フランツ・リストの黄金時代

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 「私はなぜここにおり、そして何をしようというのか。大衆の喝采が私に何をしてくれるというのか。空虚で他愛のない祝福について自問している」。これは、リストがピアニストとしての活動について、マリー・ダグー夫人に宛てて書いた書簡の一節である。


 マリーとイタリアで過ごすことで、ピアニストとしての生活から距離を置いていたリストは、再びその生活を大きく変えることになった。まず、ミラノに滞在中の1837年12月10日、スカラ座で演奏会を開いた。クリスマスの前日にコージマを生んだばかりのマリーをベルラージョに残し、翌年の2月18日にも再びミラノで演奏会を開いている。その後マリーと訪れたヴェネチアで、4月にハンガリーが洪水によって大きな被害を受けたことを聞き知ると、リストは急遽ヴィーンを訪れて、4月18日から5月25日の間に約10回の演奏会を開いた。このときの演奏会をクララ・ヴィークが聴き、その印象を日記にしたためている。「私たちはリストの演奏を聴きました。リストは他のどんな演奏家とも比較出来ません。彼は恐れと驚きを引き起こします。そしてピアノに向かう姿勢は、筆舌に尽くしがたいものがあります。独創的です。リストはピアノと一体化しています」。さらに、かつての師チェルニーも、このときのリストの演奏会を聴いている。


 リストは24000グルデンを、洪水からの復興のためにハンガリーに寄付した。この年はそのままイタリアへ引き返し、再びマリーと過ごしているが、この時のヴィーンでの演奏会の意義は、ハンガリーへの寄付だけではなかった。約36年後の1874年8月30日付けのリストの書簡によれば、この演奏会の成功が、リストにヴィルトゥオーソとしての活動を再会する決心をさせたのである。さらに、ベートーヴェン記念碑の委員会が資金不足で困窮していることを耳にしたことも、演奏活動再開の理由と考えられる。


 1839年3月8日、西洋音楽史上、初めてとなる独奏会をリストは開いた。6月4日のベルジョイオーソ公爵夫人宛の書簡で、このときの様子をリストは語っている。「音楽的独白・・・私は思い切って、完全にひとりきりで演奏会を開きました。ルイ14世のように、聴衆に向かって騎士気取りで、コンサート、それは我なりと述べておきました。


 この年の5月9日には、長男ダニエルが誕生した。そして11月5日にトリエステで演奏会を行なったあと、マリーと子どもたちはパリへ向かい、リストはヴィーンへ赴いた。そして11月15日にヴィーンに到着し、19日、リストは再びヴィーンの舞台に立った。それは不世出のヴィルトゥオーソ・ピアニストとしての、歴史的な栄光の幕開けであった。以後、1847年9月にウクライナのエリザベトグラードで開かれた演奏会に至るまで、8年間で約千回の演奏会を開いたと言われている。単純計算でも、3日に1回の割合である。北はサンクト・ペテルブルクから南はジブラルタルまで、東はモスクワ、コンスタンティノープルから西はリスボンまで、まさに全ヨーロッパを股にかけての大演奏旅行であった。しかも今と違って、飛行機も鉄道もない時代である。主要な移動手段は郵便馬車であった。ちなみに、1839年のヴィーン公演では、リストの書簡(1839年12月6日、マリー宛)によると、1回の演奏会に於けるリストの通常の手取り収入は1600〜1700フローリンだった。


 これらの演奏会の中でも、1841年12月27日から3月初旬にかけてベルリンで行われた1連の演奏会は、空前の大成功として伝えられている。21回の演奏会で約80曲を弾き、そのうちの50曲は暗譜だったと言われている。1月9日のポツダムでの演奏会では、王妃からフリードリヒ大王のフルート協奏曲の自筆譜が贈られた。そしてベルリンを去るときには、白馬に乗ったリストをひと目見ようと群衆が押し寄せ、当地の有名な批評家レルシュタープはまるで国王のようであったと伝えている。その熱狂ぶりはリストマニアと呼ばれた。


 たびたびリストは勲章をつけて舞台に上がり、国王なみの大歓迎を受けた。これはもちろん、リストの性格や名誉欲などとも関連しているだろうが、それと同時に、リストが芸術家の社会的地位の向上を自ら実践してみせたと考えることも出来る。1835年の著作で主張していたことを、実際に誇示したのである。しかし一方で、1839年にペシュト市でサーベルを授与され、自ら貴族になったかのごとく悦に入ったこともまた事実であろう。その話題がパリに伝わると、リストは嘲笑の的となり、マリーは1840年4月30日の書簡で、リストに自重するように忠告している。


