江戸時代の庶民には、おおらかな「平安型恋愛」が復活

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 江戸時代において、大多数を占めていた農漁村には、比較的自由でおおらかな恋愛、性的関係が存在していて、庶民の間では再び、あの「夜這い」が頭角を現す。


 民俗学者の赤松啓介氏は、著書において、夜這いが再び息を吹き返した理由を「その前の戦国時代に、多数死傷者が出るなどして、村落共同体ではその存続が難しくなったためではないか」と分析する。特に農業が主流の村社会では、「労働力」が何よりも大事だ。村が一丸となって若者の結婚・子作りを後押ししなければ、村の存続が危ういと考えたのでは、との見方だ(「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」ちくま学芸文庫)。


 また同書には、このような内容もある。


 夜這いを介して父兄や母姉たちが自分の娘や息子、弟、姉の筆下ろしや水揚げを依頼する場合があり・・・。


 つまり、当時の村社会では、大人たちが力を合わせて若い衆の「筆下ろしや水揚げ(童貞や処女を奪う行為)」を手伝っていた。いわゆる恋活支援や性教育だ。


 武士は、親や仲人に結婚相手を紹介してもらい、庶民は庶民で、村の長や地域をあげて、性教育や初体験の相手を世話してもらえる。「いいな」と多少羨ましく感じる独身男性もいるかもしれない。事実、農村部はほぼ「皆婚」状態だったという。


 ところが、都市部は「大独身時代」を迎えていた。享保6年(1721年)の人口調査によると、当時、江戸の人口(町人)の男女比は、男性100に対し女性55と、圧倒的な男性過多社会。これは生活水準の低下を恐れ、女児を中心に「間引き」が行われていたと思われること、また男性が田舎から単身で奉公や出稼ぎに来るケースが多かったからだと言われる。こうした男余り現象のなか、江戸の男性(16〜60)の未婚率は、実に5割にも達していたのだ(06年 参議院第3特別調査室)。


 また、江戸の若者は出稼ぎが多いから、いわば士農工商のいずれにも属さず、世継ぎにもならないフリーターが圧倒的に多い。その上、半数が未婚となれば、悲壮感さえ漂っていたのかとも思うが、必ずしもそうではない。歴史作家の堀江宏樹氏の寄稿記事によると、男のおひとりさまは、独身仲間とワイワイ、長屋でそれなりに楽しく暮らしていたようだ(14年11月28日掲載「マイナビウーマン」)


 堀江氏の記事でさらに驚くのは、男性はもちろん、庶民の女性も含めて、恋愛を「遊び」として許す文化が色濃くあったことだ。


 もちろん武家の世界では、もっぱら見合い結婚が主流、いわゆる「不義密通」にも厳しくなった。跡取りが浮気相手の子では困るからだろう。お岩さんで知られる「四谷怪談」にも、お岩が間男と密通したとの罪で戸板に打ち付けられるシーンが登場する。


 ところが庶民はといえば、比較的リッチな家庭に生まれた女性でも、結婚までは「恋愛と結婚は別」と割り切って遊ぶ考えが目立っていたそうだ。お金さえ許せば、好みのイケメンを買って一夜を共にする、「役者買い」まであったとか。動乱の時代を経て、天下泰平の世に移り、恋愛を楽しむ余裕も生まれたのだろう。


 確かに、当時を描いた歴史小説や時代劇にも、「町のお祭りや芝居小屋で、町娘が男と恋に落ちる」といったシーンが数多く登場する。厳密に言えば、町娘がふらふら町を歩くことは許されていなかったようだが、お祭りなどイベントの際には、洒落男が可愛いと思った子に声をかける「ナンパ」もあったよう。


 ちなみに、この頃のナンパは、男性が人混みに紛れて女性のお尻をつねるスタイルだった、とする説が多い。女性も「んもう!」などと言いつつ、好みの男性ならふらっとついていく。そこから新たな恋が生まれる・・・。ちょっと楽しそうだ。















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