グスターフ・ホルストの惑星

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 グスターフ・ホルストは、1874年に英国グロスターシャー州チェルトナムで生まれた。父方の祖先はスウェーデン人で、曾祖父の代にロシア人の妻と共にラトビアのリガから駆け落ちして、ドイツを経由してイギリスに渡った。

 グスターフの父アドルフはピアノ教師で、母もピアニストだった。当然のようにグスターフは幼少期からピアノを習い、両親はグスターフをコンサート・ピアニストにしようと考えていた。しかし母はグスターフが8歳の年、第2子出産直後に亡くなり、父は神智学者(神秘的・直感的霊知によって神を体験・認識する)の女性と再婚した。

 ホルストは視力が弱く、また喘息が持病で病弱な子だった。ピアノの練習の無理がたたったのか、17歳で右手が神経炎に冒され、ピアニストへの道は断念した。それでも音楽の道を歩み続け、1893年に王立音楽院に入学し、パリーやスタンフォードに師事した。

 ホルストは音楽院に入る前にロンドンでワーグナーの「神々の黄昏」を観て、衝撃を受け、たちまちワーグナーに心酔した。ホルストの音楽の原点のひとつがワーグナーなのだ。他に19世紀後半のイギリス最大の人気作曲家であるアーサー・サリヴァンのオペラもよく見ていた。1892年にホルストが書いたオペレッタはその影響を受けていたという。

 音楽院に入ると、ホルストはトロンボーンを学び、オーケストラの一員として生計を立てた時期もあった。トロンボーンを選んだのは、病弱だったのでこの楽器を吹いていれば気管が強くなるのではと考えたからでもあった。

 ホルストとヴォーン=ウィリアムズとが音楽院で出会うのは1895年秋のことだった。以後、ホルストが亡くなるまで二人の友情は続く。

 ヴォーン=ウィリアムズは裕福だったので働く必要はなかったが、ホルストは生活のために働かなければならなかった。

 ホルストがオーケストラでトロンボーンを吹いていたのも生活のためだった。それ以外に、音楽青年が就ける仕事となると、教会音楽家か学校の音楽教師だ。ホルストはその2つとも経験した。小さな村の教会のオルガニストになり、聖歌隊の指導もした。1905年からはロンドン近郊にあるセント・ポール女学校の音楽教師となり、さらに、いくつかの大学や学校で教えた。教師の仕事は生涯にわたり続き、ホルストが作曲できるのは、昼休みや放課後、そして日曜日と夏季休暇だけだった。20世紀の音楽史に残る作曲家でありながら、ホルストは専業音楽家ではなく、兼業音楽家だった。ホルストの書く音楽は大衆音楽ではなかったので儲からず、生活のためには教職を続けなければならなかったのだ。

 そんなホルストは、1905年頃からインド哲学に興味を持つ。1910年頃まで東洋思想に関心を寄せ、インドの叙事詩を歌詞としたオペラや合唱曲を作った。

 やがてホルストの関心は、インド哲学から瞑想的なもの全般へと広がり、神秘学、天文学、そして占星術へと向かった。それらを背景にして、ホルストの唯一にして最大のヒット曲が生まれる。「惑星」である。

 組曲「惑星」は1914年に着手され、17年に完成した。この組曲を構成するのは、太陽系の7つの惑星を標題にする「火星」「金星」「水星」「木星」「土星」「天王星」「海王星」の7曲だ。

 「太陽系の惑星」ならば地球も含まれるはずだが、ホルストが「惑星」を着想したのは、天文学ではなく占星術からで、占星術は星の運行をもとに占うものだから、足元の地球は関係ないのだ。冥王星もないが、この星が発見されるのは1930年だからだ。実はホルストは冥王星の発見を知ると曲にしようと試みたらしいが、体調を崩し、完成しなかった。だが、2006年に冥王星は「惑星ではない」と定義されるので、書き加える必要はなかったとも言える。

