ロマン派

 19世紀から20世紀初頭まで続いたのが、ロマン派の時代。ロマン主義ともいう。


 長いので1850年頃を境に前期と後期に分けられる。ちょうど1850年前後に、18世紀から19世紀初頭にかけて生まれた作曲家たちが亡くなったのと、1848年のフランス2月革命から派生したヨーロッパの革命で社会が大きく変わったことから、区切りが良いのである。


 「ロマン」というと、女子の好きな「恋愛物語」であり、そうかと思うと「男のロマン」となれば、夢とか冒険というイメージになる。どちらも「空想的」と「物語」という共通項があるが、「恋愛物語」と「男のロマン」とではだいぶ異なる。つまり、それだけ意味するものの範囲が広いのが「ロマン」という言葉だ。「浪漫」と当て字で表現していた時代もあり、これはこれで雰囲気が出る。


 「ロマン」のおおもとの意味は、「ローマ的」。「ローマ」とはローマ帝国のローマのことだ。当時のローマ帝国には大きく分けて2種類の原語があった。ひとつはラテン語で、公用語であり知識階層が使っていた言葉。もうひとつがロマンス語と呼ばれるもので、庶民が使っていた言葉だ。このロマンス語で書かれた物語が、「ロマンス」と呼ばれるようになった。庶民向きのもので、日本風に言えば「通俗文学」「大衆文学」、つまりエンタテインメント小説のことである。そこから、ロマンス語ではなくても庶民の娯楽のために作られた物語を「ロマン」というようになる。そして、民衆文学全般もロマンスと呼ばれるようになったのである。つまり、空想的で大衆向けの物語や恋愛をテーマにしたもの、あるいは中世騎士物語もロマンスの一種だった。


 では、このような物語を音楽で描いたものがロマン派音楽なのだろうか。ロマンス文学を題材にしたオペラは、確かにロマン派音楽の代表作ではある。だが、ロマン派とは、それだけではない。音楽に限らず、ロマン主義藝術は現実世界を超越したものを描こうとした。音楽に於いては、古典派が確立した様式を打破し、それを乗り越えた。つまり、ロマン派時代になって、音楽は「何でもアリ」になった。今日、コンサートで演奏され、CDとして発売されるクラシック音楽の半分以上は、おそらくロマン派の時代の作品である。


 単純に言えば、古典派の時代は形式が重視されていたが、ロマン派はそれから自由になり、作曲家それぞれの感性が重視される。さらに、標題音楽=「何かを描いた音楽」が、重要な位置付けになる。それに伴い文学や絵画と音楽との関係が深まっていく。


 楽器の改良が進み、特に鍵盤楽器はピアノがより大きな音が出せるようになったため、それにふさわしい作品が生まれるようになる。オーケストラも編成が巨大化していく。それは、演奏会場が広くなり、多くの聴衆を収容できるようになったこととも関連していた。


 もうひとつの大きな特徴としては、「名曲」の誕生である。


 18世紀までの演奏会は基本的には新曲を披露する場だった。そのため、作曲家たちは多作を強いられていた。これまでの曲と似ていても構わず、とにかく新曲を求められた。だが、19世紀になると、良い曲は何度も演奏されるようになった。さらに、18世紀までは作曲家は演奏家も兼ねていたので自作自演が主流だったが、この時代から「過去の名曲」が「現代の名演奏家」によって演奏されるようになる。そうなると、作曲家たちはすぐに忘れられる作品を多作するよりも、永遠に演奏される名曲を遺そうという考え方になった。当然、時間をかけて曲を作るようになる。それに伴い、作品数は減る。生涯に何百曲も遺す多作の人は例外的な存在となる。


 作曲家と演奏家が分離すると、「名演奏家」も誕生する。同じ曲をいろいろな人が演奏するようになったので、誰が一番うまいかという比較ができるようになったのである。


 すると今度は、どの曲が名作なのか、どうして名作なのか、あるいは誰の演奏が良いのかといった「評論」が必要になる。


 このように、音楽家をとりまく状況の変化が、新しい音楽を生み出していった。

















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