ピアノの発展に於けるショパンとベートーヴェンの違い

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 ベートーヴェンは1770年に生まれ、ショパンは1810年生まれである。両者の生年は40年の開きがあるが、この開きは音楽の歴史に於いて何を意味したのであろうか。音楽の歴史の中で、この40年間ほど急激な変化を見せた時期はない。それは音楽と社会の関係の変動だけではなく、この時期にピアノが大きく発展したこともあげられ、そしてその最も重要な立役者がベートーヴェンとショパンであった。


 <ベートーヴェンにとってのピアノ>

 フランス革命からウィーン会議までのこの大変動は音楽にも強く反映する。それを象徴するのがピアノである。ベートーヴェンはボン時代ではほとんどピアノに触れる機会はなく、もっぱらチェンバロとオルガンに親しんでいた。ウィーンに移り住んで以降、ベートーヴェンはピアノと向かい合うが、それはピアノの性能と表現力への挑戦であった。ベートーヴェンの生涯は、ピアノの技術革新の時代そのものであったと言っても過言ではない。

 ベートーヴェンがウィーンに移り住んだ最初の時期は、モーツァルトが用いたのと同じヴァルターのピアノを用いていたが、ベートーヴェンは早い時期からこのピアノに対して、「ハープの音のようだ」と不満を述べており、さらに音域の面でも大いに不満を募らせていた。その不満は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの表現にはっきりと見ることが出来る。当時のピアノはファからファまでの5オクターヴの音域しかないのに対して、ベートーヴェンはこの音域を超える音を想定した表現を行っている。

 ベートーヴェンは、1803年に5オクターヴ半の音域を持つ、それまでのウィーンの伝統的な打弦方式のピアノ(撥ね上げ式の打弦機構によるピアノ)とは異なるピアノの寄贈をを受ける。この楽器は今日のピアノと同じく、下から打弦するイギリス式のピアノであった。資料は残されていないが、ベートーヴェンはおそらくフランスの新しいピアノの情報を得ていて、このピアノを求めていたのだろうと考えられており、エラールは陸路、ウィーンまでこの新型ピアノを届けるのである。

 そして生み出されたのが「ヴァルトシュタイン」と「熱情」である。この傑作では、これまでのウィーンのピアノでは実現することの出来なかった音域を用いているだけではなく、迫力のあるこのピアノの性能を表現に生かしている。

 しかし、ベートーヴェンはすぐにこのエラールのピアノに満足することができなくなる。特に音質の面で大いに不満を漏らしており、女性のピアノ製作者のナネッテ・シュトライヒャーに何度も手を加えさせている。そして、この2曲のソナタの作曲の後、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの創作が中断する。

 やがてシュトライヒャーがウィーン式の新型ピアノを完成させると、ふたたびベートーヴェンのピアノ作品の創作が始まり、ピアノ・ソナタ第26番「告別」を作曲する。さらにベートーヴェンはこのピアノを用いてピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」の第1楽章から第3楽章を作曲する。この作品の作曲の途中にイギリスのブロードウッド社からピアノの寄贈を受け、このピアノの性能を活かして第4楽章を作曲している。 


<ピアノの発展と同じ歩調>

 ベートーヴェンにとってピアノは、自身の創作の深まりと展開と密接に結びついていた。ベートーヴェンの創作によってピアノが技術革新し、そのピアノに霊感を得てベートーヴェンは新たな創作の世界を広げていった。その意味ではピアノの発展とベートーヴェンの創作の深化は同じ歩調で進んでいったと言える。

 そのために、それぞれの時期によってベートーヴェンがピアノに求めた表現が異なっている。初期はヴァルター、中期はエラールとシュトライヒャー、後期はシュトライヒャーとブロードウッドという区分けが可能であるが、これらはそれぞれ全く異なる特質を持ったピアノで、ベートーヴェンの表現意図を忠実に知るには、それぞれの時期のピアノに対する深い理解が求められるであろう。


<ショパンにとってのピアノ>

 ショパンにとってのピアノはベートーヴェンとは全く異なっていた。ショパンが創作活動を始めた1820年代末になると、ベートーヴェンが経験したきわめて激しいピアノの技術革新は一段落していた。特にベートーヴェンが強くこだわった音域の問題は20年代を過ぎると、それほど大きな課題ではなくなっていった。

 ワルシャワ時代のショパンは撥ね上げ式のウィーンのピアノを用いていたと思われる。このピアノは軽やかなタッチを特徴とし、シューベルトやシューマンもこの方式のピアノを用いていた。

 ショパンはパリに移り住んで以降、最も愛用したのはプレイエルのピアノである。創業者のイグナツ・プライエルはオーストリア出身のハイドンに師事した作曲家で、その後パリでピアノ製造に乗り出し、それ以来フランス語風にプレイエルと呼ばれた。プレイエルが理想としたのはシュタインやシュトライヒャーなどのウィーンのピアノの音色とタッチであった。ショパンがウィーンのピアノを理想としつつ、パリで主流となっていたイギリス式の打弦機構を取り入れて製作したのが、プレイエルのピアノである。


<プレイエルを選んだ理由>

 パリに移り住んだショパンがプレイエルを選んだのには理由があった。それはこのピアノは、イギリス式の打弦機構を用いつつ、エラール社の「ダブル・エスケープメント」の重いタッチのピアノではなく、かつてモーツァルトが愛したシュタインのピアノに由来する「シングル・エスケープメント」を採用していたからである。

 ショパンの語った、「気分の良いときはプレイエル、良くないときはエラール」という有名な言葉は、シングル・エスケープメントのピアノはハンマーの戻りが遅く、その感触を確かめながら演奏しなければ演奏しなければならない、という演奏上の困難さを述べている。しかし「香水のような香り」を生み出す豊かな倍音の響きと残響は、ショパンの創造力を大いに鼓舞したのである。 

 ショパンに於いてはピアノの技術革新は主たる関心の対象ではなかった。むしろショパンは、プレイエルのピアノの生み出す音によって創造力を育み、この音の魅力を作品の中に反映させていったと言える。



















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