ポスト・ワーグナー時代のフランス音楽の再生

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 これまでの時代にも増して、ポスト・ワーグナー時代には無数の「音楽史のハイライト」がある。その1つはドイツに於けるワーグナー遺産のさらなる展開、つまりマーラーとリヒャルト・シュトラウスの創作だろう。ロシアのスクリャービン、ポーランドのシマノフスキ、スペインのアルベニスやファリャなど、国民学派に於けるモダニズムの勃興も魅力的だ。音楽史を今まさに去ろうとしていた人々のことも、忘れてはならない。マーラーやシュトラウスやドビュッシーやプッチーニが既に活動を始めていた1890年代、ヴェルディ(最後のオペラ「ファルスタッフ」が1893年)やブルックナー(「交響曲第9番」を未完成のまま1896年に没)やブラームス(「クラリネット5重奏」が1891年)やチャイコフスキー(「交響曲第6番」悲愴が1893年)やドヴォルジャーク(「交響曲第9番新世界」が同じく1893年)など、多くの老大家がその最後の傑作群を書いていた。しかしながら、前の時代からの連続的な発展ではなく、この時代になって初めて音楽史に登場してくる最も鮮烈な潮流といえば、何よりもフランス近代音楽を挙げなければなるまい。

 19世紀フランス(なかんずくパリ)は、従来グランド・オペラとサロン音楽の街であった。またーー音楽が消耗品のように考えられがちだったことと関係があるのかどうか定かではないがーーバロック期を過ぎてから19世紀半ばあたりまでのフランスには、自国で無視され続けていたベルリオーズをわずかな例外として、自前の大作曲家というものがいないも同然だった。マイヤベーア(ユダヤ系ドイツ人)やロッシーニやベルリーニやリストやショパン、活動の時期は少し後になるがオッフェンバッハ(ユダヤ系ドイツ人)など、当時パリで活躍した作曲家のほとんど全てが外国人なのである。外国から野心的な音楽家が一旗あげようとやってくる街、ネームヴァリューがある外国の作曲家を金にあかして引っ張ってくる街(ロッシーニやベルリーニの場合がこれである)、それがパリであった。

 こんなフランスの音楽界が大きく変わるきっかけとなったのが、1870年のプロイセンとの戦争(普仏戦争)に於ける敗北である。これが転機となって1871年に国民音楽協会が設立される。フランクやサン=サーンスやショーソンやフォーレも参加したこの協会は、「フランスにもドイツに負けない正当的な器楽文化を創ろう」という目的で作られた。近代フランスの交響曲や協奏曲や室内楽の名作のほぼ全ては、この国民音楽協会の設立以後の産物である。

 しかしながらフランクらの次の世代、つまりドビュッシーやラヴェルの頃になると、再び揺り戻しがやってくる。国民音楽協会がフランスへ導入しようとしたところの、ソナタ形式やフーガや交響曲や弦楽4重奏曲といったドイツ風の堅牢な形式/ジャンルを拒否しフランス音楽独自のアイデンティティーを確立しようとする動き、フランス的な「軽さ」へ戻ろうとする動きが生まれてくるのである。もちろん「ドイツ的音楽への反動」とはいっても、印象派を生み出した土壌の1つが、フランクやショーソンを通してフランスへ持ち込まれたワグネリズムだったことを忘れてはなるまい(特に半音階法や楽器法など)。またドビュッシー(「牧神の午後への前奏曲」や「海」)やラヴェルの管弦楽曲の名作(「スペイン狂詩曲」や「ダフニスとクロエ」)は、これまたフランクらがドイツから持ち込んだ交響詩のジャンルから発展したものと考えていいだろう。あまり知られていないが、フランクやサン・サーンスらの交響詩は名作ぞろいであって(クリュイタンスやミュンシュの録音を是非聴いてほしい)、それらがドビュッシーやラヴェルに与えた影響は想像以上である。

 もし国民音楽協会世代との間に決定的な違いがあるとすれば、それはドビュッシーやラヴェルが持つ独特のダンディズムの感覚だろう(フォーレに既にこの要素の先取りがあるにしても)。意識的に軽薄さや通俗性を気取る、きわめて洗練された一種のスノビズムといってもいいかもしれない。この点でドビュッシーとラヴェルのとりわけピアノ曲は、ショパンやリストからフォーレを経由して伝えられたサロン音楽の伝統の延長上にあるといえる。ラヴェルの「水の戯れ」はリストの「エステ荘の噴水」を、「夜のガスパール」の「スカルボ」はバラキレフの「イスラメイ」をモデルにしていることはよく知られているし、ショパンの弟子にピアノを習っていたドビュッシーの鍵盤作品は、ショパン的書法なしには成立し得なかっただろう。またドビュッシーやラヴェルの初期作品には、極度に洗練されているとはいえ、タイトルの付け方も含めて「乙女の祈り」風のジャンルと紙一重のところがあるのも見落とせない。ドビュッシーの「アラベスク」や「月の光」(「ベルガマスク組曲」)、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」(「シャブリエに似すぎている」ーーつまり「少し通俗的すぎる」ーーという理由で、ラヴェル自身はあまりこの作品を好まなかった)などがそれである。

