柴門ふみ氏の恋愛論 〜女と男、その心のすれ違いと交差点〜

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第一章:恋愛は、傷つくことの美学である

 恋愛とは何か。それは、相手に惹かれ、心を許し、自分という存在を相手に委ねることだ。だがその一方で、恋愛とは「必ずしも報われないもの」でもある。漫画『東京ラブストーリー』の中で、リカがカンチに向かって微笑むとき、あの笑顔には「期待と諦め」が同居している。リカのような女性は、明るく、ポジティブで、恋愛に対して一直線なようでいて、実は内面で深く傷つき、何度も「自分とは何者か」を問い直している。


 私自身、若い頃には「恋愛は感情の爆発だ」と思っていた。だが年齢を重ねるごとに、それが「感情のコントロール」であることを理解するようになった。恋愛において本当に美しいのは、むしろ「自分の心の痛みを引き受ける覚悟」である。リカが恋に破れたとき、彼女は泣き叫ぶのではなく、微笑んで「さようなら」と言う。そこにあるのは、傷ついた自分を肯定し、なおも他者を思いやる強さだ。


第二章:恋愛と結婚は別物ですか?
 私が漫画家としてデビューした1980年代、日本は恋愛至上主義の真っ只中にあった。恋愛こそ人生の目的であり、恋をしていない人間は「未熟者」とされていた。だが、恋愛がそのまま結婚に直結するかといえば、それは別の話である。


 あるとき、親友のひとりが私にこう言った。「恋人としては最高だけど、夫としては無理」と。私にはその言葉がとても腑に落ちた。恋愛とは、相手の「刹那の輝き」に惹かれることだが、結婚とは「日常の安定」を共有する作業である。だからこそ、恋愛に夢中になっているときほど「この人と結婚してもいいのか?」と自問する必要がある。


 『P.S. 元気です、俊平』では、愛と結婚、家族というテーマを交錯させた。ヒロインが選んだのは、「情熱の相手」ではなく「信頼できる人」だった。これは決して妥協ではない。むしろ、人生の中で何を重視するかを明確にした選択なのである。


第三章:男と女は、永遠にすれ違う
 恋愛漫画を何十年も描いてきて、私が確信したことがある。それは、「男と女は、根本的に違う生き物である」という事実だ。これは単なる性差によるものではなく、恋愛における価値観や表現方法の違いに起因する。


 男は、「成果」を重視する生き物だ。恋愛においても、自分がどれだけ相手を幸せにしたか、どんなイベントを用意したかといった「外向的な表現」に満足する。一方、女は「過程」を大切にする。言葉や気遣い、ふとしたまなざし、沈黙の時間。これらが愛を測る指標となる。


 このすれ違いが、ドラマを生む。『あすなろ白書』では、主人公たちが何度も誤解し、傷つき、離れては戻る。だがその全ては、「相手の愛し方を理解しようとする努力」のプロセスだった。


第四章:なぜ彼はあなたを選ばなかったのか?
 恋愛において最も辛いのは、「なぜ私は選ばれなかったのか?」という問いである。これは多くの女性が一度は経験することであり、私自身も幾度となく味わった感情だ。


 しかしこの問いの答えは、決して「自分に価値がなかった」からではない。むしろ、相手の心の準備、状況、人生のタイミングが合わなかっただけなのだ。恋愛とは「相性」であると同時に、「タイミング」でもある。


 読者からの手紙に、「彼にふられてから、どうしても立ち直れない」というものがあった。私は彼女に、「あなたが愛した時間は、決して無駄ではない」と返した。人は、恋をすることで「人間として深くなる」。選ばれなかった恋もまた、その人の人生を形作る重要なパーツなのだ。


第五章:恋愛における女の成長
 恋愛において成長するのは、いつだって「女性」である。なぜなら、女性は恋愛を通して「自分を見つめ直す習性」を持っているからだ。


 若い頃の私は、常に「自分を好きになってくれる人」を探していた。だが、年齢を重ねるにつれ、「自分が好きになれる自分でいられるか」が重要だと気づいた。恋愛は、相手の鏡に自分を映し出す作業である。だからこそ、自分を卑下せず、過信せず、ありのままの自分でいられる関係が何よりも尊い。


