モーツァルトが序曲をなかなか書かなかった理由

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 「ドン・ジョヴァンニ」の序曲は一晩で書かれたという伝説を持つ。

 6分ほどの曲なので、モーツァルトにとっては一晩もあれば十分なのかもしれない。しかも、オペラ本篇の音楽の引用・抜粋でもあるので、ゼロから作る訳ではない。だが、オーケストラで演奏するために、楽器ごとに書かなければならないので、簡単な仕事ではない。

 モーツァルトの作曲については、書き始めるとすさまじい速さで、なおかつ、書き損じがまったくないという伝説がある。考え悩みながら五線譜に音符を書いていくのではなく、脳裡に完成している音楽を書き写しているだけなので、そんなことが可能だというのだ。

 「ドン・ジョヴァンニ」序曲については、3種類作ったという伝説もあるし、作曲された時の様子についてもいくつかの物語が知られている。

 妻コンスタンツェが伝える物語は、初演前夜になってようやくモーツァルトは序曲に取り掛かったというものだ。モーツァルトは「強い酒が欲しい」と言った。そして眠くならないようにするため、コンスタンツェに何か面白い話をしろとせがみ、コンスタンツェはアラビアンナイトのように、次々と面白い話をした。こうやって眠らずに書き上げたという。

 あるいは、モーツァルトが友人たちと酒場に繰り出して宴会をしていて、突然、序曲をまだ書いていないことを思い出し、友人たちが騒いでいる間に一気に書き上げたという伝説もある。

 どちらにも共通するのは、静かな場所で書いたのではないということだ。

 それにしてもなぜこんな土壇場まで、モーツァルトは序曲を書かなかったのか。

 事前に書いて何度もリハーサルをすると、この「怖い音楽」が最初に奏でられることが知られてしまうからではないだろうか。

 モーツァルトはぶっつけ本番での演奏ミスというリスクを承知で、あえて、この「怖い音楽」を劇場関係者にも演奏者にも、知らせたくなかったのではないか。それは反発を恐れてかもしれないし、びっくりさせてやろうという思いかもしれない。

 プラハでの「ドン・ジョヴァンニ」初演は喝采で迎えられた。一説では、この時、客席にはその猟色ぶりが有名だったイタリアの作家ジャコモ・カサノヴァもいたという。カサノヴァは「ドン・ジョヴァンニ」の台本作家であるダ・ポンテと親しかったのだ。

 10月29日の初日が成功すると、その週のうちにモーツァルトの指揮で4回上演された。いずれも観客は熱狂したようだ。プラハの音楽関係者からは「当地に留まり、もっとオペラを書いてくれ」と依頼された。

 モーツァルトは自分を愛してくれるこの都市が好きだった。しかし、モーツァルトはここに住むつもりはなかった。プラハは美しい魅力的な都市だったが、世界の中心ではなかった。モーツァルトにとってはウィーンでの成功こそが大事なのだ。妻の出産も控えていたので、モーツァルトはウィーンへ戻った。

 「ドン・ジョヴァンニ」のウィーンでの初演は半年後の1788年5月だった。これが遅いのか早いのかの判断は難しい。当時のモーツァルトはウィーンでは有名な音楽家だったが、人々がその新作を待ち構えていた状況にはなかった。

 それでもモーツァルトの新作がプラハで大評判だったことは、ウィーンの人々も知っていたはずなので、もっと早く上演されてもいい。となると、何らかの力が働いていたと考えていい。当時のウィーンでは「ドン・ジョヴァンニ」を差し置いて、何が上演されていたのか。アントニオ・サリエリの「オルムスの王、アクスール」だった。

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