無言歌、標題音楽、絶対音楽

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 ロマン派詩人たちに端を発する19世紀ドイツの器楽文化は、大きく分けて3つの方向へ展開することになる。1つはシューマンの初期ピアノ曲「パピヨン」「謝肉祭」「子供の情景」やメンデルスゾーンの「無言歌」に代表される詩的なピアノ小品集である。「トロイメライ」とか「春の歌」といった叙情的なタイトルが、音楽の醸す情緒とないまぜになって、聞き手のファンタジーをかきたてるタイプの音楽である。これらは一見パリ風のサロン音楽と似ていなくもないが、その基調をなすのはあくまで内面的な詩情であり、技巧の誇示は基本的に控える点でリスト風のヴィルトゥオーソ音楽とは一線を画す。メンデルスゾーンの「無言歌」つまり言葉のない歌というタイトルは、この種のジャンルの精髄を端的に言い表している。それは「器楽だけで奏でられる歌(リート/詩)であって、言葉が沈黙することによって、より深い詩情の表現を目指す音楽なのである。
 2つ目の方向は、無言歌的な漠然とした情緒ではなく、もっと理念的なものを表現しようとするタイプの音楽である。その典型はベルリオーズの「幻想交響曲」や「イタリアのハロルド」や「ロメオとジュリエット」あるいはリストの「ファウスト交響曲」といった標題音楽である。リストの熱烈な支持者だったアドルフ・ベルンハルト・マルクスという批評家は、ベートーベンの「エロイカ」について、まさにここに於いて音芸術は、形の戯れや漠然とした情緒や感情から脱して、より明確で形のはっきりした意識の領域へと踏み入ったのだと述べている。このマルクスの言葉はそっくりそのままリストらの標題音楽に当てはめることができるだろう。彼らは、シューマンやメンデルスゾーンの作品が醸す漠たる詩情ではなく、もっと英雄的で理念的で哲学的なものを音楽で表現しようとした。「ファウスト交響曲」や「タッソー」や「ハムレット」など、リストは文学史の名作に霊感を受けた一種の交響曲を数多く残している。これが交響詩と呼ばれるジャンルである。「ペトラルカのソネット」や「ダンテを読んで」のようにピアノ曲にも同種の作品は多いただし彼が夢見た交響詩とは、一般にそう考えられているような、単なる文学の音による描写ではない。リストは、言葉ではなく音楽によってこそ、これらの偉大な文学作品の最も深い、言葉を超えた理念に肉薄できると考え、いわば音楽による世界文学のリメイクを試みたといえるだろう。リストの後継者であるリヒャルト・シュトラウスの交響詩では、こうした理念性はかなり薄れ、音楽による写実主義に傾くきらいがある。シュトラウスがレストランのメニューでも音で表現できるといっていたのは有名だが、彼の作品はいわば映像のない映画音楽に近づく。リストのこの標題音楽の方向をさらに推し進めたのがワーグナーである。彼のいわゆる楽劇はオペラとは相当に性格が違うもので、ワーグナー自身は自分の舞台作がべートーヴェンの交響曲の精神から発展したものだと考えていた。それまでは単なる音の戯れに過ぎなかった交響曲に、ベートーヴェンの第九で理念が与えられ、最終楽章で言葉=歌が入り、そこにさらに舞台が加わることで生まれたのが自分の総合芸術だと彼は信じていたのである。

 こうしたリストやワーグナーの標題音楽とは対照的なのが、3つ目の方向である。その代表者がウイーンの音楽批評家エドウアルト・ハンスリックで「音楽美について」に於ける音楽の内容とは鳴り響きつつ運動する形式であるという彼の言葉はあまりにも有名である。音楽は音だけで出来た絶対的な小宇宙であるべきであり、文学的なものはそこから徹底的に排除されなければならないというわけだ。「ベートーヴェンの第5交響曲は運命に打ち勝つ英雄を表現している」といった形式VS内容の2分法をハンスリックは徹底的に否定する。言語芸術のような、あるいは絵画のような意味するものと意味されるものという二重構造は、音楽には存在しない。この音楽は何を表現しているのか?という問い自体が無意味であって、音楽とは音楽以外の何物でもありえず、つまり絶対的であり、音楽の内容とは音楽の構造である。言語に可能な表現領域を徹底的に切り離すことでこそ、音楽は絶対的になる。これがハンスリックの考え方だった。
 ハンスリックは一般的に、ワーグナーと敵対した、頭の固い保守的な批評家というイメージが強い。ワーグナーの「ニュルンベルクの名歌手」の敵役ベックメッサーのモデルは彼だといわれる。だが彼の考え方は、マラルメの純粋詩やカンディンスキーの抽象絵画、さらには20世紀に於けるロシア・フォルマリズムの文学理論にまで通じていくような、極めて先鋭的なものだったことを忘れてはならないだろう。また、この第3のフォルマリズム的な方向の代表的な作曲家といえばブラームスである。ブラームスは標題のついた作品をほとんど残さず、リストやベルリオーズやワーグナーとは対照的に、決して音楽でもって音楽以外のものを表現しようとはしなかった。もちろんブラームスに於いても、ことさらに「感情表現」を目指さずとも、自ずと滲み出る濃厚な情緒というのは当然あるわけだが、それでも彼の創作を貫くのは、音楽は音楽であり、それ以上でもそれ以下でもあってはならないという、つつましい職人気質である。
 ここで、哲学者と音楽との関係については、総じて18世紀までの哲学者はルソーのように自ら作曲家でもあった人もいるにはいるが、音楽を特別、重要視してはいなかった。カントは音楽のことを単なる快楽としか考えていなかったし、ロッシーニの大ファンだったヘーゲルに於いても事情は大同小異である。ところが、ショーペンハウアーとキルケゴール以後の哲学者たちは、諸芸術の中で音楽に最も高い地位を与えるようになる。その典型が言うまでもなくニーチェである。若い頃、自ら作曲を試みることもあった彼は、よく知られているように、ワーグナーの親友にして崇拝者であり、ワーグナーから離反して後はビゼーを褒め称えた。ニーチェは生涯、音楽と深い関わりを持ち続け、その処女作「音楽の精神からの悲劇の誕生」をもじって言えば、音楽の精神から哲学を作り上げた人だった。ニーチェ後のアドルノやブロッホの思想に於いても音楽が極めて大きな役割を演じていることは言うまでもない。アドルノはもともとベルクのもとで作曲を学んでいたし、ブロッホも非常にピアノが達者で、指揮者のオットー・クレンペラーらと交友があった。音楽が哲学/宗教の領域にまで高められ、哲学者が音楽を世界観モデルにし始めるのもドイツ・ロマン派以後の現象である。

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