 『恋する母たち』では、母という立場でありながらも恋に悩む女性たちを描いた。社会的役割や年齢に関係なく、女性は常に「恋を通じて変化し、成長する存在」である。


第六章:失恋の哲学 〜終わった恋は、人生のプロローグ〜
 失恋は、恋愛の「終わり」ではなく、「学びの始まり」である。
 私はこれまで幾度となく、恋に破れる女性たちの姿を描いてきた。彼女たちは涙を流し、時に怒り、時に自分を責める。そしてその全てを経験したあと、ふとした瞬間に「自分らしさ」を取り戻す。その過程が美しいのだ。


 『東京ラブストーリー』のリカは、カンチとの恋に破れて去っていく。あのシーンは、私の中でも特別だ。彼女は未練もあるし、本当はもう少し一緒にいたかったはずだが、それでも自分の心に正直に、「去ること」を選ぶ。これは、依存ではなく「自立」への第一歩である。


 失恋とは、自分が「どれだけ人を愛せたか」を知る機会でもある。誰かを深く愛した記憶は、決して失われることなく、その人の中に積み重なっていく。私はよく、「昔の恋は引き出しにしまっておくの」と話す。引き出しを無理に閉める必要はない。時々、そっと開けてみて、「あのときの私、頑張ってたな」と微笑めれば、それでいい。
 失恋は「敗北」ではなく、「変化」である。人は失うことで新しい自分に出会うのだ。


第七章:恋と性の関係 〜女はなぜ心から先に愛すのか〜
 恋愛において、性(セックス)は避けて通れないテーマだ。だが、私は恋と性を「切り離して考えること」が難しい女性たちの物語を多く描いてきた。
女性は、性を「愛の延長線上」に置きがちだ。心が通い合っていなければ、体を許すことに意味を感じない。逆に男性は、「性によって心が近づく」と感じる傾向がある。この認識の差が、すれ違いや誤解の原因となる。


 『あすなろ白書』のなかで、なるみがセックスを拒むシーンがある。彼女にとって、身体を委ねるという行為は「全面的な信頼」の証であり、「ただ流されてしまうこと」に対して強い抵抗がある。この描写には、私自身の感情が色濃く反映されている。


 性は、単なる生理現象ではなく、「心の深部を表すメッセージ」でもある。だからこそ、女性が性に踏み切れないとき、それは「不安」や「不信感」の裏返しでもある。逆に、体を許したあとで心がついてこなかったとき、女性は深く傷つく。


 恋と性は、決して別々に成立するものではなく、「互いに補完し合う関係性」にある。ただしその「順番」や「温度感」は、男女で違う。その違いを理解し合う努力こそが、真の愛に近づく第一歩なのだ。


第八章:40代以降の恋愛 〜「ときめき」は再燃する〜
 40代以降の恋愛は、若い頃とは全く違う。焦燥も、盲目的な情熱も、あまり感じないかもしれない。しかし、その分だけ「深さ」と「確かさ」が増すのが中年以降の恋愛である。


 『恋する母たち』では、子育てや家庭を経た女性たちが再び恋に出会う姿を描いた。彼女たちの恋は、若い頃のような駆け引きや一喜一憂ではなく、「もう一度、自分を大切にしたい」という願いの現れだ。恋愛は、他者を愛することで「自分を再確認する行為」だと私は思う。


 40代以降の女性は、自分の人生を一度は「他人のため」に使ってきた人が多い。子供、夫、職場。だからこそ、ようやく訪れた「自分の時間」の中で、「私は女である」という感覚がよみがえる。そうした中で訪れる恋は、決して軽いものではない。だからこそ、深く、尊い。


 また、この年代の恋愛には「人生経験の重み」がある。相手の過去も傷も受け入れる覚悟があるからこそ、恋の形が穏やかで、成熟している。
 恋愛に年齢は関係ない。ただし、「若い頃と同じやり方では成り立たない」。自分の人生を肯定しながら、相手の存在を尊重する。そんな恋が、40代以降にはふさわしい。


第九章:女の友情と恋の対立 〜「友情」は恋に勝てるのか?〜
 「恋と友情、どちらを取るか?」。この問いは、幾度となく女性たちの中で語られてきた。私の作品でも、『あすなろ白書』や『同窓会』で、女同士の友情と恋愛の間で揺れる姿を描いている。


 女の友情は、実に繊細だ。そして「恋愛」がそこに割って入ると、とたんに関係がぎくしゃくする。なぜなら、女性同士の友情には「共感」と「対等性」が不可欠であり、恋愛によってそれが崩れるからだ。


