結婚とはなにか?

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(1)曖昧な概念


 そもそも、結婚とはなんなのだろうか?辞書を紐解くと「男女が夫婦になること」という定義が出てくる。そこで「夫婦」を調べると「結婚している男女一組」と出てくる。教科書のようなトートロジー。結婚や夫婦は辞書を引かなくてもわかる常識だと言いたいのだろうが、それは結婚や夫婦の定義が、個人や社会の認識によって大きく変化しうることを意味している。


 思うに、結婚に於いて最低限必要なのは、二人の個人がお互いに「結婚」しているという認識を持っていることだけだ。だから、個々がどう「結婚」を認識しているかによって「結婚のかたち」が変わってくるのは当然で、各カップルの「結婚のかたち」について他人がとやかく言う筋合いはないということになるだろう。


 だが、実際には他人に対しても「結婚はこうあるべき」、「夫婦はこうあるべき」と、規範を押し付けることがよく見られるし、そして当人たちもその社会規範を内面化してしまうことがままある。


 具体例を挙げよう。「セックスレス」という言葉が人口に膾炙して、夫婦はセックスしているべきという社会規範がますます強くなっている。若い夫婦はもちろん、年配の夫婦についても再度肉体的に接触するための指南が新聞紙面にすら現れた。セックスレスとは、カップル間のセックスが少ない、もしくはないことを指す。とは言っても、セックスなしで満足というカップルもいるだろう。多忙で時間がないなどでセックスがなくても、双方の感情としては十分に愛し合っているということもあるだろう。ところが、セックスレスを問題視する近頃の議論は、セックス頻度とカップルの関係の良し悪しを無批判に連結する。社会は夫婦やカップルのイメージを勝手に当事者に押し付ける。


 そうしていると、当事者カップルは「セックスレス=カップルの関係が悪い=不幸」と社会のイメージをそのまま内面化して、そこから抜け出そうとしばしば物理的にセックスを追求することになる。周囲の話を聞いていると、実際、カップルの関係はいいのに、ただセックスがないばかりにセックスレスのレッテルを貼られてしまうことを恐れている「セックスレス恐怖症」が蔓延しているように思われる。しかし、そこで営まれるセックスは、恋愛のためでもなければ、子供をつくるためでもない。対外的な見栄のためのセックスに他ならない。


 セックスレス問題報道は当事者の幸福をよそに結婚や恋愛の対外的側面を誇大化し続けている。いったい、メディアはなんのためにこんな愚かなことをしているのか、合理的な説明を未だ聞いたことがない。セックスレス解決の目的が少子化対策なら、結婚とはまったく無関係に計画的妊娠を奨励すればいいのだし、もしカップル関係の改善が目的のつもりなら、それは順序が逆だろう。セックスレスを過度に問題化することは「セックスレス恐怖症」によってむしろカップルの関係を傷つけかねない。セックスなしで幸せなカップルもいるのだ。


 「結婚」はこうあるべきだ、「夫婦」はこうあるべきだ、というのは、多くの場合、さしたる根拠もない社会規範である。だが、なぜだか私達はそんな規範に捕らわれて生きている。


(2)結婚の3要素は恋愛・共同生活・子供


 人々を縛る社会規範としての結婚とはなんなのか。結婚は一つのステータスである。そこではカップルの、それなりに長期の、拘束性のある関わりが期待されている。では、現代日本に於いてその関わり、つまり結婚の前提条件にはどのようなものがあるのだろうか。ここでは最大公約数的に3要素を取り出してみた。恋愛・共同生活・子供である。


 「恋愛要素」は、お互いに好意を持っているという多くの場合「妄想」のことを指し、ここではセックスの生殖外機能「気持ちいい」なども含む。逆に言えば、たとえ毎晩のようにセックスをしていたとしても、その営為があくまで子作りのためで、お互いの好意を前提としていなければそれは子供要素のためで恋愛要素は存在しないと見做すわけである。


 ただ、恋愛していなければ結婚でないということはない。確かに結婚生活に恋愛がないのは不幸かも知れないが、共同生活する相手として居心地が良いとか家族として好きであるということは十分有り得る。それは結婚に於いて「共同生活要素」がどれだけ重要であるかという証拠である。


 もっとも、共同生活要素と思っているものの幾ばくかは、実は「子供要素」かもしれない。子供要素とは、子を持ち、育て、関わることを言う。例えば、毎日の食卓に素晴らしい食事が並んでいても、子供が修学旅行に出かけるや否やそれが崩壊するならば、その家庭の食事はカップルのためにではなく、子供のために用意されていたのである。「子はかすがい」といった具合に、子供要素でつながり合っているカップルもいるし、いておかしくないのである。


 1998年の調査では50代の48.8%、60代では実に58.2%の女性が、子供を持ってはじめて夫婦と認められると考えていた。ところが、最新の調査では20代以下では、この考え方に反対する人が82.3%と8割を超えている。今では子供がいなければ結婚の意味がないと考える若者はより少なくなっているだろう。それでも、現在でも子供ができたら結婚という流れの多いことが示すように、子供要素は結婚にとってなお重要であるようだ。


 ここまで独断と偏見で3要素を提示した。すでに明らかな通り、これら全てが備わっていなければ結婚ではない、という訳ではないが、満足に維持されている世間のあらゆる結婚は、どうもこれらのうち少なくとも1つの要素を持ち、これらの組み合わせによって成立しているように思われるのである。その意味で、恋愛・共同生活・子供の3要素は結婚の意味を探るための手がかりとして、有用だろう。


