ヴィルヘルミ編曲の「G線上のアリア」の秘密

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<作曲者自身も知らない曲名> 

交響曲だけがクラシックではない。「G線上のアリア」は、ヴァイオリン曲であり、オリジナルはオーケストラで演奏する曲で、「管弦楽組曲第3番」の第2曲にあたる。これをヴァイオリンのG線だけで弾けるように編曲された際にこの名となった。森村誠一の小説「捜査線上のアリア」はこの曲から思いついた題だろう。山口百恵には「視線上のアリア」という曲がある。

 まずG線だが、ヴァイオリンには4本の弦がある。G線、D線、A線、E線と呼ばれていて、G線が最も低い。アリアはイタリア語で要するに「歌」という意味なのだが、この曲にはオリジナルにも人の声による歌はない。バッハの時代、歌唱的でメロディアスな曲は、歌であろうがなかろうが「アリア」と呼んでいた訳だ。

 編曲したのは、ヴィルヘルミという19世紀から20世紀初頭にかけての名ヴァイオリニスト。1871年に編曲された(バッハによるオリジナルは、1729年から31年頃に作曲された)。

 これがバッハのオリジナルをしのいで有名になったのは、20世紀初頭、蓄音機の発明によってである。当時のレコードはSP盤と呼ばれるもので、5分前後しか録音出来なかった。しかもオーケストラのように複雑で重層的な「音」は、なかなか再現できない。そこで、ピアノ曲とかヴァイオリン曲とか歌曲が、盛んに録音された。そうした条件に、「G線上のアリア」はぴったりだった。

 しかし、LPの時代となり、ステレオ録音も可能になれば、オーケストラで演奏した方がいいに決まっている。さらに、時代の風潮としてオリジナル性が重視され、他人が編曲したものは邪道になった。

 したがって、現在演奏されるのは、オリジナルの管弦楽組曲としてがほとんどなのだが、それまでもが「G線上のアリア」と呼ばれている。本末転倒の典型だ。バッハが知ったら、「そんな名前の曲は知らない」とびっくりするだろう。


<バッハが音楽の父である理由>

 では、オリジナルであるバッハの管弦楽組曲は名曲ではないのか。

 バッハは「音楽の父」と称されるぐらい、音楽史に燦然と輝く存在である。少なくとも、バッハは「音楽家の父」である点に於いて、空前絶後かもしれない。バッハは20人もの子供を作り(妻は2人。先妻が亡くなり、その後に再婚した)、そのうちの4人は音楽事典にも載るくらいの音楽家になった。そこで息子たちと区別するために「大バッハ」と呼ばれることもあるし、最近はフルネームで「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ」あるいは「J・S・バッハ」と書くのが一般的だ。

 このように、バッハは生物的にも立派な「父」な訳だが、もちろん、産んだのは子供だけではなく、膨大な数の作品を残した。分かっているだけで1000曲以上。その全てを演奏して収録したバッハ全集はCDで150枚以上になる。作曲技法に於いても、様々なものがバッハによって集大成され、確立されていった。

 これらを理論書を書くことで行なったのではなく、実作として行なったすごいのだ。同じように、これをロックでしたのがビートルズとなる。

 バッハとは、ドイツ語では「小川」の意味なのだが、多くの小川が流れ込んだ大河だ。イタリアの器楽曲、北ドイツ地方を起源とするオルガン音楽、プロテスタントの教会音楽、フランスの宮廷音楽など、様々な音楽の支流が、バッハによって集大成された。技法の点では「対位法」という作曲手法を究めた。

 対位法とはどんなものなのか。ピアノは右手と左手とでは異なるメロディを弾くが、ひとつの曲として聴こえる。オーケストラの場合は、何種類もの楽器がそれぞれ別のメロディを演奏しているが、これもバラバラという印象はない。合唱でも同じだ。このように、ひとつひとつを取り出すと異なったメロディが、ひとつの曲として聴こえるように作曲する技法が、対位法だ。作曲をする人は必ず学ばなければならない。作曲には感性も大事だが、その一方で、極めて数学的な要素もあり、計算を間違えると、曲として成り立たなくなる。


<専属作曲家からフリーへ>

 バッハが生まれたのは、1685年。したがって、活躍するのは18世紀に入ってからで、1750年に亡くなった。西洋音楽の歴史は1600年前後に始まるとされているので、ちょうど1世紀たった頃がバッハの時代で、バロック音楽全盛期にあたる。

 バッハは子供も音楽家になったが、親も音楽家だった。親戚のほとんどが音楽家という一族だった。才能があるから音楽家になるのではなく、そういう身分の一族だった。

 この時代の音楽家は、芸術家として経済的に自立していない。ほとんどが教会か宮廷に雇われ、雇い主の注文に応じて作曲し、演奏していた。

 バッハも教会に雇われ、礼拝ではオルガニストとして演奏するのが仕事だった。他に副収入もあり、バッハは名士名家の冠婚葬祭のためによく作曲していた。だから偉い人の葬式の多い年ほどバッハの収入は多かったという。

 こんにちの考え方では、こういう芸術家は評価されない。「生活のため、お金のために作曲しただけではないか」「こんなのは真の芸術ではない」「魂を売った」となる。しかし、時代が違うのだ。むしろ、そういう社会構造・経済構造の中で作曲したにも関わらず、どの曲にもバッハの個性というものが明確に感じられることに驚かなければならない。

 さらに言えば、バッハ自身、教会に雇われ、あれこれと命令されることが嫌になり、晩年は経済的に自立した音楽家となった。作品を出版することで収入を得たのだ。つまり、フリーの作曲家になった。さらにはそれまでの自作を集大成していく作業も始め、この点に於いて近代的芸術家の先駆的存在となる。

 バッハ作品の多くを占める教会音楽、あるいは宗教音楽を、キリスト教徒ではない多くの日本人は、敬遠してしまいがちだ。クリスマスにプレゼントを交換し、ケーキを食べ、「ジングルベル」や「きよしこの夜」などのポピュラー・クリスマス・ソングは歌っても、賛美歌を歌う人は少ない。日本人にとって、教会音楽は少なくともその歌詞は何が何だか分からないものだ。

 だから、とりあえずは、「G線上のアリア」を聴いて、「ああ、これなら、どこかで聴いた事がある。これがバッハなのか」と確認するだけにしておこう。このようなバッハとの出会い方は、バッハ信者からは怒られるが、それを気にしていては次に進めない。

 それでも、オリジナルの「管弦楽組曲第3番」の全曲は通しで聴きたい。典雅というか荘厳というか、ベートーヴェンとは明らかに異なる響きを感じるだろう。ベートーヴェンの音楽はあくまで社会の中に存在し、そこでの人間の格闘を感じさせるが、バッハの音楽は天上から聞こえてくる。

 なお、バッハ演奏でも最近は当時の楽器を使ったものが主流となりつつある。それでも、モダン楽器によるカラヤンの演奏は絢爛たる響きを堪能出来る。

 



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