バッハの「マタイ受難曲」

ショパン・マリアージュ(釧路市の結婚相談所)
お気軽にご連絡下さい!
TEL.0154-64-7018
営業時間:土曜日、日曜日、祝祭日の9:00〜18:00
FAX.0154-64-7018
お問い合わせメール:mi3tu2hi1ro6@gmail.com
釧路市浦見8丁目2−16
URL https://www.cherry-piano.com

<クラシック最高峰の名曲>

「マタイ受難曲」こそが、「人類史上最高の芸術作品」だという人がいる。音楽に限らず、文学、美術などを含めた上での最高の作品だというのだ。それに同意するかどうかはともかく、クラシック音楽の最高峰に立つのが、バッハの「マタイ受難曲」であることは、定説となっている。これが最高峰ならば、以後の音楽の歴史は何だったのかという疑問も湧いてしまうが、専門家であればあるほど、「マタイ受難曲」を最高の作とする。

 これは、新約聖書の中の「マタイによる福音書」を音楽にしたものだ。受難とは英語ではパッション。情熱とか激情という意味の語と同じで、元の意味はキリストが十字架で死んだことを指す。それがどうして「情熱」になるのかは、日本人の語感ではよく分からないが、一種の集団的情熱がキリストを十字架にかけたのだとも解釈できそうだ。

 聖書の一部だから、もともとは教会で朗読されていたものに、いつしか音楽をつけるようになり、受難曲というジャンルの曲が出来た。衣装を付けたり、舞台装置がある訳ではないが、一種の音楽劇と思っていい。

 バッハは全部で3つの受難曲を作ったと記録にはあるが、楽譜が残っているのは、「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」だけで、中でも「マタイ受難曲」が名作とされている。

 「マタイ受難曲」が作曲されたのは、バッハがライプツィヒの聖トーマス教会に雇われていた時代だ。3年かけて作曲されたらしい。バッハが40代で絶頂期にあたる。


<メンデルスゾーンによって100年ぶりに復活>

 しかしこの曲もずっと名曲として演奏され続けていた訳ではなかった。完成したのは1727年だが、1750年のバッハの死後はすっかり忘れられてしまった。1829年に、当時20歳のメンデルスゾーンがベルリンで100年ぶりに復活上演した。

 これがきっかけでバッハは再評価され、こんにちまで続く「音楽の父」としての名声を手に入れた。名曲「マタイ受難曲」だけでなく、バッハそのものも、この時まで忘れられた作曲家だった。

 たとえ、この時にメンデルスゾーンが取り上げなくても、いずれは誰かが復活させただろうが、この「マタイ受難曲」復活だけでもメンデルスゾーンの業績は大きい。メンデルスゾーンの演奏会は、チャリティとして開催された。メンデルスゾーンは自腹を切って会場費を払い、出演者の多くもノーギャラだった。

 CDで3枚組、3時間前後の対策だ。オーケストラと合唱団、独奏で演奏される。聖書の基礎知識がないと内容を理解するのは困難だが、それでも、何やら敬虔な雰囲気だということ、劇的な内容が歌われていることは伝わってくる。作曲技巧の面から見ても、様々な手法が用いられていることは分かる。

 物語は、キリストにやがて受難が訪れる事が予言され、予言通りに逮捕され、有罪となり十字架にかけられ、殺され、埋葬されるまでが描かれる。

 聴いてみて「よく分からないけれど、いつかはちゃんと聴きたいものだ」と思えば、とりあえずはいいのではないだろうか。さらに言えば、「どうも宗教音楽は向いていない」と感じても別に構わない。教会で始まった音楽が、そこから離脱し、街に出て市民のものになっていったのが、西洋音楽の歴史だ。バッハ自身が、「マタイ受難曲」作曲後に教会とは喧嘩をして辞め、晩年はフリーの音楽家として生きるのだ。

 さて、もともとは教会で演奏するための曲なので、大編成のオーケストラと大合唱団での演奏など、バッハは予定していない。楽器も今と当時とでは異なる。しかし、20世紀半ばまでは、大オーケストラと大合唱で、大きなスケールで演奏されていた。カラヤンもそのような演奏をし、これにはオペラ的だとの批判もある。こんにちでは、古楽器で少ない人数で演奏するのが「正しい」とされている。

ショパン・マリアージュ(北海道釧路市の結婚相談所)/ 全国結婚相談事業者連盟 正規加盟店 / cherry-piano.com

恋の戦は白馬に乗って素敵な出会いを探しに行こう♡ ショパン・マリアージュは一人ひとりの希望や要望に基づいて最適なパートナーを見つけるサポートをします。貴方が求める条件や相手に対する期待を明確化し、その条件に基づいたマッチングを行います。また信頼出来る情報や適切なアドバイスを得ることができ、健全なパートナーシップの形成に向けてのサポートを受けることができます。