 あるエピソードで、親友が同じ男性を好きになったことがある。表面上は「応援するよ」と言いながら、心の奥底では複雑な感情が渦巻く。それは嫉妬であり、寂しさであり、裏切られたような感覚でもある。
しかし、真の友情とは「恋を超えるもの」でもある。自分の気持ちを抑えて、相手の幸せを願えるか。あるいは、正直に嫉妬してしまう自分を受け入れたうえで、友情を再構築できるか。これは、「恋より友情を優先するか否か」ではなく、「自分と向き合えるかどうか」の問題である。


 『東京ラブストーリー』のさとみのように、時に友情を失ってまで恋を選ぶこともある。それを否定はしない。ただ、そこに「誠実さ」があるかどうかが、私にとって重要なのだ。
 友情も恋愛も、人と人との絆である。そして、そのどちらも「自分がどう生きたいか」を問う鏡である。


第十章:恋愛と仕事の両立 〜「私は女である前に、プロでありたい」〜
 1980年代から90年代にかけて、女性の生き方が大きく変わっていった。結婚して家庭に入ることが「当たり前」とされた時代から、自分のキャリアを追求することが「選択肢」として認められるようになった。そしてその変化の中で、最も揺れ動いたのが「恋愛と仕事の両立」というテーマである。


 私は、ずっと働く女性たちを描いてきた。『東京ラブストーリー』のリカは、広告代理店でバリバリ働くキャリアウーマン。彼女にとって仕事は「自己表現の場」であり、「生きがい」でもあった。だが、恋愛ではいつも「自分を抑える」立場に回ってしまう。なぜなら、男たちはまだ「仕事に情熱を注ぐ女」に慣れていなかったからだ。


 私自身も、漫画を描くことに没頭するあまり、恋人との関係がすれ違ってしまったことがある。夜中までネームに向かい、原稿を描き続ける生活。その中でふと、「私が男だったら、今のままでよかったのに」と思ったこともある。女が仕事に夢中になると、「可愛げがない」と言われてしまう不条理。それが現実だった。


 恋愛と仕事の両立には、「理解してくれるパートナー」が必要だ。だがそれ以上に、「自分の中での優先順位」を明確にしておくことが大切だ。恋が大事な時期には、少し仕事をセーブしてもいい。逆に仕事に集中したいときには、無理に恋を求めなくてもいい。そのバランスをとることは簡単ではないが、「どちらも捨てなくていい」という視点を持つことが、現代の女性には必要だと思う。
 恋愛と仕事は、女にとって「両翼」である。そのどちらも傷つきながら、女は少しずつ飛ぶ力を身につけていく。


第十一章:運命の人はいるのか? 〜「たまたま」じゃない、「意味のある出会い」〜
 「この人が運命の人だと、どうしてわかるんですか?」。これは、若い読者からよく聞かれる質問だ。私はいつも、こう答える。「それは、後になってからしかわからないの」と。


 運命の人とは、「出会った瞬間にすべてがわかるような奇跡的存在」ではない。むしろ、何気ない日常のなかで、ゆっくりと関係を築き、気づいたときには「この人しかいない」と思えるようになる、そんな相手のことをいうのだと私は思う。


 私が描いた多くのヒロインたちは、「運命のような恋」に憧れながらも、「現実の選択」に向き合っていく。『P.S. 元気です、俊平』の主人公・かおりは、情熱的な恋と安定した関係の間で揺れる。最終的に彼女が選ぶのは、「運命」ではなく「現実の中で育てた愛」だった。


 だが、私は運命を信じていないわけではない。ある出会いが、人生を大きく変えることはある。たとえば、過去の恋人と偶然再会し、再び恋に落ちたというエピソードは、現実にもたくさん存在する。だがそれは、「奇跡」ではなく、その人が「成長し、もう一度向き合える準備ができていた」からこそ起きたことなのだ。


 運命の人とは、「待つもの」ではなく、「出会ってから育てるもの」。恋愛は、どんなに運命的であっても、日々の積み重ねがなければ消えてしまう。だから私は、少女漫画のような「運命の出会い」よりも、「ふとしたきっかけで始まった恋が、本物になるまでの時間」にこそ、価値があると思っている。