 日本を含む東洋では、惑星の名を五行説の「木火土金水」からつけたが、西洋ではギリシャ・ローマ神話の神の名を付けている。

 ホルストの「惑星」を構成する7曲の正確な標題は、以下のようになる。

 第1曲「マルス、戦争をもたらす者(火星)」

 第2曲「ヴィーナス、平和をもたらす者(金星)」

 第3曲「マーキュリー、翼のある使者(水星)」

 第4曲「ジュピター、快楽をもたらす者(木星)」

 第5曲「サターン、老いをもたらす者(土星)」

 第6曲「ウラノス、魔術師(天王星)」

 第7曲「ネプチューン、神秘主義者(海王星)」

 マルスはローマ神話での呼び名で、ギリシャ神話での軍神アレースと同じとされる。ギリシャ神話とローマ神話との関係は複雑なので、同じ神でも、性格が異なるケースが多い。まずギリシャでのアレースは怖い神だ。戦闘の狂乱を神格化したものとされる。荒ぶる神なのである。一方、ローマ神話でのマルスは、勇敢な戦士だ。

 日本人にとって火星が「火の星」であるように、ホルストを含む西洋人にとってはあの惑星は「マルス」、すなわち「戦争の神」なのだ。

 夜空を見上げて、そこにある惑星を「火の星」「木の星」「金の星」などと認識しているのと、「戦争の神」「快楽の神」「平和の神」と認識するのとでは、だいぶ違うはずだ。ホルストの気分を理解するため、東洋風の「火星」「水星」ではなく、「マルス」「ヴィーナス」と記していく。

 1920年に「惑星」が全曲初演された際に、ホルストはインタビューで次のように答えている。

 これらの曲は諸惑星の占星術的な定義が着想のきっかけになっていますが、標題音楽ではありません。そして、同じ名前の神話の神とも何の関係もないのです。もしも曲に対する何らかの手引きが必要なら、それぞれの曲の標題が、広義に解釈されさえすれば、それで充分でしょう。たとえばジュピターは普通の意味での喜びをもたらしますが、それと同時に宗教的な、あるいは民族的な祝祭と結びつく、さらに儀式的なたぐいの喜びも表現します。サターンは肉体的衰退だけではなく成就したというヴィジョンをもたらし、マーキュリーは心の象徴なのです。

 自分で標題を付けておいて、「この曲は標題音楽ではない」と言い出すのは、よくあるパターンだ。ホルストとしても、作曲の出発点はマルスを音楽にしよう、ヴィーナスを音楽にしようと考えたのであろうが、出来上がった作品が「マルスを音楽で描写したもの」と思われるのは嫌ったようだ。

 「惑星」の7曲は最初はオーケストラではなく、ピアノ・デュオのために書かれ(ただし、「海王星」だけはオルガン曲)、全曲が完成した後にオーケストレーションされ、1917年に完成した。しかし依頼されて作ったものではないので、完成したからとすぐに演奏されたわけではない。

 初演は、公開の演奏会ではないが、1918年9月29日に、バルフォア・ガーディナーという作曲家がプライベートに開催した演奏会だった。私的演奏会なので招待客しか聴いていない。だが、個人の家で上演したのではなく、ロンドンのクイーンズ・ホールとニュー・クイーンズ・ホール管弦楽団を借り、エードリアン・ボールトの指揮で演奏した、本格的な演奏会だ。ボールトに指揮を依頼したのはホルストだった。

 資金を出したバルフォア・ガーディナーは、指揮者ジョン・エリオット・ガーディナーの大叔父にあたる音楽家だ。作曲家だが、それほど作品数はない。農場を経営しており、裕福だった。ホルスト自身は裕福とは言えなかったが、裕福な友人には恵まれたのである。

 また、バロックや古典派のオリジナル楽器演奏の専門家とみられていたジョン・エリオット・ガーディナーが、「惑星」をレコーディングしたのはこういう背景がある。

 「惑星」全曲を通しての公の演奏会での初演は、1920年11月15日、アルバート・コーツが指揮するロンドン交響楽団の演奏会だった。

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