 しかし、すべての演奏会が成功というわけではなかった。とくに1840年とその翌年にかけてのイギリス・ツアーは失敗に終わった。客の入りは悪く、ピアノはひどく、どさまわりの結果残ったものは、千ポンド以上の赤字であり、リストのギャランティーは払われないままだった。41年のロンドンでの演奏会を最後に、リストは1886年までイギリスを訪れていない。


 このイギリス・ツアーは例外として、一般にリストのヴィルトゥオーソとしての活動は、規模と熱狂の点で、以前の演奏家をはるかに凌駕していた。しかし、リストがマリーに「聴衆の喝采が、私に何をしてくれるというのでしょうか」、サンドには「私がどんなに深く嘆いているか、あなたは信じてくれるでしょうか」とこぼしているように、この空前の演奏旅行は、多くの栄誉をリストにもたらした一方で、かなりの精神的な苦痛と虚脱感もリストに味わわせていたことがわかる。3日に1度の割合で、約8年にわたって演奏会を開き続けることが、かなりの肉体的疲労と精神的圧迫を強いることは容易に想像できよう。


 こうした演奏活動を通じて、リストはピアノ演奏会のスタイルを確立した。つまり、バッハから当時の作品までをレパートリーとしていたこと、原則として暗譜で演奏したこと、ピアノを客席に向かって右向きに置いたこと、ピアノの蓋を開けて弾いたことなど、それらをリストは一貫して実践したといわれている。


 さらに特筆すべきことは、リサイタルの創始である。1839年3月にローマでひとりだけで演奏会を行なったが、その時は私的な演奏会であり、リサイタルとは呼ばれなかった。1840年6月9日にロンドンのハノーヴァー・スクエア・ルームズで開かれた公開演奏会の告知で初めてリサイタルという言い方がなされた。今日リサイタルはあたりまえであるが、この時代の演奏会といえば、様々なジャンルの作品が複数の演奏者によって演奏されることが一般的であった。その常識をリストは覆したのである。


 次にレパートリーについて。1838年から48年の公開演奏会に於いて、リストが演奏したレパートリーの一覧表が残されている。リストの弟子コンラーディがおそらく1849年に作成したと考えられ、リスト自身の修正も加えられている。それによれば、リストのレパートリーはバッハ、ベートーヴェンから、ショパンのエチュードやシューマンの「謝肉祭」など、当時の現代作品にまで及んでいる。ピアニストは自作を演奏することが当たり前だったこの時代としては、まったく異例のことである。とりわけ、当時演奏される機会が少なかったヴェートーベンの作品を取り上げていることは特筆に値する。しかも異端視されていた晩年の作品(例えばピアノ・ソナタ作品106)も演奏しているが、そうした試みは当時のピアニストにとってはかなり危険な賭けであったはずである。


 具体的に曲目見てみると、例えば、ロンドンで開かれた、史上初の公開リサイタル。第1曲めはベートーヴェンの「田園」からスケルツォとフィナーレ、続いてシューベルトの「セレナード」と「アヴェ・マリア」そして「ヘクサメロン」「ナポリのタランテッラ」、最後は「半音階的大ギャロップ」で締めくくっている。全て自作である。


また、1843年10月21日のミュンヘンでのリサイタルは、ベートーヴェンの「悲愴」ソナタで始まり、自作のパラフレーズ「夢遊病の女の主題による幻想曲」、ロッシーニの「タランテッラ」、ショパンの「マズルカ」「清教徒からのポロネーズ」バッハの「フーガ」嬰ハ短調、そして最後はヴェーバーの「舞踏への勧誘」という曲目であった。46年3月5日のヴィーンでのリサイタルは、ロッシーニの「ウイリアム・テル」序曲で始まり、「ヴァレンシュタットの湖で」と「泉のほとりで」、シューベルトの「さすらい人幻想曲」、ショパンのふたつの「エチュード」、そして「ノルマ幻想曲」で閉じている。


 これら3回の曲目は、オーケストラ曲や歌曲、オペラのパラフレーズ、古今のピアノ独奏曲という組み合わせである。今日のリサイタルとはかなり異なる曲目だが、ヴィルトゥオーソ時代のリストの典型的なプログラムである。こういった曲目は、様々なジャンルの作品が、複数の演奏家によって演奏されていた、当時の演奏会を反映している。つまり、多様なジャンルの楽曲を演奏する習慣を踏襲しつつ、そうした楽曲をリストは一人で演奏したのである。だからこそ、自分のリサイタルのために、リストは編曲を必要としたのである。リストがオーケストラのための序曲、歌曲、オペラの楽曲をピアノ独奏のために数多く編曲した理由のひとつは、当時の演奏会の習慣にあったと言えよう。


















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