだろうか。18世紀の教本であれほど強調された「よい趣味を養うこと」など、もはや雲散霧消してしまったかのようである。「最初の評価としての社交界のエリートの意見が、最終評価としての公衆によって覆されることもあるだろうと考える人もいよう。勿論、そういうこともあるかもしれない。しかしそういうことが起こるのは、非常に稀である。なぜなら、上の方で良しとされたものは、ジャーナリズムの間で非常に長い間称賛され続け、下にいる公衆のところでも結局いいものだと信じられるからである。通常、至るところで2つの評価の間にはハーモニーが支配しているのである。

 馬鹿な成金相手に軽い音楽を弾いて、うまく媚を売っておけば、自ずと評判が立つ。勿体つけた有力者が「この人は素晴らしい!」と言ってくれれば、それで万事よし。それに異を唱える者はいない。

 アンリ・ヘルツは1820年代のパリで非常に人気があったピアニストで、リチャード・クレイダーマンの19世紀版のようなムード・ミュージックを大量に作った人でもあるが、1834年にパリへ演奏旅行に行ったメンデルスゾーンは、親友のモシュレスに宛てた手紙の中で、「高貴な人々の前で、今や陳腐になっているヘルツのロンドを弾かねばならないことが恥ずかしい」と書いている。彼いわく「ヘルツはこの1834年という時代の典型的な人物なのです。そして芸術には時代が反映されるのですから、彼はそれをとてもうまく反映させているのです。ありとあらゆるサロンと虚栄心、憧れが少し、大あくびとキッド皮の手袋と、私には耐えられない麝香の香水がいっぱい、そしてステッキと付け毛」。

 またアンリ・ヘルツは、1830年6月22日の家族に宛てた手紙の中で、ミュンヘンの音楽界についても次のように書いている。「当地では最良のピアニストすら、モーツァルトやハイドンがピアノのための作品を書いたことをほとんど知らないありさまです。ベートーヴェンのことは噂でしか知りません。カルクブレンナーやフィールドやフンメルのことを彼らは古典的な音楽とか学識ある音楽などと呼んでいるのです」。事情はヨーロッパの主要都市のどこでも、さして変わらなかったのだろう。

 こうした19世紀パリのヴィルトゥオーソ音楽が、どういうミリューの中で生まれてきたか。それをリアルに伝えるドキュメントとして、シューマンによるタールベルクの夜想曲についての評を引用しておこう。「最悪なのは、丁重さによって我々に初めから丁重さを強要する術を心得ている類の社交界の人々と同席することである。彼らは我々が何か避難しようとしても、お辞儀の1つでそれを口に出来ないようにしてしまうし、彼らともっと深くつきあおうとしても、うまくかわされてしまうのだ」。

 まったく文章を読んでいるだけで居心地が悪くなってきそうな、嫌味なサークルだ。ところが音楽界で生きていくためには、彼らの関心をひかねばならないのだから、始末におえない。「彼らは実生活でも、宮廷でも、サロンでも幅を利かせていて、従って芸術からも追放することは出来ない」。サロンで出世するには、一途に音楽のことだけ考えていては、ダメなのである。「タールベルクのように生まれつきの貴族だったり、デーラーのように外交に長けていたりする場合、彼らはいっそう迅速に名を成して、無限の賞賛を至る所で浴びることが出来る」。ものを言うのは社交界の紳士としてのステータスであり、如才なさなのだ。

 こうした皮肉たっぷりの前フリの後でシューマンは、いつもあれだけ嫌悪していたタールベルクの夜想曲を、次のような言葉で賞賛する。

 もちろん後年になって絶賛の嵐が過ぎ去り、身体もかつてのしなやかさを失ってから、これらの小器用な才に恵まれた人たちが時としてより良きものに対する憧れの気持ちに、そう、早々と過ぎ去った青春への悔いに数分の間襲われるということもあろう。その時、より高きものへの努力が彼らに翼を与え、新しい勇気をもたらすだろう。彼らは自分が失ったものを取り戻そうとする。うまくいく時もあるし、「時既に遅し」の場合もある。貴族や金持ちのサロンには決して見つけ出すことが出来ない芸術の真の故郷へのこうした憧憬の中で、この夜想曲(タールベルクの作品28)は恐らく作られたのであろう。しばしばそこにも虚栄心がまだ見え隠れしている。だがそれらは全体として、並のサロン・ヴィルトゥオーソには決して見られない高貴な感情の証明である。これはタールベルクの最良の作品の1つである。

 シューマン自身の「蝶々」、あるいはリストの「ウィーンの夜会」のフィナーレのような、華やかな夜会が終わった後のペーソスが胸にしみる1文ではある。

 













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