 とはいえ、この3要素が必ず幸福に共存できるとは限らない。例えば、子供要素を追求することが他の要素を傷つけることもあるだろう。最近では、妊娠を目指して排卵日にセックスを求める女性を前にした「排卵日ED」も話題になっている。同じことは男性だけでなく、女性にもあるだろうが、これなどは子供要素の追求のために他の要素が犠牲になっている例である。それぞれのカップルに於いて、それぞれ幸せな要素の組み合わせがあるはずなのだ。


(3)共同生活要素の上昇した「結婚のかたち」
 さしあたり3つの要素を取り出しては見たが、いろいろな異論があろうと思う。例えば一昔前なら「子供要素」は「生殖要素」と表現されていたかもしれない。ところが、人工授精や精子バンクや代理母といった近年の生殖技術の発達によって、カップル間の生殖なしでもこどもを得ることはことが出来るようになったし、その傾向は今後も拡大していくと予想される。子供を持てなかったカップルを中心に特別養子縁組への要請も高まっているし、結婚せずに子供を持とうとする「非婚出産」も話題になっている。つまり、生殖が外部調達可能になり、相対的に養育の重要性が高まっているのである。それはもはや「生殖要素」では表現できない。そこではパートナー選択に於いても、どんな子種を持っているだけでなく、どれだけより良い家庭環境に貢献してくれるかが注目されることになる。


 子供要素に於ける生殖から養育へという焦点の変化は、独身脱出前や直後に生じるイベントよりも、独身脱出後の結婚生活に於いて育んでゆくプロセスの方が、結婚に於いてますます核心的になっていることを象徴している。この移行によって共同生活要素は3要素のなかで相対的に、より重要なものになっている。20代・30代女性に於けるセックスレスの理由第1位は「彼が家族のようになってしまい、性欲を感じない」からだという。それでも、彼女たちはパートナーと別れていない。このことは、恋愛要素がなくても家族として、共同生活の相手として、パートナーに十分に価値があることを意味している。


 もっとも、これは巨視的な推移にすぎない。現実には個々のカップルがそれぞれに3要素を組み合わせ、「結婚のかたち」を構想する。結婚に於いて恋愛を重視するのか、生殖を重視するのか、どれだけ共同生活や子育てにコミット出来るのか。各カップルは3要素のバランスを前提とした努力をすることになる。自分たちにとっての「結婚のかたち」がなんなのかが両者一致しないまま双方が努力を重ねても、それは多くすれ違いに終わるだろう。社会変化に基づく傾向はあったとしても、「結婚のかたち」はどこまでも個々のカップルのものである。


(4)国家承認としての法律婚


 それにも関わらず、私達はしばしば「結婚のかたち」はみな同じかたちをとっていると考えやすい。それは日本に於ける結婚のほとんどが法律婚という形を伴っていることに依る。


 統計を見てみると、「結婚は個人の自由であるから、結婚してもしなくてもどちらでも良い」という考え方に好意的な人は1990年代後半からおよそ7割前後で推移しているのに、未婚者の9割弱がいまだにいつかは結婚したいと望んでいる。みんなが結婚しようがしまいが結構だけど自分は結婚したいよ、という訳だ。ここで想定されているのが、婚姻届の提出によって戸籍の異動を行い、法的な関係を成立させる法律婚である。


 法律婚は「結婚」の国家承認である。国家が「あなたたちは結婚していますよ」と二人の「結婚」を保証してくれるのである。しかし、このとき国家は、各カップルのそれぞれの結婚のかたちを把握してはくれない。あくまで画一的に国家が標準だと考える結婚が適用される。そこでは現状、同性の「結婚」や夫婦別姓の「結婚」や三人以上の「結婚」は排除される。国家の考える結婚の規格に合わないからである。それでは国家の考える結婚とはなにか。憲法にも記載がある。


 第24条
 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。


 冒頭の「両性の合意のみに基づく」という文言が同性婚との関係で問題になるのだが、それはあとで触れるとして、婚姻が両性の平等のもと相互の協力によって維持されなくてはならないと憲法上要請されている。「夫婦」が不平等な権利関係としての「結婚」に合意していたとしても役所は受け取ってくれるだろうが国家が想定する法律婚にはそぐわない。


 ちなみに、国家は親子関係についても規定する。例えば、代理母(お腹を貸す)というのは世間一般には当然のように受け取られているが、現行の判例では代理母を利用すると実親子関係が生じないことになっている。つまり、卵子を提供した母親ではなく、分娩した代理母の方が法的な母親とされるのである。だから、代理母を頼ろうとする人は、代理母を利用したことを隠して国家に出生届を提出するという抜け道を利用しなければならなくなる。


 また、近年のDNA鑑定の普及によって、子供の遺伝上の父親が法律上の父親と異なるケースがしばしば明らかにされる。こういったケースでも、妊娠前後に法律上の父親と母親に同居など婚姻の実態があれば、法律上の父親が子の出生を知ってから一年以内に嫡出否認の申立てをしていない限り、遺伝上の父親と子の間に親子関係が認定されることはない。血が繋がっていてこその親子と考える人も少なくないだろうが、それは現在の日本という国家が追求している実親子関係ではない。


 こうして良くも悪くも法律婚や家族のかたちは、国家と無関係ではあり得ない。そしてまた、杓子定規な法律婚を前提にしている限り、現実の結婚の多様性を理解することは出来ない。法によって定められた「法律婚」と社会に実在する「結婚」との違いを理解した上で、各カップルの「結婚」の実相がどのようなものであるかを、例えば三要素を通して見ていかなければならない。





















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