第十二章:理想と現実の狭間で揺れる女心 〜「こんなはずじゃなかった」は、成長の合図〜
 多くの女性が、「理想の恋愛像」を胸に描いて生きている。優しい彼、ロマンティックなデート、理解し合える関係…。だが、現実は往々にしてその「理想」から外れていく。私はこの「ズレ」にこそ、恋愛の本質があると思う。


 あるとき、読者の女性がこんな悩みを寄せてくれた。「彼は優しいけれど、デートのときにサプライズもしてくれないし、いつも無難。理想とはちょっと違うんです」。私は彼女にこう返した。「でも、彼はあなたの話をきちんと聞いてくれるでしょう? それがどれだけ尊いことか、きっとあとでわかるわ」と。


 理想とは、言い換えれば「自分が望む世界」だ。だが、現実の恋愛には「相手のペース」や「生活の背景」も含まれる。理想を持つことは悪くない。でも、それに縛られると、目の前の大切な人を見失ってしまうことがある。


 『同窓会』では、かつての理想を追い求めて結婚した女性が、現実の中で苦しむ姿を描いた。そして彼女は、かつては「対象外」だった同級生との再会をきっかけに、自分の中の「幸せの定義」を見直していく。
理想が裏切られることは、苦しい。でもそれは、自分が「成長した」という証でもある。若い頃には「ときめき」しか求めなかったけれど、今は「安心」や「尊重」が大切だと気づけるようになった自分。それこそが、恋愛を通じて女が得られる最大のギフトだ。


 だから私は、いつもこう思う。「理想は持っていていい。でも、それに縛られないで」。恋愛とは、「現実を愛する力」を育てる旅なのだ。


第十三章:結婚と孤独の関係 〜「ふたり」でいるのに、なぜ寂しいのか〜
 結婚とは、孤独から解放されるためのものではない。むしろ、結婚という共同生活のなかでこそ、もっと深い孤独に出会うことがある。


 若い頃、私も「結婚すれば寂しさから救われる」と思っていた。隣に誰かがいる。毎晩、同じ食卓を囲む。日々の出来事を報告し合う。そんな生活の中に、「あたたかい孤独の終わり」があると信じていた。


 しかし、実際には違った。結婚しても、自分の心を100%理解してくれる人などいない。むしろ、親しい存在であればあるほど、理解されなかったときの落差は大きく、孤独は深くなる。結婚生活とは、たった一人の人間と「違いを抱えながら生きる日々」なのだ。


 漫画『P.S. 元気です、俊平』では、結婚生活の中で孤独を感じる女性を描いた。夫は決して冷たい人ではない。むしろ、真面目で誠実である。だが、彼女の心の震えや寂しさには気づかない。言葉にすれば済む問題ではなく、「感情の温度差」がもたらす静かな断絶。それが、結婚における孤独の正体だ。


 だが私は、その孤独を「悪いもの」とは思わない。人は誰でも、本質的には孤独な存在である。その孤独を否定せずに、「それでも誰かと一緒にいたい」と願う心。それこそが、結婚の意味ではないだろうか。
孤独があるからこそ、人は優しくなれる。結婚とは、ふたりで孤独を分かち合う営みなのだ。


第十四章:恋愛を経て人はどう変わるか 〜「恋した自分」は、誰よりも誇らしい〜
 「恋をして、私は変わった」。これは、数え切れないほどの女性たちから聞いた言葉である。そして、私自身の実感でもある。


 恋をすると、人は他人を思いやることを覚える。自分のことばかり考えていた毎日が、突然、「相手を喜ばせたい」という気持ちに変わる。これは、人間としての大きな成長であり、「愛する力」の目覚めである。


 さらに、恋愛は自分を客観視させる。相手にどう見られているか、どんなふうに振る舞えばいいのか。自分の言葉や行動を省みるようになる。時に不安になったり、自己嫌悪に陥ることもあるが、それもまた「自分と向き合う」貴重な時間だ。


 『あすなろ白書』のなるみは、最初は頼りなく、恋に臆病だった。だが恋を重ねるごとに、自分の気持ちを正直に伝える強さを身につけていく。恋は彼女を「受け身の女」から「主体的な女」へと変えたのだ。


 私が思うに、恋愛とは「鏡」である。自分がどういう人間かを、他者を通して知る旅。そしてその過程で、以前よりも少しだけ優しくなったり、強くなったりする。それが、恋愛がもたらす最大のギフトだ。


