モーツァルトとアンシャンレジームのユートピア

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 一般にウィーン古典派の3巨匠といえばハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを指すが、この3人は生まれた時代も違えば気質も異なっている。バッハの末息子クリスチャンが1735年生まれだから、ハイドンもまた「バッハの息子/モーツァルトの父親」世代に属していると言っていい。そして1756年生まれのモーツァルトがバッハの孫世代。それに対してベートーヴェンはバッハの曾孫であってもおかしくない、かなり後世の人であって、フランス革命が勃発した時にはまだ20歳前後。こんな3人のうち、年齢の順番にハイドンから始めず、まずモーツァルトを扱うのは、次の理由による。つまり前古典派といってもいい世代に属しており、ハンガリーの片田舎での宮仕えが長かったハイドンは、世に出るまでにかなり時間がかかり、その創作が円熟期を迎えるのは、フランス革命後の1790年代になってからのことだった。それに対してモーツァルトは、幼い頃から天才少年として父に連れられヨーロッパ中を旅して回り、最末期の王宮文化の精髄を吸収し、あたかも貴族社会の没落に殉じるかのように、フランス革命勃発の2年後にあたる1791年に世を去る。要するにモーツァルトは、ハイドンやベートーヴェンと違い、「フランス革命以前」のアンシャンレジーム世界の住人だったのである。

 夥しい数のモーツァルトの傑作の中から何か1曲だけ選ぶなど、土台無理な話ではあろう。それを承知であえて「ピアノ協奏曲第25番」についてここで論じるのは、この曲が非常にコンパクトな形でモーツァルトの音楽のある特質を示しているからである。それが作曲されたのは「フィガロの結婚」が初演された1786年の末。なぜか弾かれる機会は多くないが、これこそモーツァルトのピアノ協奏曲の最高峰である。

 第1楽章はトゥッティ(全合奏)による壮麗なファンファーレ風の音型で始まる。バロック以後の西洋音楽は主として宮廷文化の中で育まれてきた。そこで毎夜のように繰り広げられていたであろう祝典の開始を告げる合図が、トランペットのファンファーレだ。モンテヴェルディの「オルフェオ」しかりヘンデルの「王宮の花火の音楽」しかり。ファンファーレは鳴り響く王家の紋章であって、モーツァルトのこの協奏曲にもまた、もう先が長くはない宮廷文化の最後の華やぎがこだましている。

 それにしても、例えばヘンデルの「王宮の花火の音楽」冒頭と比べて見た時、ここには何という自由な世界が広がっていることだろう! しかもそれは、革命以後の近代社会に於いて政治的イデオロギーと化してしまった「自由」ではない。もっと人懐っこく奔放で、官能の香りが混ざった、瑞々しいときめきだ。いかめしいフランス風序曲(バロック時代にしばしば用いられた荘重な付点リズムによる序曲)のヘンデルのファンファーレには、カツラをつけ、重たい真紅のマントの裾をひきずりながら、静々と宮殿に入っていく国王の足取りが似合う。そこでは庶民が歓び駆け回ったりすることは許されない。それに対してモーツァルトのファンファーレを特徴づけるのは、しなやかで湧き立つような躍動感である。この歓呼の輪の中には、すべての人が加わることが出来るだろう。あらゆる階級の人々が歌い踊りさんざめくことの出来る祝典。「フィガロの結婚」第3幕で領主のアルマヴィーヴァ伯爵は、自分の民に向けて、フィガロたちの結婚祝典の開始を次のように告げる。「行きなさい、友よ!今晩のために素晴らしい婚礼の仕度をしよう。盛大な祝典をやり、歌を歌い、花火を打ち上げ、大宴会、大舞踏会をしよう。大切な人々を私がどんな風に遇するか見てくれ」。「ピアノ協奏曲第25番」冒頭のファンファーレが告げるのもまた、貴族もブルジョワも召使いも農民も身分に関係なく集う、王政末期の祝典の始まりである。

 だがモーツァルトの音楽の歓びの背後には、絶えず淡いメランコリーと諦念が見え隠れしていることもまた、聴き落としてはなるまい。アンシャンレジーム期の芸術についてジャン・スタロバンスキーは、「フランス革命と芸術ー1789年 理性の標章」の中で、次のように述べている。「終末に向かう階級と結びついたこの芸術には、衰弱の症候と全く一緒に、自由が見出されることがあるであろう。この自由はしばしば素晴らしいものであるが、それは、あらゆる絆の断絶と、死と隣り合ってもう何も失うものはないという感情の与える一種の陶酔とが生み出すものなのである。パラドックスは、こうした無駄な消費と純粋な気まぐれの作品、瀕死の社会から流れ出した作品が、その豪放さ、素晴らしい無頓着さによって、創意と大胆な創造性を物語っている」点にあるというのである。こうした幸福と不安憂いの交錯を、この協奏曲の中にも難なく見出すことが出来るだろう。

 まずトゥッティによる冒頭のファンファーレの呼びかけにファゴットとオーボエのソロが応じるのだが、この音型には既にどこか沈んだような表情が入り込んでいる。あたかも太陽の傍を薄い雲が通り過ぎて、一瞬陽が翳ったかのようだ。そして「トゥッティ→木管ソロ」のこの応答が2度繰り返された後には、胸騒ぎを覚えてせわしなく扉をノックするような短調の音型がヴァイオリンに現れる。冒頭とは対照的な、切迫した調子のパッセージである。だが薄日が差してくるように響きは徐々に明るさを取り戻し、やがて全オーケストラが力強い長調の上行音階(ヴァイオリン)の渦へ巻き込まれていく。冒頭よりさらに輝かしく、歓びが爆発する。しかもここまで、ものの1分もかからない。ほとんど数小節ごとに音楽は色合いを変化させ、それでいて万華鏡のような気分の明滅は、完璧な流麗さの中へ統合されているのだ。バロック王宮の祝典の残響、ロココのメランコリー、自由な世界の予感、絶え間なく移ろう感情ーモーツァルトの音楽こそ、こうしたアンシャンレジームの宮廷文化の集大成であった。


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