 「場末の音楽」とでもいうべきものに対するドビュッシーらの深い愛情も、忘れてはならない。いくら通俗的なところがあるといっても、サロン音楽は基本的に上流社会の音楽であったのに対して、19世紀も後半になると、休日などに人々が出かけるありとあらゆる場所ーーレストランや遊園地やカジノや保養地、あるいはトゥールーズ=ロートレックの絵でなじみのキャバレーなどーーで、もっと大衆的な種類のBGMが流れるようになりはじめる。そこで演奏されたのはワルツやギャロップや行進曲、人気オペラのアリアの編曲、蚤の市でアコーディオン弾きが奏でるような民謡調の曲などだ。これらはカフェ・コンセールとかミュージック・ホールの音楽と呼ばれる。こうした音楽への関心から生まれてきたのが、ドビュッシーの「ゴリーウォーグのケークォーク」(子供の領分)のような作品である。キャバレー・ピアニストだったサティに於いては、この傾向はさらに顕著だ。「ジュ・トゥ・ヴ(あんたが欲しい)」などは、キャバレー・ソングそのものだといっていい。多分に貴族趣味なところがあったラヴェルは、ドビュッシーほどこの種の音楽に興味は示さなかったが、第1次大戦後の作品とはいえ、「ヴァイオリン・ソナタ」や2つの「ピアノ協奏曲」に於けるジャズの要素には、同じ傾向を認めることができる。

 フランス(パリ)音楽が面白いのは、ドビュッシーのように精密な管弦楽法や和声法を自在に操ることができ、あれだけ構造的な音楽思考ができた人(茫漠とした音響とは正反対に、ドビュッシーの作品は構造の点で非常に頭脳的に作られている)が、場末の音楽に興味を示したりする点だ。この傾向は後のミヨーやプーランクにも認めることが出来る。意図的にサロン音楽のスノブな感傷を気取ったり、場末のキャバレー音楽に関心を示すなどといったことは、ドイツ系の作曲家ではまず考えられない。それどころか、19世紀のドイツ系音楽にとっては、通俗的ないし娯楽的な要素を徹底的に排除することこそが、アイデンティティーの拠り所だったようなところすらある。

 ドイツ語圏でも、ヨハン・シュトラウスのワルツだけは芸術音楽系の作曲家(ブラームスなど)にも広く愛されていたが、総じて彼らは芸術音楽と娯楽音楽の間に厳格な線を引く傾向があった。クルト・ワイルのようにキャバレー音楽に対して興味を示す作曲家がドイツにも現れるのは1920年代になってからのことだ(なおキャバレー音楽に初めて影響を受けたドイツ系の作曲家は、意外なことだが、シェーンベルクかもしれないーー若い頃ベルリンのキャバレーで仕事をしていて、いくつかのキャバレー・ソングも残したシェーンベルクだが、「月に憑かれたピエロ」にはその影響が示されている)。いずれにせよ、ドイツ音楽の立場からすれば「フランス的軽薄」とか「表面性」と批判されるような方向を意識的に目指し、それらをダンディズムの美学とでもいうべきものへと昇華したのが、ドビュッシーやラヴェルであった。

 なお、これらサロン音楽やミュージック・ホールの音楽と並ぶ印象派の霊感の源が、クープランやラモーのロココ鍵盤音楽である。ドビュッシーの「映像」第1集の「ラモー賛」やラヴェルの「クープランの墓」についてはいうまでもなく、ドビュッシーの「ピアノのために」やラヴェルの「ハイドンの名によるメヌエット」や「ソラチネ」(特に第2楽章のメヌエット)にも、そこはかとないフランス・ロココへのノスタルジーが感じ取られる。19世紀音楽史はひたすら、「より複雑なもの、より大きなもの、より新しいもの」を目指して突き進んできた。音楽史に於いても19世紀は、進歩史観の時代だった。それに対する揺り戻し、つまり18世紀以前の音楽の単純さへ回帰しようとする擬古典主義の動きが全ヨーロッパ的な潮流になるのは、1920年代になってからのことである。だが印象派の作品に於いては、音楽史が進歩史観に取り憑かれる19世紀よりも前の時代へ戻ろうとする傾向が、既に先取りされていた。ベートーヴェン以前の時代へのノスタルジーといってもいい。サロン音楽であれ、場末の酒場の音楽であれ、フランス・ロココ(それは当時のサロン音楽だったわけだが)であれ、印象派が愛したのは「音で哲学や宗教を語ったりしない音楽」であり、「快適で洗練された音の装飾以上でもない音楽」であった。

 
 


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