西洋のピアノ発展の歴史

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 ヤマハの創業者である山葉寅楠がピアノづくりを目指した明治半ば、世界に於けるピアノ生産の中心地は、それまでのフランス、イギリスから、新興国のドイツ及びアメリカへと移っていた。いずれもそれぞれの時代に於ける産業技術の先進国である。
 今日のピアノのほぼ原型となる楽器が製作されたのは、後期バロック時代にあたる1698年である。ピアノを最初に考案したのは、イタリアのフィレンツェでメディチ家に仕えていたハープシコード製作者のバルトロメオ・クリストフォリと言われている。10年間にわたる試行錯誤を経て生み出されたこのピアノは、さらに改良されていくことになる。

ピアノは、クラヴィコードと比べて、打弦機構の違いから音が大きく、しかも強弱がつけやすく、表現の幅が多彩となるため、演奏家や作曲者の人気を獲得してやがて主役に躍り出る。フォルテ(跫音)からピアノ(弱音)まで音量の調節が可能なことから、それまで代表的な鍵盤楽器だったチェンバロやクラヴィコードとの違いを表す意味で「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」と呼ばれたが、今日では省略されてピアノと呼ばれるようになった。

 ただし、ハンマー式のピアノがクリストフォリの手によって製作されてから普及するまでには7,80年を要している。ハイドン、モーツアルトの時代の18世紀末頃まではチェンバロやクラヴィコードが盛んに愛用され、子供時代のモーツアルトも、もっぱらチェンバロやクラヴィコードを演奏してヨーロッパを回ったが、成人した頃にはピアノも用いることになる。
 1730年代には、ドレスデンのオルガン製作者、ゴットフリート・ジルバーマンがクリストフォリの試みを知り、ピアノ製作を開始した。

 1747年5月7日、晩年のJ・S・バッハが、フリードリヒ2世の宮廷でこのピアノを即興演奏する機会があった。もっぱらオルガンやチェンバロを愛好していた老バッハだったが、このとき初めてジルバーマン作のピアノを試奏した。
 その後、ジルバーマンの弟子たちは、プロイセンとオーストリアの7年戦争(1756〜63)の難を逃れてイギリスへと移住。この弟子の中でリーダー的な存在だったヨハネス・ツンペがクリストフォリの打弦機構をさらに発展させ、ペダル機構も取り入れるなど、数々の新しい考案と改良を行って、突き上げ式と呼ばれる「イギリス・アクション」の打弦機構を生み出した。1762年、これを組み込んだ近代的な小型のスクエアピアノ(テーブル型)を製作して今日の基礎を形成することになる。
 もう一つの大きな流れを作ったのは、跳ね上げ方式の「ウイーン・アクション」である。華麗で流れるようなモーツアルトの曲などに最適なウイーン・アクションと比べて、イギリス・アクションは機構が複雑で重いハンマーを使っているから、大劇場でも大きな音を響かせることが出来、重厚な和音も出せる。だが、それだけに鍵盤のタッチが重くて深いために、演奏家からは嫌われる傾向があった。その後、イギリス・アクションはタッチの重さが改良されていく。
 ピアノの発展史を振り返ると、ジルバーマンの例に見られるように、その間に起こった戦争や革命のたびに、ピアノ製造者は難を逃れてイギリスとヨーロッパ大陸を移動し、さらには新大陸のアメリカに移住している。その結果として、互いに影響を受け、相互の技術が刺激し合い、また融合して、より素晴らしいピアノを生み出している。
 ところで、ちょうどピアノの技術革新期に生きたベートーヴェンはひとたびピアノに親しむようになると、その魅力に取り憑かれて、その音域の広さから、これまでにない表現の多彩なピアノ・ソナタやダイナミックなピアノ協奏曲を作曲することになる。ベートーヴェンは貪欲で、常にその進歩に注目して、メーカーから送られてくる最新作を試弾していたが、決して満足することなく、そのつど不満をぶつけて改良を求めていた。ピアノメーカーに対して絶えず改良を求めていた。ピアノメーカーに対して絶えず改良を促し、次々とモデルチェンジを推進させる役割を果たしていた。ことに音域の広さを問題として、当時のピアノが持つ5オクターヴを超える曲を作曲したりして、より高い次元の改良をメーカーに要求した。

 こうしてピアノはより洗練されていき、19世紀のピアノ音楽の隆盛を支えたシューマン、ショパン、リストなどのピアノ曲を生み出す下地を用意することになる。
 ピアノ産業は、木工や鋳鉄など様々な技術を必要とするだけに、その国の産業技術の発展の勢いと連動する。作り手は絶えず新しい技術を取り入れる必要があるが、産業革命が一段落しつつあったイギリスのピアノ製作者たちは伝統的な作り方に固執して停滞した。代わって、新興国として活気に溢れていたドイツでピアノが花開いたのも当然だったと言える。さらには、19世紀後半ともなると、建国から日は浅いが、活力溢れる新大陸アメリカへと移っていくのである。

 

 




















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