「エリーゼのために」のエリーゼって誰?

 ピアノを習い始めた子供たちがよく弾いている「エリーゼのために」は、イ短調、AーBーAーCーAのロンド形式で書かれています。この曲はベートーヴェンの死後、テレーゼ・フォン・ドロスティックという女性の蔵書の中から、自筆の楽譜が発見され、初めて世に出ました。これにより、1810年にウィーンで作曲されたことが判明しました。「4月27日、エリーゼの思い出のために、ベートーヴェン作」と彼自身が楽譜に註記していたので、「エリーゼのために」の名で親しまれてきました。

 しかし、ベートーヴェンの周辺の女性の中にはエリーゼの名は全く見当たらず、エリーゼとは一体誰なのか? と長らく謎にされていました。ベートーヴェンが使用していたスケッチ帳に書かれている楽譜を見たルートヴィヒ・メールが、テレーゼをエリーゼと読み違えたため、こうなったのだと推測されています。というのは、20世紀になってベートーヴェンの筆跡研究家として知られているマックス・ウィンガー教授が、原稿に書かれたベートーヴェンのあの乱雑な文字を鑑定したところ「テレーゼとも読める」発表し、エリーゼはどうも間違いであるということになりました。

 テレーゼは、ベートーヴェンが結婚を望んだ弟子のテレーゼ・マルファッティ嬢のことで、当時17歳でした。大地主の娘、イタリア系の血すじを引いた、のびのびとした性格で、ウィーン社交界でも評判の美人でした。この少女に熱烈な恋文をたくさん送ったものの、ベートーヴェンは既に40歳、23も年齢が開いていることからゴールインにこぎつけることはできませんでした(この恋文は現存しています)。しかし、テレーゼへの愛しみがこの愛らしい小曲を書かせ、テレーゼにこの曲を書き贈ったのです。通俗的ではありますが、甘くなだらかなメロディを聞いていると、いかにも可愛くて美しい乙女の姿が浮かんできます。

 粗野で激しい気性、とっつきにくさで知られたベートーヴェンの心情の、優しい側面を見せた曲です。あの格調高く荘厳な数々の交響曲を書いた巨大な哲人が、こんな可愛らしい小品を書いたのかと思うと、何か微笑ましく感じるのです。

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