ショパンのワルツ(全19曲)

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 気軽に踊れる大衆的な踊りとして流行したワルツは、「会議は踊る」として有名になった1814年〜1815年のウィーン会議を機に、19世紀には「ウィンナ・ワルツ」として隆盛を極めた。ピアノ曲として最初の本格的なワルツとされるウェーバーの「舞踏への勧誘」が出版されたのは、1819年である。そして、ショパンの最初のワルツは1827年、17歳の時に書かれたが、その後、1829年〜1831年にショパンはウィーンを2度訪れ、滞在もした。つまり全盛期のウィンナ・ワルツに接したわけだが、当時の手紙に「ウィーンの人々の趣味がいかに堕落しているかを示しています」と書いているように、ウィンナ・ワルツには批判的な目を向けていたようだ。


 一方、パリのサロンの人気ピアニストだったショパンが、作品18と作品34に「華麗なる大円舞曲」という標題をつけたことは、サロン受けを狙ったことを匂わせるし、実際、サロン風の洗練された味わいを持つ曲が多い。しかしショパンのワルツは、踊るための曲ではなく、独自の手法で様式化された、演奏のための芸術作品である。


 形式、和声、リズム等は、ショパンの他のピアノ曲に比べるとオーソドックスである。形式は、ほとんどが3部形式またはその変形であり、和声進行も単純なものが多く、ワルツの3拍子の基本的なリズムや伴奏音型は、ほぼ忠実に踏襲されている。ワルツが舞曲として広く流行していたために、演奏用の芸術作品としての様式化には、ある意味で限界があったと考えられる。しかし、こうした枠をはみ出したユニークな手法や、テンポ・ルバートを要求する即興性を伴う展開などにより、ショパンのワルツは芸術作品として高い価値を持つのである。


 ショパンは、1827年から1847年の間に19曲のワルツを残した。生前に出版されたのは8曲であり、他のものはショパンの死後、友人のフォンタナらの編集によって世に出た。そして、出版年代順に並べた便宜的な番号が付いているが、広く知られているのは、作品番号付きの13曲にホ短調の遺作を加えた14曲(第1番〜第14番)であり、シンプルな様式の中に、実にバラエティーに富む作風を示している。


 ショパンらしい美しく流麗な旋律があふれているのは勿論だが、ほかにショパン独特の魅力ににつながる特色を拾ってみると、ポーランドの舞曲であるマズルカ風のリズムを用いた第7番(作品64の2)、左手と右手との間に拍子の複合が見られる第5番(作品42)、「猫のワルツ」の愛称のごとく、猫が鍵盤上を飛び跳ねるような音型を持つ第4番(作品34の3)、転調の美しさが注目される第8番(作品64の3)、不協和音が連続する激しいコーダを伴う第14番(遺作=ブラウン作品番号56)などが挙げられる。また、第6番(作品64の1)は、ショパンの最愛のパートナージョルジュ・サンドの愛犬が、部屋の中を走り回る様子を表しているというエピソードにより、「子犬のワルツ」の愛称で親しまれ、さらに、特に短いことから「1分間のワルツ」と呼ばれることもある。


 一方、テンポについては、快活で適度な速さのものがほとんどであり、その中で第1番(作品18)「華麗なる大円舞曲」は標題のとおり華やかで、実際の踊りとしてのワルツのイメージに最も近い。対照的に、第3番(作品34の2)と第9番(作品69の1)は、ワルツとしては例外的に遅いテンポ(レント)で書かれ、暗く内省的、あるいは自己告白的な性格を持つ。なお第9番については、ショパンが恋人との別れに際して贈ったと伝えられ、「別れのワルツ」の愛称が付いている。


















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