【第1章 純真とは何か】
純真であることは、自分の感じたことを直接に言葉にしたり、感情をありのままに受け止めることである。しかしこれは、何も考えずに感情を振りまいたり、他人の権利を無視したりする「わがまま」とは性質を異にする。
加藤諦三教授は「純真とは、本実の自分を思い出して生きることである」と言う。それは、無理を言って他人を効かすことではなく、「さみしかった」というような深い感情を、誰かに伝えることである。
1-2 純真さの心理学的背景
人は生まれつき、素のままで生きる力を持っている。しかし、成長の過程で、社会の期待や観念、親からの標準に合わせようとするなかで、真実の自分を見失うことがある。
加藤教授はこの現象を「自分の感情を抑え、社会的に正しい行動だけをとる」ことで、満たされない人間関係を生み出す原因としている。
1-3 加藤諦三が定義する「純真」
「純真になると、自分を思わずに言いたいことが言えるようになる」と加藤教授は言う。
そのためには、自分の不安や怖さを直視し、それを認める勉強が必要だ。
純真さとは、別の言葉で言えば「不安を吸収する力」。それは、外部に触発された感情を、拒否も否定もせずに、そっと抱きしめることに等しい。
【第2章 なぜ純真な人は愛されるのか】
純真な人は、自分の中に悪しい思いや疑惑をたくわえず、感情を直接的に渡す。これにより、他人も謎に思いをめぐらせることなく、心の離れを感じない。
2-2 安定感を与える
純真な人の表情や言葉は、裏表のない信頼を与える。このため、他人はその人との関係において不安を感じず、自然な心で話すことができる。これが、愛しいと思われる原因の一つである。
2-3 自分を許す
純真な人は、自分をさげすむことも、何かになろうと無理に努めることもしない。ただ、自分の存在をありのままに認める。その姿に、他人も「その人でよい」と思いやすくなる。
【第3章 純真になれない理由】
子供時代に、感情を自然に表現することを禁止されたり、課題を与えられて期待に対応することを要求される環境にあると、自分を自然に表現する力が減退していく。
3-2 怖れと防衛本能
感情をありのままに出すことは、抵抗や拒絶を思わせる。これらの経験が重なると、人は自分を守るために感情を障害し、純真さを失う。
3-3 「いい子」症候群と自己欺慦
社会や親からの期待に対応して、いい子を演じ続けた結果、本当の感情を自分自身も分からなくなることがある。これは自己欺慦とも言え、純真さと自然な感情の表現を壊す。
【第4章 純真さを育てた実例とエピソード】
Aさんは仕事で失敗したとき、最初は誰かを遺息のように批判したい気持ちに駆られた。しかし、自分の悲しみと失望の思いを正直に見つめることにした。
「本当は、ただただ負けた自分が悲しかっただけだったんです」と。
この話し方は直接的で、その純真さが他人を心から愛させた。
4-2 プライドを捨てて謝った男性
Bさんは、一度は自分の間違いを認めることができず、他人との関係を壊していた。しかしある日、気持ちを変えて、「ごめんなさい、傷つける気はなかったんです」と言えた。
自分を守るプライドを捨て、話すことで、他人の心も開いた。
4-3 失敗を簡単に認めた青年
C君は、大事なプロジェクトで大きなミスをした。
普段の他なら路索を決めるところ、このときは「すべて僕の責任です」とさらりと言った。
その純真な態度が他人の心を撃ち、かえって信頼を強めた。
【第5章 純真さと成熟した愛情】
成熟した愛情とは、「愛されたい」「認められたい」という自分自身の感情を越えて、相手を大切に思う感情のことである。純真な人間性は、このような愛を表現する。
5-2 「誤解される怖さ」を乗り越える
純真な感情を表現するとき、人は誤解されるのを怖れる。しかし成熟した愛情を持っている人は、その怖さを吸収しつつ、直接に言葉を伝えようとする。それが、信頼と同情を生む基盤となる。
5-3 「自分であること」を認める力
成熟した愛情に必要なのは、自分であることを恐れずに認める力である。自分を気取り、他人の期待に合わせようとするのではなく、自然な存在で直接的に立ち向かうことで、真に深い結びつきが生まれる。
【第6章 現代社会と純真さ】
SNSは、自分をより良く見せようとするプレッシャーを強く与える。純真さを持ち続けるためには、そのようなプレッシャーに抵抗し、自分の真実を大切にする必要がある。
6-2 職場と家庭での純真さ
職場や家庭という小さな人間関係の中では、自分を守るための仮面を使いがちになる。
そのような場所でも純真さを失わず、小さなことから真実を伝えようとする態度が、他人との信頼を強める。
6-3 純真な勇気が世界を変える
純真であることは、時には困難なように感じられる。
しかし、その勇気が、小さくても世界に真実な約束を演ずる。
一人の純真な態度が、やがて周囲を変えていく力になるのである。
【第7章 純真に生きるためのヒント】
純真に生きるということは、大そうなことをしようとすることではない。
例えば、「嬉しかった」「悲しかった」という簡単な気持ちを、言葉にしてみる。
それだけでも、本当の自分を生きる練習になる。
7-2 「怖れ」を受け入れる
自分を表現するとき、一緒に怖さが漏れだすことがある。
それを拒絶せず、「怖かったら怖かったまま」で良い」と自分を受け入れる。
これが純真さを維つことに繋がる。
7-3 自己受容のプロセス
本当の純真さは、自分を受け入れることから生まれる。
「このままの自分でよい」と思えることが、無理な対応や偏りをなくし、自然な存在として他人と向き合うことを可能にする。
【第8章 終わりにかえて】
無理に良く見せようとも、自分を守ろうともせず、ただ、そこに自分がいることを認め、受け入れる。
加藤諦三教授が言うように、純真さは自分を救う。
人間関係の中で不安を感じる時、思うようにならない時、そのたびに「本当の自分」に縁を戻す。
純真に生きることは、決して幸せを得るための技術ではない。
それは、ただ「自分を信じ、しゃくしゃくと生きる」ための道なのだ。
そして純真な人間は、自分を超え、結局、他人をも暖かく匂わせる。
純真さを忘れず、一歩ずつ前へ。
これが加藤諦三が社会に言い続けた、非常に精神性の高いメッセージである。
0コメント