戦争と女性の純潔

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 明治・大正時代から昭和にかけて、自由恋愛とある種の対極を成す「女性の純潔」が強調された理由、それは相次いだ戦争だ。
 日本は1904年(明治37年)、日露戦争に突入。以降、14年(大正3年)に第一次世界大戦、31年(昭和6年)に満州事変、37年(昭和12年)に日中戦争、そして41年(昭和16年)に太平洋戦争(第二次世界大戦)へと突入した。


 戦時中、戦地に向かう男性兵士からすれば、自宅や地元に残した妻や恋人が「自由恋愛を口実に、誰かと浮気するかもしれない」となれば、お国を守る戦いに集中できない。この時期、日本の社会も国威発揚のために、厳格な性道徳教育のもと、自由恋愛を戒めなければならなかったのだろう。恋愛や結婚もまた、国の政策と無縁ではないのだ。


 江戸時代、都会では男性の約5割が未婚だったが、大正時代に入ると「国民皆婚」と呼ばれる時代に突入した。男女とも20代前半〜半ばまでに、それぞれの階層に合った相手と結婚するのが一般的になり、50歳までに結婚を経験しない男女の割合は、1925年(大正14年)の時点で男女とも2%もいなかった。98%が、一度は誰かと結婚したのである(総務省「日本の長期統計系列」)


 ちなみに今、いわゆる生涯未婚の割合は、男性で約2割、女性で約1割だ。
 当時、誰もが当たり前のように結婚していた背景には、それぞれの家が世継ぎや後継者、労働力などの関係で「孫」を強く欲したからだと言われる。


 同時に、戦争が相次ぐ中、昭和初期の日本は人口に対する危機感を持つようになる。1930年代半ばまでは、男女とも順調に人口が増えていたのに、日中戦争の影響もあって37年以降、若い男性の人口が激減。結婚できない女性が目に見えて増える中、人口増加(出生数増)のスピードも鈍ってしまった。


 そこで39年、当時の厚生労働省が発表したスローガンが、「結婚十訓」。結婚相手に健康な人を選べ、晩婚を避けよ、悪い遺伝のない人を選べ、そして「産めよ殖やせよ」など。現代なら確実に批判を浴びる内容だが、昭和初期にはこれが普通とされたのだろう(加藤秀一著「恋愛結婚は何をもたらしたか」ちくま新書)


 ところが1945年、日本が終戦を迎えたことで、時代は急変する。
 まず終戦直後、適齢期男性の人口が極端に減少し、女性は再び結婚難に陥った。45年以降、ジルバやマンボが流行し「ダンスホール」があちこちにできたのも、一つは女性の「お相手探し」の場になっていたからだ(15年1月12日号/「プレジデント」)。


 さらに47年、旧民法が大きく改正され、翌48年に新民法が施行。ここで、家制度を柱とする明治の旧民法は、個人の尊厳と両性の本質的平等を定める日本国憲法(第24条)の趣旨に従ってガラリと塗り替えられた。相続は諸子均分相続となり、男女不平等な規定は改められ、いわゆる家制度が廃止に(14年5月9日付/読売新聞ほか)。


 これにより、女性は必ずしも男性の家に「嫁入り」しなくてもよくなった。家を基本とする配偶者選びから、ようやく男女が個として夫婦を形成できる時代に入ったのだ。















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