 恋が終わったあとも、その人の中には「恋をしていたときの記憶」が残る。あのときのまっすぐな想い、痛み、喜び。すべてが、その人の血肉となって、生き方に影響を与える。


 だから私は、恋がうまくいかなかったとしても、「その恋をした自分」を決して否定してほしくない。恋をしたこと自体が、人を深く、豊かにするのだから。


第十五章:漫画家として恋愛を描く意味 〜「架空の愛」で、読者のリアルに寄り添う〜
 私が恋愛漫画を描き続ける理由。それは、「現実ではうまくいかない気持ち」を物語の中で救い上げたいと思うからだ。


 恋愛は、人生の中で最も感情が揺れる場面である。喜び、期待、不安、裏切り、孤独…。それらが一度に押し寄せる。その混沌を、私は漫画というかたちで描いてきた。登場人物たちは架空の存在だけれど、その感情は、私自身や読者の誰かが実際に味わったものと限りなく近い。


 漫画の力とは、物語を通して「自分の気持ちを言語化してくれること」にあると思う。「ああ、私もこんなふうに感じていたんだ」と読者が自分の心に気づく瞬間。その手助けをするのが、恋愛漫画家の仕事だと私は考えている。


 『東京ラブストーリー』が多くの人の共感を得たのは、リカやカンチの感情が「理想化されていない」からだと思う。不器用で、間違えて、後悔して、それでも愛そうとする姿。その「リアルさ」が、読者の心に刺さった。


 漫画はフィクションだけれど、そこに込める感情は真実である。だから私は、恋に悩んでいるすべての人に向けて、「ひとりじゃないよ」「あなたの想いは、ちゃんと誰かの心に届くよ」と伝えたい。たとえ声に出せない想いでも、漫画の中でなら伝えられることがある。

 そして私自身もまた、登場人物たちを描きながら、自分の恋愛を振り返り、癒され、少しずつ変わってきた。

 恋愛漫画を描くことは、「誰かの恋の背中を、そっと押すこと」だと信じている。私はこれからも、そんな物語を描き続けたい。

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婚活

婚活の一覧。「決める」という暗示の強さ - はじめに 「決める」という行動は、人間の心理や行動に大きな影響を与える要因の一つです。恋愛心理学においても、この「決める」というプロセスが関与する場面は多岐にわたります。本稿では、「決める」という暗示が恋愛心理に及ぼす影響を詳細に考察し、具体的な事例を交えながらその重要性を検証します。1. 「決める」という行動と暗示の心理的基盤1.1. 暗示効果の基本理論 暗示効果とは、言葉や行動が人の思考や行動に無意識的に影響を及ぼす現象を指します。「決める」という行為は、自己効力感を高める一方で、選択を固定化する心理的フレームを形成します。例: デートの場所を「ここに決める」と宣言することで、その場の雰囲気や相手の印象が肯定的に変化する。1.2. 恋愛における暗示の特性 恋愛心理学では、相手への影響力は言語的・非言語的要素の相互作用によって増幅されます。「決める」という言葉が持つ明確さは、安心感を与えると同時に、魅力的なリーダーシップを演出します。2. 「決める」行動の恋愛への影響2.1. 自信とリーダーシップの表現 「決める」という行動は、自信とリーダーシップの象徴として働きます。恋愛においては、決断力のある人は魅力的に映ることが多いです。事例1: レストランを選ぶ場面で、男性が「この店にしよう」と即断するケースでは、相手の女性が安心感を持ちやすい。2.2. 相手の心理的安定を促進 迷いがちな行動は不安を生む可能性があります。一方で、決定された選択肢は心理的安定を提供します。事例2: 結婚プロポーズにおいて、「君と一緒に生きることに決めた」という明確な言葉が相手に安心感と信頼感を与える。2.3. 選択の共有感と関係構築 恋愛関係においては、重要な選択肢を共有することが絆を強化します。「決める」という行為は、相手との関係性を明確化するための重要なステップです。事例3: カップルが旅行先を話し合い、「ここに行こう」と決断することで、共同作業の満足感が高まる。3. 「決める」暗示の応用とその効果3.1. 恋愛関係の進展 「決める」という行動がもたらす心理的効果は、恋愛関係の進展において重要な役割を果たします。事例4: 初デート後に「次はこの日空いてる?」ではなく、「次は土曜にディナーに行こう」と提案することで、関係が一歩進む。3.2. 関

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