好き嫌いは別にして、19世紀音楽史に最も巨大な足跡を残した作曲家といえば、ワーグナーの名前を挙げないわけにはいくまい。ワーグナーが残したのは、初期のものは別にして、10あまりの舞台作品のみ。しかしそれらはいずれも、上演に5時間以上を要する途方も無い大作ばかりだ。
通常ワーグナー作品は、オペラと区別して「楽劇」と呼ばれる。簡単にいえば、交響曲の構成原理とグランド・オペラの壮麗なスペクタクルを綜合し、そこにさらにゲルマン神話やドイツ・ロマン派哲学の思弁を詰め込んで、「綜合芸術作品」という名の魔術的儀礼へと変容させたものが、このワーグナー楽劇である。
今「儀礼」という言葉を使ったが、ワーグナーの一体何がそんなに凄いのか、その本当のところは、儀礼というものがすべてそうであるように、ライブで体験しない限り絶対に分からないだろうと思う。闇にきらめく剣、雲上にそびえる城、英雄の角笛、神々の誓い、重い甲冑、巨人の足音、魔法がかかった飲み物、愛の目覚め、死の運命などを象徴する音型(いわゆるライトモチーフ)が、次から次へ出てくる。だが待てど暮せど、これらが溢れ出す音楽へと統合される瞬間は、一向にやってこない。哲学談義のような重々しい難渋な会話ばかり延々と続く。ドイツの劇場でワーグナーを上演する場合、夕方の4時くらいから始めることも珍しくないが、休憩時間も入るから、舞台が終わるのはたいがい10時半か11時前頃。そして終演間近の10時すぎくらいになってようやく、ワーグナーは重い腰を上げる。聴き手の頭が朦朧としてきて、席を立つ気力もなくなってきた頃を見計らって、怒涛の音の洪水が押し寄せてくるのである。それは宗教儀礼に於けるイニシエーションのように、聴き手の意識下に強烈な作用を及ぼさずにはおかない。
一般にワーグナー的陶酔といえば、果てしなく続くヱロティックなうねりを連想する向きが多いかもしれない。しかしここで注意をうながしたいのはむしろ、ワーグナーの音楽が聴き手を駆り立てるところの、異様なヒロイズムである。「タンホイザー」序曲や「ニュルンベルクの名歌手」前奏曲のように、ワーグナーはまるで世界の支配者になったかのような陶酔感を聴き手の心の中に沸き起こらせるのだ。そしてワーグナーが英雄的なこれらの楽想に於いて必ず用いるのが、行進曲のリズムである。19世紀が行進曲の時代であり、ワーグナーこそロマン派最大のマーチ作曲家だったのかもしれない。「タンホイザー」の歌合戦しかり、「ラインの黄金」のフィナーレでワルハラ城に神々が入場する場面しかり、「ワルキューレ」の「ヴォータンの別れ」しかり(一見これはマーチには聞こえないかもしれないが)、「神々の黄昏」の「夜明けとジークフリートのラインへの旅」や「葬送行進曲」しかり、「トリスタン」の第1幕フィナーレしかり。ワーグナー楽劇のいたるところで、「イチニ、イチニ!」という軍靴の音が鳴り響いている。
とはいえワーグナーは、ただ単に勇壮な行進曲の大盤振る舞いをするわけではない。凡庸な作曲家との決定的な違いは、軍歌の熱狂に厳粛で神秘的なカリスマのオーラを施す、ワーグナーのしたたかさにある。具体的にいえばワーグナーは、マーチのリズムを「宗教的な瞑想のオーラ」ならびに「世界を睥睨する身振り」とでも形容すべきポーズと結合するのである。これはワーグナーが舞台作品のクライマックスで必ず使うパターンなのだが、このカリスマ演出術が最初期の「リエンツィ」序曲にすでに典型的な形で見出される。
「リエンツィ」は1842年にドレスデンで初演されて大成功したオペラであり、後のワーグナーはあまりにもフランスのグランド・オペラの影響が強すぎるとして、バイロイト祝祭劇場で上演すべき自分自身の「正規の」楽劇の中にはこれを加えなかった。しかしアドルフ・ヒトラーが熱愛したことでも知られるその序曲(ナチスの党大会はいつもこれで幕をあけた)は、危ういまでに「男のヒロイズム」を昂揚させる、途轍もなく勇壮な作品である。
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