バレエのために書かれなかったバレエ音楽

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 バレエの起源は古代エジプトの宗教的祭儀舞踊にまで遡ることが出来る。いわゆるクラシック・バレエは、14〜15世紀イタリアの無言劇やパントマイムをもとに発達、それがフランスへ移植されて、特にルイ世が統治下の宮廷で盛んになった。国王自らが踊り手となって舞台に登場、イタリアから帰化した作曲家&ヴァイオリニスト&舞踏歌であるリュリを重用して、王立舞踊学校まで設立する。リュリの作品の多くが「オペラ・バレ」と銘打たれていることにも、バレエの隆盛ぶりが見てとれる。トゥシューズやバレエの基本である「脚の5つのポジション」が創案されたのもフランスであった。


 フランス革命のために、一時期バレエの中心は再びイタリアへ移り、優れた踊り手も多数登場したが、19世紀以降バレエの黄金期を迎えたのはロシアである。ロシアでは18世紀からペテルブルグに帝室舞踊学校が設立され、フランスやイタリアなど当時のバレエ先進国から一流の振付師や踊り手、教師を招いた。特にフランス人マリウス・プティパの功績は大きい。「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「くるみ割り人形」というチャイコフスキーの3大バレエは、全てプティパが振り付けたものである。


 リュリもチャイコフスキーも最初からバレエのために作曲した。また19世紀後半フランスで大人気だったグランド・オペラという形式は、5幕のオペラで第2幕目に必ずバレエを入れるという約束事があって、バレリーナのパトロンたちはバレエだけがお目当てで、2幕からやって来た。また、パリでオペラの成功を目論む作曲家たちはそのルールに従ってバレエを書いた。


 本来バレエ音楽として作曲されていない作品を、積極的にバレエに仕立てることを始めたのは、おそらくセルゲイ・ディアギレフである。このロシア貴族は1909年にパリで「バレエ・リュス」を旗揚げ、ストラヴィンスキーの3大バレエ「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」、ラヴェル「ダフニスとクロエ」などはセルゲイ・ディアギレフなくしては生まれなかったろう。ピカソやマティスも舞台でコラボレートさせた稀代の辣腕プロデューサーは、ウェーバーのピアノ曲「舞踏への勧誘」をバレエ「ばらの精」に仕上げ、ドビュッシーがマラルメの詩に基づいて書いた「牧神の午後への前奏曲」はニジンスキーの振付によるスキャンダラスな舞台で物議をかもした。


 ロマンティック・バレエの傑作で、紛らわしい2作がある。1つは、シュナイッツホッファーが最初からバレエとして作曲、フィリッポ・タリオーニが振り付けた「ラ・シルフィード」。もう1つは、バレエとは無関係なショパンの前奏曲第7番やワルツ第11番など数曲をダグラスが管弦楽編曲、ミハイル・フォーキンが振り付けた「レ・シルフィード」である。「シルフィード」とは「大気の精」を意味し前者は単数形、後者は複数形。後者には「ショパニアーナ」の別名もある。


 悲恋小説「マノン・レスコー」を原作に、マスネはオペラ「マノン」を書いた。マクミランが振り付けたバレエ「マノン」は、音楽こそマスネだが、このオペラの曲は用いていないというところが面白い。


 バッハやヴィヴァルディらバロック時代の作曲家たちの作品がコンテンポラリー・バレエで多用されているのも興味深い。様式美へのこだわりや、感情ではなく感性への訴えかけといったバロック音楽の特徴が、コンテンポラリーバレエにはよく似合うのだろうか。

 
















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