モーツァルトの父との対立

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 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは1756年1月27日、神聖ローマ帝国の域内にあるザルツブルクで生まれた。この都市は大司教領ーつまり、ローマ教会直轄地だった。ザルツブルク大司教はこの地の宗教上の最高権威であるだけでなく、領主でもあったのだ。モーツァルトはこのザルツブルクの宮廷楽団のヴァイオリン奏者の子として生まれた。やがて父は出世して楽団の副楽長になる。

 こういう父に育てられたので、モーツァルトは幼くして音楽の才能を発揮し、クラヴィーアやヴァイオリンを弾き、作曲までするようになった。

 当時の子は幼稚園になど行かない。モーツァルトにとって家庭が音楽学校であり、父が音楽教師であり、そして興行主でもあり、マネージャーでもあった。父は唯一絶対の存在だった。モーツァルトの全てを支配した。

 父レオポルトはモーツァルト少年を「神童」として売り込んでヨーロッパ各地を周り、興行した。しかし「子供」とは呼べない年齢になると父子の神童ビジネスは破綻し、モーツァルトはザルツブルクの宮廷楽団の一員として働くしか道がなかった。親のコネで楽団に入ったのではない。当時の音楽家は身分が低く、音楽家の子しか音楽家にならない。モーツァルトには他に進路はなかった。モーツァルトはは自分の意思とは関係なく、強制的に宮廷楽団で働かされていた。そして命じられるままに作曲し、演奏した。

 それでも、才能が枯渇しなかったのは真の天才だったからだ。

 やがて自我に目覚めたモーツァルトは父と対立する。もともとレオポルトは厳格で強権的だったようで、モーツァルトは恐れるとともに、反抗心も抱いていたのだ。

 父から自由になるには、ザルツブルクの宮廷楽団を辞めたい。しかし、ザルツブルク大司教の使用人に過ぎないモーツァルトには宮廷楽団を退団する権利すらなかった。当時は現在とは異なり、自分から退職する権利がないのだ。だが一つだけ宮廷楽団を辞める方法があった。解雇されればいいのだ。

 1781年4月、モーツァルトは大司教の命令でウィーンへ行った。大司教主催の演奏会で演奏するためだ。しかし演奏会が終わり、ザルツブルクへ帰れという命令が出たのに、ウィーンに滞在し続けた。大司教がモーツァルトを呼び付け、いい加減に帰れと言うと、モーツァルトは反抗的な態度をとった。

 大司教は「お前のような奴は見たことがない」と罵った。モーツァルトはさらに反抗的な態度を取り、大司教に「出て行け」と言わせることに成功した。

 かくしてーモーツァルトは晴れて自由の身になったのだ。父は激怒した。これも作戦通りだ。父とも絶縁状態になり、自立した。

 しかし、父レオポルトとの文通はその後も続いている。モーツァルトは仕事がうまくいくたびに得意げに報告するのだ。その意味では、父の支配から本当には脱してはいなかった。父にどうにか認めてもらいたいとの思いを抱き続けていた。

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